第18話 瞬間湯沸かし器

 私の母は短気で厳しく、問答無用で口より先に手が出るタイプだった。私の子供の頃は、そういう親が多かったように思う。母の愛を疑ったことはないが、今でも母に怒鳴られると、フリーズしてしまう。まもなく喜寿になんなんとする母だが、いまだに頭が上がらない。


 一方私は、学生時代から温和で穏やかな性格、という評価で短気な母とは異なる性格だ、と思っていた。しかし、研修医となると、ハードな毎日が続き、理不尽な依頼も次々にやってくる。私が研修医になりたての頃、先輩方が、ちょっとしたことですぐに怒り狂っているのを見て、「よくないよなぁ」と思っていたが、3年もたつと、その代表みたいに自分がなっていた。短気な割には小心者である。


 ER当直の時など、内科後期研修医ともなると、内科第二当直医、みたいな感じになって、内科当直が動けない、あるいは連絡がつかないときには病棟からERの私に連絡が来るようになっていた。ただ、往々にしてそのような連絡が来るときは、ERも戦場の様になっていて、ついきつい口調で、

 「こっちも救急車2台同時に対応中なんです!行けるわけないじゃないですか!」

 ときつい言葉で答えてしまうのだが、後に小心者の自分が出てきて、呼び出された病棟に行き、

 「先ほどはすみません。患者さんの様子はどうですか」

 と謝罪と診察に行かないと落ち着かないのであった。病棟の看護師さんも慣れたもので、

 「もうそろそろ先生が来る頃だと思ってました」

 と行動を読まれているのであった。どうせ気になって、あとで診に行くんだから、

 「待てるようならちょっと待って。こっちが落ち着いたら診察するから」

 と答えればお互い気を悪くせずに済むのだが、なかなかこれが難しい。今も忙しいときに笑顔で返事をするよう、鋭意修行中である。逆に穏やかそうな先生の中には、

 「診ないよ」

 と言ったら、何があっても絶対に診ない、という先生もおられ、そのような鋼のメンタルがあったら楽だろうなぁ、と思うことが多かった。そんなわけで医師の仕事についてから、母から受け継いだ「短気」という性分をこれでもか、というほど痛感させられた。学生時代には一度も言われたことがなかったのだが、内科の先輩医師に

 「ほーやんはいつも短気やからなぁ」

 と言われ、大きくショックを受けたのを覚えている。


 先に述べた鋼のメンタルを持つ、僕の内視鏡の師匠である杉本先生は、いろいろな逸話を持っておられ、何度も笑わせていただいたことがある。紹介状やその返信には基本的な型があり、初めに

「平素より大変お世話になり、ありがとうございます」

から始め、紹介状であれば、その後に、患者さんの名前、年齢、性別、既往症を記載し、自分の診察所見、検査データなどを記し、紹介理由を書き、

「ご多忙のところ、大変申し訳ありませんが、ご高配のほど、なにとぞよろしくお願いいたします」

という形で文章を結び、紹介に対する返信であれば、

「ご紹介いただきました○○様、拝診させていただきました」

から始め、こちらでの診察結果を記載し、

「このたびはご紹介いただき、ありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます」

と結ぶのであるが、杉本先生は、若いころ、気に入らない紹介があると、返信の結びの文章の

 「ありがとうございました」

 をこっそり

 「ありがとうございませんでした」

 と書いて返信していたとのこと。それでも半年近くはバレなかったそうなのだが、ついに病診連携室のスタッフが気づいてしまい、院長と病診連携室から説教を食らったとのこと。それで、

 「ありがとうございませんでした」

 と書くのはやめたそうなのだが、その代わり、気に入らない紹介の返信には、隅っこの方に小さくドクロマークを書いていたとのこと。さすが杉本先生。お話を聞くと笑えるが、なかなか真似できないことである。


 病棟には「この時間までに指示を出してほしい」という締め切りが決められていて、九田記念病院に入職したころは15:30までに指示を出すこと、となっていた。さすがにそれでは医師の方が多忙で間に合わない、ということで医局総意の希望、とのことで16:00に遅らせてもらったのだが、それでも間に合わないことはしょっちゅうで、怒られることがしばしばだった。


 その日は本当に忙しく、朝回診をした後、回診のカルテを書く余裕もなく午前診に突入。午前診で、診断に手間取る方がおられ、午前診が終了したのは15:30、そこから食事をとる暇もなく、患者さんの家族に病状説明をして、16:30からはER当直。またそんな日に限って千客万来で、当直医みんなが食事をとることもできず必死に仕事をして、ようやく落ち着いたのは日付が変わった1:30頃、交代でERの目の前にあるコンビニで軽食を買って夕食とし、私は、ようやく朝に記載できなかった朝回診のカルテの記載と、病棟への指示を出し始めた。指示には

 「日勤帯で拾ってもらえば結構です」

 とコメントをつけて、ERの電子カルテからカルテ記載&指示出しをしていたら、2:00頃に病棟から

 「なんでこんな時間に指示出しするんですか!!時間を考えてください!!」

 と看護師さんから怒りの電話が。こちらもカチンと来て、

 「じゃぁ、この忙しさの中で、僕はいつ指示出しをしたらいいんですか!!」

 と怒鳴り返し、向こうから電話を切ってきた。疲れと怒りの中で、カルテ記載と指示出しを担当患者全員分を終わらせたが、一応ルール違反なのは私(ただ、ルールを守って指示を出さないでいると「どうして何も指示が出ていないのですか!!」と翌朝怒られるのもやはり私、という理不尽)なので、ERの当直明け(医師のER当直の引継ぎが、看護師さんの引継ぎより早い)に、病棟に上がり、怒鳴りあいをした看護師さんに

 「昨晩はすみませんでした」

 と謝罪した。全く持って、短気は損気である。



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