第17話 男と男の約束

 ジェンダー格差をなくそう、という時代にこの表題をつけたことをまずお許しいただきたい。ただ、生物学的に男性として、そしてジェンダーとしても男性として、この集団の中で生きてきた男性にとって、「男と男の約束」という言葉には特別な意味があり、それを別の言葉で適切に伝えるすべを私は持たない。そういったわけで、「男と男の約束」という言葉を使うことをご理解いただければと思う。


 患者さんは男性で、60代の後半だったか、70代の前半だったか、半年ほど前からものがなんとなく飲み込みづらく感じるようになり、2ヶ月ほど前には水分しか取れなくなったそうだ。それでも、お酒を飲んでエネルギーを取っていた、と言われていたが、いよいよ水分も通らなくなったとのことで九田記念病院を受診。上部消化管内視鏡で確認したところ、明らかに食道中部に悪性の狭窄病変があり、カメラも通過せず、ごくわずかな隙間しか空いていないことが明らかとなり、入院となった方だった。入院後精査をすると、頸部、縦隔、腹部のリンパ節は累々と腫れており、腫瘍は大血管にも直接浸潤している状態であった。食道がんのStageⅣ、積極的な抗がん剤治療や放射線治療は拒否され、支持的に治療を行なうこととなった。右鎖骨下静脈からCV lineを挿入し、TPNを開始、痛みの訴えは強くなかったが、倦怠感は強く、口にたまった唾液を嚥下できず、常に膿盆に吐き出さなければならなかった。


 食道がんの高リスク者は大酒家、ヘビースモーカーの中高年男性が典型的であるが、まさしく典型的な方であった。そのような方によくある病院嫌いで、とことん悪くなるまで放っておいた、という方であった。飲みづらさを感じた時点で来院し、診断をつけていれば、また違った経過になったのであろうが、ご本人の選択なのでそこについては何とも言えない。


一度、口腔内にたまった唾液を誤嚥、窒息したが、懸命の吸引処置で一命をとりとめ、その後誤嚥性肺炎も起こしたが、何とか立ち直られた。


 ある朝、回診の時に

 「先生、頼みがあるねん」

 と声をかけられた。お話を聞くと、3週間ほど先がお父様の命日とのこと。

 「その時には、どうしても親父の墓参りに行きたいねん。先生、何とか行かせてくれ」

 とのこと。病状を考えると非常に厳しいものではあったが、

 「わかりました。その時まで僕も頑張りますから、一緒に頑張ってお父様のお墓参りに行きましょう!」

 と答えた。

 「先生、男と男の約束やで。頼むな!」

 とのこと。とはいえ、医学的にできることは限られている。おそらく縦隔内で腫瘍が大きくなってきているのであろう、顔や両手がむくみ始めてきた。上大静脈症候群であろう。CV lineの滴下は順調だったので、閉塞機転を越えたところにCV lineの先端があったのだと思われる。


 約束の日まで、あと2日というところで、突然彼がガタガタと震えだし、高熱が出始めた。酸素化は悪くなく、胸部CTでも肺炎像は認めなかった。おそらくカテーテル関連血流感染症だと考えた。命の綱だったCV lineは抜かなければならない。そして、上大静脈症候群を来しているので、内頸静脈も、左鎖骨下静脈もCV lineの挿入部位としては不適切である。末梢点滴をするのも下肢、CV line挿入は大腿静脈からせざるを得ない。そうすると歩けない。血液培養、カテ先培養を提出し、右大腿静脈からCV lineを挿入。培養結果が出るまで、経験的治療としてVCMの投与を開始した。非常につらい決断だが、この状態では外出を許可できない。すべての処置を終えて、私は彼に謝罪した。

 「男と男の約束、守ることができなくて本当に申し訳ない」

 彼は私に何も言わなかった。もちろん高熱が出てしんどいこともあったのだろうが、彼の心の中にもいろいろな思いが去来したに違いない。ただただ、私は悔しかった。


 それからしばらくして、彼はお父様のところに旅立たれた。人の生命は有限で、その終わりは誰にも分らない。どんなに注意をしていても、避けられないこともある。それも十分にわかっているが、それでも守れなかった「男と男の約束」は、今も心に引っかかっている。

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