第6話 誰が一番しっかり患者さんを診たの?
以前にも述べたように、後期研修医は夜間や休日のER当直では、初期研修医の診察の確認をすることになっている。初期研修医が困っているときに、助け舟を出したりするのもER当直中の後期研修医の仕事である。
ある日曜日の夕方、1年次の後輩が、
「保谷先生、肺炎の患者さんだと思うので、一緒に確認してください」
と声をかけてきた。60代の男性で、特に問題となる既往症はなく、前日からの38度台の発熱、胸痛と呼吸苦を主訴にERに来られた方だった。体温は37度後半、SpO2は94%程度とやや低め、血圧は問題なし。聴診では心音、呼吸音に異常を認めず。血液検査は白血球増多と、CRPが12台と高値、胸部単純X線写真では左肺野に淡い陰影を認め、胸部単純CTでは左舌区に胸膜と接するconsolidationを認めた。検査結果からは確かに左肺炎、胸膜炎だと思われた。後輩と一緒に患者さんのところに向かい、病歴を確認する。病歴を聴いているときに患者さんがボソッと、
「数日前から左足が痛いんですよね」
とおっしゃられた。私はあまり気に留めず、
「ああ、そうなんですね。」
と聞き流してしまった。必要と思われる病歴を確認し、入院が必要と判断。内科当直医に連絡し、入院を視野に入れ当直医にも診察していただいた。入院のお話をしたが、自営業をされているので入院が難しいとのこと。しばらくは毎日外来で点滴に来てもらうこととし、抗生剤の点滴を行ない帰宅とした。
それから3日後の水曜日、近くのクリニックから「肺塞栓の疑い」とのことで連絡が入り、ERで坂谷先生と患者さんが来るのを待っていた。しばらくして患者さんがERにやってこられた。その時、私はとても驚いた。日曜日の夕方、「肺炎」と診断をつけた患者さんが来られたからである。思わず患者さんに、
「あら。前回こちらに受診されてから経過はどうでしたか?」
と聞いた。お話では、月曜日、火曜日と当院内科外来で抗生剤の点滴を受けられていた。足の痛みも続いていたので、当院の整形外科にも受診し、
「『脊椎すべり症』があり、それが足の痛みの原因でしょう」
と言われたとのこと。あまり状態も良くならないので、紹介元のクリニックを受診したところ、病歴と、痛んでいる足の診察所見から、
「足にできた血栓が肺に飛んだ『肺塞栓症』ではないか、と思うので、もう一度九田記念病院に紹介します」
と言われたとのことであった。胸部の造影CTを撮ると、確かに肺動脈に血栓が存在していた。私が聞き流していた「足が痛い」という訴えは下肢DVTを示唆していたのであった。肺炎像に見えたのは、肺塞栓による肺梗塞を見ていたのであった。結局、日曜日に3人、月曜、火曜と一人ずつ、そして整形外科で一人の合計6人の医師がこの患者さんに関わったのに、誰も下肢DVT→肺塞栓を思いつかなかったのであった。クリニックの先生だけが、正しい診断にたどり着いたのである。そして一番の大バカ者は、「足が痛い」という訴えを聞いたのに、その訴えを真摯に受け止めていなかった私であった。大変患者さんに申し訳なく、また、自分自身を大変恥ずかしく思った。
患者さんは一旦ICU管理とし、循環動態が安定していたので血栓溶解療法は行わず、抗凝固薬(このころはワーファリンしかなかった)を使って治療を開始した。患者さんの全身状態は安定しており、3日目からは一般病棟で経過観察、リハビリを開始し、2週間ほどで退院された。入院中に凝固系、線溶系などの精査を行なったが、特に問題はなく、なぜ下肢DVTが起きたのかはわからずじまいだった。
それから数年後、初期研修医の勉強会にこの症例を提示した。病歴を提示するときにあまり目立たないように「足が痛い」という言葉を差し込んだ。初期研修医だけでなく、この症例にかかわっていない指導医クラスの先生にも考えていただいたが、ただ一人、鳥端先生だけが「足が痛い」という一言に気づいて、正しい診断にたどり着かれた。私から、症例の経過について発表した後、指導医からの一言をお願いしたところ、
「保谷先生がスルーしてしまうほど、症例と関係ないように聞こえるけど、この『足が痛い』という訴え、絶対にスルーしたらあかんで!」
とおっしゃられた。やはり臨床力の高い先生は違うなぁ、と本当に感心したことを覚えている。この症例以降、患者さんの訴えを逃さないように、とさらに強く思いながら診察を行なうようにしている。
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