第4話 心の病気を持つ人にも器質的疾患は起きる!

 ER旧ボスの香田先生の名言の一つに

 「ええか、保谷。よく覚えておけよ。夜間のERに来る人は、本当に身体が病んでいる人か、本当は心が病んでいる人か、その両方の状態の人かや。そこをよく見極めろよ」

 というものがある。確かにこの見極めは難しいことがある。思わぬ病気が隠れていることもある。


 初期研修医でER研修中、頻繁に胸部絞扼感を主訴に午後の時間外受診をされる高齢の方がいた。当初は病歴、生活習慣、心エコーや採血、心電図、胸部CTなど、できる限りのことをしたが、訴えから想定されるkiller chest painの可能性は低そうな結果だった。当初はニトロペンなども処方していたが、あまり有効ではなく、上級医と相談して、placeboとして乳糖を処方することとした。これはよく効いて、それまで毎日の様にERに受診していたのに、3日に1回程度に落ち着いたようだった。この患者さん、どういうわけか通常の外来には受診せず、ERにばかり受診していた。          

 私がER研修を終えた後も、同じように3日に一度程度受診して、検査内容も徐々に簡単なものになり、問診とバイタルサインの確認、身体診察で異常所見のないことを確認し、placeboを処方する、ということが数年続いていた。私が後期研修医の3年目(それから4年以上たっている)の時に、ERに別の主訴

 「最近ご飯が食べられない」

 とのことで来られるようになり、

 「訴えが変わった」

 と気づいた当時のERスタッフが内科外来に紹介、GIFを行なうと進行胃がんが見つかった。精査を行なったが、手術適応もなく、年齢的に化学療法の適応でもない、とのことだった。私が聞いたことはそこまでだった。おそらく、当初の訴えは心臓神経症で良かったのだと思うが、それがルーティーンとなってしまったことが、胃がんの発見を遅らせたことはありうることかもしれない、と思った。


 心に病気を持っている人は、それだけでERでは色眼鏡で見られてしまう傾向があるが(そして多くの場合、その予測は正しいのだが)、時に本当の身体疾患を、心の問題としてとらえられてしまい、治療が遅れることもある。


 グループ病院の松山病院から、亜急性の心筋梗塞との紹介があり、指導医の坂谷先生とともにERで患者さんの到着を待っていた。診断は松山病院でついているのだが、私が再度病歴聴取、身体診察、各種院内検査の指示を出し、坂谷先生はご家族に心臓カテーテルのリスクとベネフィットを説明、同意書を取られていた。


 患者さんは60台の男性、うつ病、パニック症候群を併存症としてお持ちで、時々、夜間にパニック発作と思われる、突然の息苦しさ、胸の苦しさ、このまま死ぬんじゃないかという不安感に襲われ同院にしばしば救急搬送されていたそうである。ERでの診察で、各種検査を行なうが特に問題はなく、

 「パニック発作ですよ」

 という診断で抗不安薬を処方され、

 「精神科の主治医の先生と相談してください」

 と言われて帰宅となることが多かったそうであった。

 当院受診の2日前にも夜間に突然息苦しさ、胸の苦しさ、冷や汗が出現し、このまま死ぬんじゃないかという不安感に襲われたとのことであった。いつものパニック発作とは感じが違うとのことで救急車を要請、松山病院のERに搬送されたそうである。バイタルサインは救急隊でもERでも測っているはずなので、本当はそこで気づくはずなのだが、ER担当医は十分に評価せず、いつものパニック発作と診断、いつもの抗不安薬を処方し、帰宅を指示されたとのこと。

 ただ今回は胸部不快感が全然収まらないとのことで、こちらに来られる当日、松山病院の内科外来を受診したところ、バイタルサインで低血圧と徐脈を指摘され、心電図で完全房室ブロックと下壁梗塞の所見があり、血液検査でも心筋逸脱酵素の上昇を認め、亜急性の心筋梗塞、完全房室ブロックとの診断で当院循環器内科に紹介となった。


 来院時、血圧は80台、脈拍は35回程度で、心電図をとると明らかにP波とQRS波が乖離している完全房室ブロックパターンと、Ⅱ,Ⅲ、aVFで異常Q波と陰性の冠性T波を認めた。患者さんはすぐに一時的ペースメーカー(TPM)を挿入し、責任病変に対してPCIを行ない、ICU管理。数日で完全ブロックは改善しTPMを抜去、その後の経過は良好で後遺症なく退院された。


 このようなことはやはりしばしば起こり、心の病気、身体の病気という関係だけでなく、思わぬところに落とし穴があることがある。


 以下の症例は、心の問題とは関係のない話であるが、思わぬところに落とし穴があった症例である。いずれも落とし穴にはまっていたら、患者さんの命を落とすところだった、際どい、忘れられない症例である。


 冬のインフルエンザの流行期、土曜日の夜の外来(その時の勤務先は土曜日の夜も通常外来を行なっていた)に、たまたま代診として担当したときのことであった。外来患者さん35人のうち25人が高熱、倦怠感で受診。患者さんは皆さん、ご自身ではインフルエンザだと思ってこられた中で、若い患者さんの一人が劇症化寸前の急性B型肝炎であったことがあった。インフルエンザの流行期では、インフルエンザ迅速キットで「陰性」と出ても「偽陰性」の可能性が高く、

 「検査は陰性だけど、インフルエンザの可能性が高いと思います」

 と言ってインフルエンザの治療を行なう方が正しい診断となる可能性が高い。また、その勤務先はクリニックで、緊急検査可能な項目数が少なく、検査をたくさん出すほど結果が出るのに時間がかかることから、同クリニックで勤務している常勤医師の多くが、緊急項目としてはCBC(血球数総算定)と、CRP(炎症反応の程度の指標となる項目)しか出さない習慣があった。たまたま私が臆病で、基本的に採血をするときは院内項目は全項目提出する習慣がついていたため、本当に運よく見逃さず(たぶん、普段担当の先生が診ておられたら、見逃されていた可能性が高いと思う)、診断をつけられたことがある。その患者さんは大慌てで、高次医療機関に転送、専門医に十分に治療をされ、一命をとりとめた。見逃さなくて本当に良かった(たぶん僕が見逃していたら、週明けには劇症肝炎となり命を落としていたかもしれない)、と思うような経験をしたことがあった。


 また医学生の時、地域の小児科病院で経験した症例だが、嘔気、嘔吐を主訴に来院した幼稚園児、1ヶ月近く加療を続けたものの改善せず。担当医は心的要素の可能性を考え、入院加療を考えられた。1か月間の小児科研修に来ていた私に、担当の先生が

 「あとで一緒に診よう。今の時点で何か追加が必要と思われる検査はある?」

 と聞かれ、

 「念のため、頭のCTを取りたいです」と私が答えた。

 先生が、「それは必要だな」とお考えになり頭部CTを取ったところ、脳腫瘍が見つかった、ということも経験している。


 私たちがよく耳にするアメリカでの医療の格言の中には

「蹄の音を聴いたら、走ってくるのはシマウマではなく馬だと考えよ(ある症状を見たときに、稀な病気のことを考えるのではなく、よくある病気のことから考えよ、という意味)」

 というものや、

 「稀な疾患の典型的な症状よりも、よくある疾患の稀な症状の方が多い」

というものがある。いずれも内科診断学の確率論的視点からの格言であるが、確率論から理攻めに診断を行なっていくと、どうしても稀な疾患は見逃される(というか、効率的な診断学では、稀な疾患は最初は見逃されるようなシステムとなっている)。


 私たち医師が臨床診断を行う上で、気づかない思い込みなど様々な邪魔(バイアスという)があり、気づかないうちに誤った方向に進んでいることがある。診断学は難しく、深夜のヘロヘロとなっているような時間帯、業務量の時に、このように、何度も胸の苦しさ、死にそうな感じを主訴に受診されている心の病気を持っておられる方が、いつもと同じような主訴で受診されたら、やはり診断を誤ってしまうものかもしれない、と思う。他山の石としなければならない、と思いつつ仕事をしている毎日である。


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