第3話 循環器内科での研修

 まず最初にローテートしたのは循環器内科であった。循環器内科は院長、坂谷部長の二人が主に心カテーテルを、そして、糖尿病チームの中心となっている寺岡先生がシンチグラムと経食道心エコーを担当されていた。研修医の指導は坂谷部長が担当し、坂谷部長の患者さんの副主治医として動く、というスタイルであった。このスタイルは初期研修医の時と同じスタイルで、集合時間も同じ朝7時であった。7時前に医局の電子カルテの前で部長がお見えになるのを待つ。7時ちょっと前に坂谷先生がお見えになり、まずはカルテ回診。担当患者さんの一覧をあらかじめプリントアウトしておき、坂谷先生の指示を患者さんごとにメモしていく。カルテ回診が終わると、実際に患者さんの回診を行なう。


 後期研修医になると、午前一コマ、夜診一コマの外来を担当することになり、私も定期外来を持つようになった。当初は午前診は水曜日、夜診は木曜日であったが、事情により、途中から、火曜日の夜診に変わることとなった。水曜日の午前診は循環器内科部長の坂谷先生、内科統括部長兼呼吸器内科部長である狩野先生、後期研修医の岸村先生と私、(その後、消化器内科部長として赴任された秋山先生も水曜午前診の担当となられる)という布陣だった。他の先生がたくさんのかかりつけ患者さんを持っておられるので、私が初診の患者さんの担当することが多く、様々な患者さんの症例の最初からかかわりを持つことができた。また困ったときに聞くことができる先生も多いので、大変ありがたかった。


 循環器内科の1週間のスケジュールは、月、木、金が坂谷先生の担当患者さんの予定カテ+緊急、準緊急のカテの日で、1日に4~7件のCAG(Coronary Angiography、冠動脈造影)、PCI(Percutaneus Coronary Intervention:経皮的冠動脈形成術)、下肢PTA(Percutaneus transluminal angioplasty、経皮的血管形成術)を行ない、その後は病棟患者さんの回診、患者さんやご家族への病状説明などを行なっていた。火曜日は院長の本田先生のカテーテル日で、この日は院長、坂谷先生、そして私もカテ室に入る。火曜日は毎週15人近くのカテーテルをこなした。院長先生はPCIについてはバルーンを用いた治療だけでなく、「ロータブレーター」という、先端にダイアモンドが埋め込まれたバーという小さなドリルを10万回転/分以上と超高速回転させ、血管内の硬いアテロームや石灰化した病変を削り取る治療も行われる。なので臨床工学技士の方も来られ、カテ室は大忙し+大賑わいであった。水曜日は坂谷先生も私も外来なので、緊急、あるいは準緊急のカテのみ、午前診終了後に行う、というスタイルだった。緊急カテは24時間受け入れだったが、坂谷先生からは

 「夜間の緊急カテは、来たかったら来てもいいよ」

 ということで、呼び出されることはなかった(呼び出す暇もない、というのが正直なところ)。ERで、

 「ACS(急性冠症候群)の人が搬送されたら呼んでね」

 と声をかけていても、ERも大忙しになるので坂谷先生を呼び出しても、私の呼び出しに気が回ることはなく、自分が当直の時以外は、知らぬ間に夜間緊急カテが行われ、朝の回診で

 「あれ、こんな人いたかなぁ」

 と気づくことが多かった。私がER当直をしているときは、私の不在時のER留守番をお願いできる人がいれば、坂谷先生と(時には院長と)一緒に緊急カテに入るが、私以外初期研修医、の時はどうしても患者さんの帰宅時にリーダーのチェックが必要なので、ERで留守番、ということになる。


 さて、初期研修医のローテーションと異なることは、回診が終わり、指示出しをするとすぐにカテ室へ向かうことだった。カテ室でも坂谷先生から指導を受けた。

 まず最初は物品の準備から。放射線防護用の鉛製プロテクタ、帽子、マスクを着用後、カテ室内の手洗い場で手洗いをし、滅菌手袋を装着、滅菌ガウンを着せてもらい、物品を準備する。カテーテルを血管内に挿入するためのシース、シース用のガイドワイヤ、心カテ用のガイドワイヤ、カテーテルを滅菌したトレイの中に収め、滅菌した生理食塩水をトレイに入れ、シース、カテーテルをフラッシュ(管の中に生理食塩水を通し、空気抜きをすること)する。造影剤を注入する回路も用意して、病棟に連絡し、患者さんをカテ室に連れてきてもらう。

 トレーニングの第一段階は物品の準備と同時に、橈骨動脈にシース(カテーテルを血管内に出し入れするために、血管内に留置する器具)の確保することからだった。あらかじめアレンテストを行ない、尺骨動脈の血流があることを確認しており、橈骨動脈の穿刺部位(手関節付近で母指側の、触って脈を触れるところ)をイソジンで消毒、覆布をかけて、手関節~前腕遠位の屈側を露出。20Gのサーフロ針で橈骨動脈を穿刺。サーフロ針の外套を留置し、シース留置用のガイドワイヤを挿入。透視下にワイヤの進みを確認し、サーフロ針を抜去、シースをセルジンガー法で橈骨動脈に留置、ガイドワイヤを外し、シースをヘパリン入り生食で脱気&フラッシュし、これで心カテの準備完了となる。予定PCIの一部、緊急PCIあるいは下肢のPTAで太めのカテーテルを使うときは同様のことを大腿動脈で行なった。

 それが、まず第一のトレーニングなのだが、前述の様にあまり器用でない私は、なかなかうまく橈骨動脈を穿刺できない。穿刺で逆血を確認しても外套が入っていかない、などなかなかすんなりと第一段階クリア、とはいかなかった。一人の患者さんで、3回失敗したら指導医に交代、ということでトレーニングをしたが、これは数日でほとんどクリアできるようになった。(たぶん、器用な人はすぐにできるようになると思う)。時には坂谷先生も確保が難しい患者さんもおられ、その時には上腕動脈にシースを入れていた。

  動脈にシースを挿入する、という第一ステージをクリアすると、坂谷先生はCAGのためのカテーテルを2本用意してくれるようになった。熟練した循環器内科医は左右の冠動脈共用のカテーテル1本でCAGを行なうが、トレーニング中の私のために、右冠動脈用、左冠動脈用のカテーテルを両方用意するようにしてくださったのである。

 シースからガイドワイヤを挿入。X線を出してガイドワイヤを確認、カテ台(ベッド)を動かし、ガイドワイヤの先端を追いかけていく。橈骨動脈→上腕動脈→鎖骨下動脈→大動脈弓部→上行大動脈までガイドワイヤを進める。一旦X線を止め、まず右冠動脈用のカテーテルにガイドワイヤを通し、カテーテルを上行大動脈まで進める。再度X線を出し、カテーテルの先端が上行大動脈の基部に近づいたらガイドワイヤを抜き、カテーテルを造影剤のチューブと接続する。X線を出していても、ディスプレイに移っているのは肋骨などの骨と、カテーテルだけなので、おおよその位置をイメージしながら、カテ先を右冠動脈に置くように動かす。場所がわかりにくいときは、ちょっとだけ造影剤を注入すると心臓の1拍のあいだだけ、うっすらと大動脈、左右冠動脈が見えるのでそれを目安にカテ先を持っていく。あまりに雑にカテーテルを動かすと、動脈硬化のプラークが血管からはがれて血管を詰まらせてしまうので、慎重かつ大胆にカテ先を動かすのだが、画面は2次元、血管は3次元なので、なかなかうまくカテ先がはまらないことも多い。あまりにはまらなければ、坂谷先生が横から手を出してくれ、すぐにカテ先を右冠動脈基部に持ってこられる。一度だけ、カテ先がうまくはまったと思って、少し造影剤を出した途端、坂谷先生が慌てて手を出してこられたことがあった。洞結節(心臓のリズムを作る部分)に行く動脈にカテ先が入っていたようで、

 「このまま造影剤を入れていたら、致死的な不整脈が出るところだったよ」

 とのこと。危ない危ない。やはり専門手技はそれなりのリスクがあるのである。


 右冠動脈にカテ先がうまくはまれば、造影剤を注入して(今は機械で注入するが、僕の修業中は手で注入していた)血管を造影し、複数の角度から撮影を行なう。右冠動脈はこれらの方向から、左冠動脈はこれらの方向から、と方向が決まっている。循環器内科をローテートしていた時は撮影の順番は覚えていたし、心カテに入る放射線技師さんも当然把握しているので、慣れてくるとスムーズに撮影ができたのだが、もうずいぶん前のこと、どの方向からどの順番で撮影したのかは、もう覚えていない。ただ、現在も紹介の患者さんで、カテの画像を確認すると、

 「ああ、この画像は冠動脈のこの部位がよくわかる画像だ」

 ということは覚えている。話はそれてしまったが、複数の角度で右冠動脈の造影写真を撮影し、右冠動脈の撮影は終了。カテーテルを右冠動脈基部から外し、ガイドワイヤを通して、なるだけカテーテルがまっすぐになるような状態でカテーテルを抜去し、次は左冠動脈で同様のことを行なう。時には左室造影があり、冠動脈造影用のカテーテルとは異なる、左室造影用のカテーテルを左室内に挿入する。心臓が収縮しているときは、本来は大動脈弁が全開になっているので、そのタイミングでガイドワイヤを挿入すればよいのだが、ある程度の年齢の方では大動脈弁も硬くなったりしていて、うまく全開にならなかったりすることもあり、私の腕ではスムーズに左室内にガイドワイヤが入らないこともあった。その時も、「3回やって駄目なら、指導医に交代」ということで坂谷先生に交代し、左室にガイドワイヤ、そして左室造影用のカテーテルを挿入してもらう。そして撮影。


 撮影が終わり、処置が必要な状態でなければ、カテーテル、ガイドワイヤを抜き、橈骨動脈からのカテーテルであれば橈骨動脈のシースを抜去し、穿刺部位を圧迫するばんそうこうのようなもの(ステプティ)で圧迫止血を行ない、カテ室から退室となる。時に、CABG(Coronary Artery Bypass Grafting、冠動脈バイパス術)を受けられた方の経過観察のカテーテル検査では、左右の冠動脈だけでなく、左右の内胸動脈の造影も必要なことがあった。その時は坂谷先生が左右の内胸動脈の造影検査を行なわれていた。胃大網動脈からのバイパス患者さんの造影はどうしていたのかは、記憶に残っていない(症例が少なかったからだと思うが、大腿動脈からカニュレーションして、腹腔動脈を造影していたのかもしれない)。


 心臓の冠動脈はそれぞれの部位に番号がついていて、どの部位にどの程度の狭窄があるか、というのを所見に記載する必要がある。僕自身は、左の回旋枝のナンバリングがあやふやだったが、坂谷先生がどんどん所見をおっしゃられるので、一生懸命所見を電子カルテに入力して検査終了。使用した機材については坂谷先生がカテ室のスタッフに伝えていた。CAGのトレーニングは循環器内科の研修が終わるまで続いたが、3か月目からは両用カテーテルでCAGができるようになり、もちろん、坂谷先生の監視の元だが、一人でCAGを行なうことができるようになった。

 PCIが予定されている患者さん、あるいは急性冠症候群で緊急カテの人は、太い処置用のカテーテルが使えるように大腿動脈からシースを挿入していた。太いシースを使うと止血もしづらいので、止血用のデバイスを用いていたが、それは坂谷先生が処置されていた。


 循環器内科での後期研修医の目標は、(1)一人でCAGができること、(2)一人で一時的ペースメーカーを挿入でき、適切に設定できること、が必須目標であり、さらにできるようであれば、(3)IABPの挿入、管理ができること(4)埋め込み型ペースメーカーの挿入ができること、(5)一人である程度のPCIができることと目標はあるのだが、従来の6か月間の研修でも、目標を完全に身に付けた研修医はこれまでいなかったとのことであった。初期研修医時代のころにも記載したが、部長の坂谷先生は、理知的でスマートな人だが、根っこは男子体育会系。循環器内科の目標の最後に、

 「研修終了まで1度も遅刻なく、研修目標を達成した人は、坂谷のおごりで希望する店でお酒をおごります(キャバクラなども可)」

 と記載してあった。たくさんの研修医が挑戦し、まだ誰も達成していない、とのことであった。この目標、今ならセクハラになるのだろうか。




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