11.夜明け前
「なぁホテルはどっちだ?」
「本当に分かってなかったんだな。よく今までその方向感覚でやってこられたな」
「でも本当に燐是だったんだな」
「何だ、信用してなかったのか」
「そうじゃない、感心してるだけだよ」
湿った風が吹いて、見上げた相手の長めの髪を乱す。
煩わしげにそれを払い除けた後に見えたその横顔は昇り始めた陽に反射して、青白く光っていた。
舗道を歩く与志人の隣を螢も歩いていた。
再び並んで歩けるそのことには密かな感謝を感じるしかなかった。
「分からなくても生まれつきの勘が働くんだ」
「その勘も昨日は随分鈍かったみたいだがな」
「そういう日もある。だけど直感には自信がある」
「振られてばっかでもか」
「信用すべき相手は間違ったりしない」
告げれば隣の顔から揶揄が消える。
相手は目を逸らすとまるでこちらと距離を取るように先を急ぐが、辿り着いた街灯の下で足を止める。
遠目にある後ろ姿はまだ残る闇に紛れてしまいそうだった。
追いついて隣に立てば、そこにいる相手を見上げる。
紡がれた声は覚えがないほど低く、嗄れていた。
「与志人……おれの家はもう随分前から呪われている。その呪いを解くためにおれはあの言葉を言い続けなければならない。先代もその前の先代も、もう何百年もずっとだ。どれだけ頑張って踏ん張ろうが、呪いが解ける確証なんかこの世のどこにも無いのにな……先代は狂ってた。だけど最初からそうだった訳じゃない。まともな時もあった。でも結局はそうなった。おれにも時々分かる。どうしてそうなったか」
再び歩き始めた背中にはこれまで見せなかった感情が滲んでいる。
じきに覆い隠すように失せてしまうであろうその前に断片に触れた。
「お前は地堂紫露じゃない」
「……分かってる」
揺るぎない言葉はすぐに戻った。
二人分の足音は、石畳の上を遠くまで響かせている。
夜明け前の
隣の影は成長しない身体に無言の感情をこれからも封印し続けていくのだろう。
今後も彼を傍で支え続けることができるのなら、その努力は惜しまないつもりだった。
「お前はお前の持ってるもので妹を救ってくれた」
与志人は隣の影に告げた。
彼が自分の力を忌むものだとしていても、昨晩は確実に誰かを救うものだった。
そして俺のこともな。
口にするのは少し躊躇われるその言葉は、言わなくても伝わっていると思った。
「あれは他の奴がしたことじゃない」
「他の奴でもできたかもな」
「そう思うのか?」
「思わない。親切で寛容、おれは他の誰よりも仕事好きのいい奴だからな」
見上げるその顔に朝陽が射した。
夜明けはこの街にも必ず到達する。
張り詰めた空気が緊張を引き連れて現れる。
白々とする通りに立ちこめる靄が、独特なにおいを纏わせていた。
「螢」
遠くに見え始めたホテルの前に人影がある。
黒い服を着た少女はいつからそこにいたのか、歩み寄る二人の姿に気づいて緩やかに顔を上げた。
湿り気を帯びた街の陰に次第に陽が昇る。
「与志人、おれは先に行くからな。腹が減った」
歩く速度を上げた相手の背が、少し軽やかにも見える。
与志人はその背に軽く笑みを浮かべると、先を行く友人の後を追った。
〈了〉
深闇の果て、夜明けの淵 長谷川昏 @sino4no69
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