第20話 選曲したるは『アイリッシュ交響曲 ホ長調』

 かくして、美しいクラシックが似合うミュンヘンの地で結局は厨二病を悪化させてしまった私は、帰国後は4人目の男を作ることもなく、しばしばの激務の中、今に至る。

 

 というわけで、同志諸君。もうお分かりであろう。来年から始まるリアリテスの第Ⅰ相治験の最終試験としての今晩の試験内容は、ゲルマン魂がもった医療的レーザーの持続的な照射。そして、ゲルマン的なリアリテスAIを通じての仮想現実支援機器リアリティ・クリエイターによるフィードフィワード照射を通じての脳内の現実感の活性化。また、国内での第Ⅰ相治験を前に国内初のリアリテスの連続稼働を行う実験対象は、私の脳。そんな私が脳の中に現実感を持って呼び起こすは、そう、ゲルマン人の懐かしい彼である。あ~、楽しみ、楽しみ。

 

 真面目な話、うつ病や統合失調症、さらには、ゲーム依存症の発症には、色恋沙汰れんあいが絡むことは多い。お分かりの諸君も多いことであろう。失恋は、時として社会生活すべてを吹き飛ばすパワーがあるのだ。一度、失恋に吹き飛ばされ精神状態が悪化してしまった場合には、治癒、すなわち、精神医学的寛解かんかいに至るまでに、辛い恋の経験を相対化する必要がある。今はゲーム依存症を発症しているように見える子たちにも、まだ私たち精神科医や他の大人たちには話せていない辛い恋の経験が潜んでいる可能性があるのだ。特に、年少の子の場合、失恋から立ち直るちょっとしたきっかけで飛び降り自殺などを企図しがちであり、慎重な配慮が必要なのだ。

 私は、年明けからのリアリテスの第Ⅰ相治験に、炬燵おこたに引きこもり中のちんこと鴨志田コウをリクルートしようと考えていた。昨日の午後まで、コウは比較的無難に第Ⅰ相治験に参加でき、大きな治療効果を上げる可能性もあると、私は考えていた。しかし、昨日、別人格を発症したコウの流した涙を見た私は直感した。

「ありゃあ、男に恋する乙女の涙だね」、と。

 PTSD類似と思われる多重人格症状を呈しているコウ。美少女どストライクの表情で流した涙に、ズキューンとされて、ちょっとお漏らししてしまった私は、女の勘で、リアリテスをコウに使わせるのは危険かもしれないと考え始めていた。

 明日、コウへの二回目の面談を行う。年明けからの治験を前に行われる年内最後の面談。コウの部屋に入る前までに、私は仮想現実支援機器リアリティ・クリエイターリアリテスへの治験への参加を打診するかどうかを決めなければならない。

 

 そう、今日のリアリテスの連続照射試験は、私にとって密かな楽しみでもあるのだが、少女、いや、美少女一人の命がかかっているかもしれない、精神医学的に見るに不可欠の試験でもあるのだ。多少疲れていようが、この試験は私が私の責任のもと、本日中に行わなければならない。

 

 ☆

 

 実験室に備えられた古びたDVDプレイヤーに手持ちのCDを入れ、私はクラシックを実験室に流す。

 選曲したるは、『アイリッシュ交響曲 ホ長調』。

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ゲーム依存症専門艶女医サイトウ先生、国際共同治験にてかっ翔ばす。 十夜永ソフィア零 @e-a-st

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