第19話 年下の彼の美しいゲルマン魂

 午後9時35分。私、サイトウは、ゲーム依存症治療支援としての認可取得を目指すリアリテス機器が設置された実験室に、一人入室した。

 

 慎重に慎重を重ねた動物実験を通じ、リアリテス装置が行う網膜へのレーザー照射の安全性は、確かめられている。しかし、脳への持続的なフィードフィワードを伴うレーザー照射作用は、予期されない精神状態を作り出す可能性はある。


 リアリテスは、ゲーム依存症患者さんたちに日常生活のリアリティを回復社会復帰を支援に活用するという想定用途での第Ⅰ相治験の中にある。人体での作用がまだ判然としない中で進められる第Ⅰ相治験には危険が伴う。


 かつて、インフルエンザのお薬の副作用で世間的にも有名になった薬剤による異常行動であるが、第Ⅰ相治験で投与される化学物質の中には未知の精神作用をもたらすものが数多くある。本来は精神科医の関与のもとで第Ⅰ相治験は進められるべきなのだが、製薬会社と大学病院の大人の事情もあって、抗精神病薬としての作用機序を期待している化学物質以外で第Ⅰ相治験の場に精神科医が参加することは未だ少ない。

 ……が実務的情況ではあるのだが、私は精神科医として一般薬の第Ⅰ相治験に従事したことがある。それも何を隠そう、かのゲルマン魂の地、ドイツでだよ。


 いわゆる研究者若手枠という奴で、な。この時だけはありがとう、文部科学省。兼任で大学教員になった今では、もう君のこと嫌いになっちゃったけどね。


 ☆

 

 あれは、まぎれもなくリアリテスを作ったプレジニアス社の本社もある,まさしくバイエルン州が州都はミュンヘン。19世紀から続くオクトーバーフェストで有名なこの地は、そう、まさしく黒ビールの聖地。私は夜な夜な聖地を巡礼し、黒ビールを飲んだ。

 そして、ソーセージにポテトもあって、もう最高!な日々だったのたが、本場ものの黒ビールとソーセージのおかげで、体重の方も人生最高になってしまった。そこからの私はソーセージ1本だけで黒ビールたちを飲むことにした。そんな糖質制限気味生活の結果、日本に帰国する時には、何とか私のボン・キュッ・ボンは復活を遂げたのである。


 三段腹気味となってしまっていたミュンヘンの私は、日中は、Es、Esと何度も唱え続けた。何しろ、Esはフロイト先生の基底自我ESであるまえに、英語で言うところの三人称it であるからして、慣れないドイツ語を話す私は、三単現さんたんげんの表現もまだおぼつかない中でEs、Esとブツブツいうことになる。治験における患者さんへの説明の場では、私のつたないドイツ語じゃ伝わらないから、第Ⅰ相治験における化学物質投与による副作用のおそれとか込み入ったことろは結局英語で伝えちゃうんだけどね。


 まぁ、その英語の説明の方も、カンペを日本から来た製薬会社のMRさんに用意してもらったものなんだけれども。当時まだ20代後半のぺいぺい精神科医の私に尽くしてくださったのは、パンツ姿が素敵なMRのケイコさん。


 午後四時には終わる治験業務の後には、いつも黒ビールとソーセージをごちそうしてくれてありがとうね、ケイコさん。うん、文部科学省の予算でミュンヘンに滞在していんだけれど、当時の私は公務員ではないから、接待交際費で毎晩の私のビール代は落としていいんだものね。ビール飲んでベロンベロンになるのは、女同士が一番だね。うん、ごちそうさま。

 

 そんな私は、ミュンヘンで恋にも落ちた。男性にである。私は時として女性にも恋に落ちるから、ちきんと言っておかなければならない。ゲルマン人男子に恋をしたのだ。

 

 そう、年下の彼の美しいゲルマン魂に。

 若干三段腹気味であったとはいえ、ゲルマン人女性には出せない妖艶な東洋的笑みを浮かべる私を彼も愛してくれた。彼は私の3人目の男。


 そう、腐女子とはいえ、本来はボン・キュッ・ボンであった私ではある。休みの日は引きこもってゲームやったり薄い本を読んだりしていたって、モテる時はモテるのである。特に医学部3年生の専門課程が始まった頃の私は、まさしくモテ期だった。その時に作った二人の男のことは後ほど話すとしよう。なぜなら、モテ期とはいえ処女膜ありありの純情乙女だった私は恋に破れた後、後輩女子とレズレズなことをしちゃうくらいに男に傷ついてしまったのだ。なので、そんな昔の話は体調が良い時に思い出すに限る……さておき日々の激務に疲れた私に、今必要なのは7歳年下だったゲルマン美青年の彼だったのだ。


 彼にとって、私は初めての女だった。そう、彼はそれまでゲルマン男性にしか愛されてこなかったのだ。前の彼との愛に傷ついた彼は、他の男からの愛を受け入れるのを恐れていた。その心のすきをついて、東洋から来たおねえさんであるところの私を好きになってもらったというわけ。


 うん、いい恋だった。結局その後で、私は振られて、彼はゲルマン人男性の元に戻っていってしまったのだけれども。でも、おそらく、私は、彼の生涯ただ一人の女。ロマンチックでしょ。


 例の二児の母にして腐女子仲間のスルガに、このエピソードを話すと、

「サイトウ、やはり最低だな」

 とコメントしたりはするのだが。

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