第3話

 突然村に現れた男の噂は、瞬く間に村中に広がっていました。サシャは世話好きなだけでなくおしゃべりなので、あちこちで話をして回っているようです。それをサンサやガラが聞きつけて、私に教えてくれました。

 リップとサシャの献身的な介抱の甲斐あって、男は徐々に回復しているようです。

 ただ、「ジョナ」と名乗った以外はまったく口を聞かず、食事もろくに食べていないそうです。

「きっとよほど戦場でつらいことがあったんだろう。可哀想に」

 サンサが地面に落ちた私の実を前足で転がしながら言いました。

「そういえば、ジョナはここに来たとき『お許しください』と言っていたよ。私は『どうぞどうぞ』と答えたんだが」

「バカだねえ、林檎の木にわざわざ許可を取る人間なんているわけないだろ」

 またガラに笑われてしまいました。

「きっと何かとんでもなく悪いことをしでかして、ここへ逃げてきたんだよ。リップは大丈夫なのかねえ、そんな男を家に上げて? 元気になった途端、手込めにされちまわないかねえ」

 想像するだに恐ろしいことです。思わず私が幹を震わせそうになったとき、サンサが「いやいや」と首を振りました。

「サシャの話によると、ジョナが着ていたのは偉い人だけが着る軍服だったそうだ。いまは乱れ髪と無精髭に身をやつしているが、もしかしたら高貴な人物なのかもしれない」

「高貴でも野蛮な男はいるだろ、サンサ?」

「それはまあ、そうだが……」

 結局私は幹をぶるりと震わせてしまいました。よく熟れた実がひとつ落ちたところへ、ちょうどリップがやって来ました。どきっとした私がまた震えたので、さらに実がぽとぽと落ちました。

 リップはにこにこと笑って、それを籠に入れて行きました。

 サンサはリップの後をつけていきました。リップは喜んで、かわいい野ぎつねを家に上げました。そこでサンサは、リップが私の実を家に持ち帰った後どうしているのかを知ったのです。

 リップは私の実をそのままかじっているのではありませんでした。まずは薄く切って、バターという牛の乳からできたものや、砂糖という甘い粉に混ぜて鍋で煮込むのです。その後、小麦粉でこしらえた生地に挟んでかまどで焼いているのだそうです。

「アップルパイというお菓子だよ。アップルパイには甘い林檎よりも、少しくらいすっぱい林檎のほうが向いているんだ。リンゴ君がつける実は、まさに最適というわけだ」

 サンサはよく人間に餌をもらっているので、人間の食べ物事情にも詳しいのです。

 さて、リップは焼き上がったアップルパイを、ジョナに食べさせました。

「……おいしい」

 いままで一言も話さなかったジョナがつぶやきました。言葉はたった一言だけだったようですが、ジョナはアップルパイを残さずきれいに食べました。

「そのときのリップの嬉しそうな顔といったら。リンゴ君にも見せてあげたかったよ」

 私は嬉しいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになりました。そうして理解したのです。きっとこれが恋なのだ、と。

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