第3話 職場で新たな出会い

「樹神かやと言います。今日からこちらの事務所でお世話になります」

挨拶をして、目の前にいる弁護士さんであろう人と、そのまわりでお仕事をされていた事務員さんや秘書さんたちに深々と頭を下げた。実は昨日の夜、部屋で一生懸命挨拶の練習をしていた。もし、緊張で失礼な態度をとってしまったらと考えると、恐ろしくて仕方がなかった。


「樹神さん。よく来てくださいました。話の方は事務員から伺っています」

そう言って、さっきまで大きな椅子に座っていた弁護士さんっぽい人が、私の所に向かってきた。座っていても座高が少し高そうに見えてはいたが、立ったらやはり大きい。身長はだいたい188cm…といったところだろうか。パリッと着こなしたスーツ姿が良く似合う。クールで厳しそうないけ好かない上司、という印象だ。


「高田事務所の弁護士をしております。高田 いづきです。あ、一応ここの事務所は僕が立ち上げた事務所でして、僕以外に弁護士さんがいらっしゃらないです。なので、樹神さんは修業じゃないですけど、部下というような形で入られるということになると思います」

知ってますよね、と微妙な苦笑を浮かべて頭をポリポリとかく。第一印象とは違い、とても優しくおっとりとした喋り方をされた。これが多分、もったいないイケメンというやつなのだろうと、私は1人で感心してしまう。


私は、よろしくお願いしますと、改めて頭を下げて挨拶をした。


「それでは早速なんですが、最初のお仕事をお願いしても宜しいですか」

そう言って高田は、私の顔を覗いた。

「もちろんです。そのために来たんですから!」

そう言って私は胸を張ってみせる。頼りになりますねえ、と言いながら、私を仕事する部屋へと案内する。

部屋は最初にいた場所から少し離れた階にあり、部屋に移動するまでの暇な間、色々な話を高田から聞いた。弁護士としてのあり方や、クレーマーの対処法。この事務所の歴史や、更には私を選んだ理由まで。

どの話をしている時も、高田はニコニコと笑っていた。話すのが好きなのだろうか。私がなぜだなぜだと質問攻めをしても、嫌な顔一つしないでニコニコと答えてくれた。一瞬、どうせ営業スマイルだろうし崩れてボロが出るだろうと、思ってはいたものの、彼の完璧すぎるその笑顔は、崩れるような素振りは一切なかった。

本当にこの人、人間なのだろうかと疑ってしまうほどだ。


そんな事を考えながら歩いていたら、とある部署の扉の所で、高田の足が止まった。

「ここです。入りましょうか」

扉横にかけられた名札のようなものを見ると、「雑感部署」と達筆なフォントで書かれていた。雑感。聞いた事の無い言葉だ。

「あのお、雑感って…」

「ああ。これですか。珍しいですよね。やってみてからのお楽しみです」

そう言って高田は、再度私に笑いかけ、部署の扉を開けた。


「さあ。どうぞ入ってください」

高田に言われるままに、部署にお邪魔する。

「え…」

中に入って私は思わず固唾を飲む勢いで、緊張感が増した。


「狭くてすみません。なんせ、そういう部署なもので」

高田はまたもや頭をポリポリかきながら、部屋の中を進んでいく。


ここでなぜ、私が固唾を飲むほど緊張してしまったのか教えよう。


「あの…部屋って…」

私が入った部署の部屋は、だいたい六畳間程度のスペース。ソファーなんざおこうものなら、仕事は出来なくなってしまうだろう。それだけじゃあない。この部屋になんと担当が既に4人在席していた。おいおい。六畳間だぞ。スペースは一切ないじゃないか。

そして現在この部屋にいるのは、新しく入った私とボスの高田を合わせて計6人。つまり、一人1畳ずつのスペースで仕事することになっているのだ。

どう考えてもありえないだろ!狭すぎるわ!、と思わず突っ込みたくもなるが、さすがにそんなツッコミをこれからお世話になる上司にするのも失礼な事だろうから、ここは何も言わず知らないフリで突き通すことにした。


「とても個性的な…なんというか、独自な感じがしてともいいですね」

ここはとりあえず褒めておくのが最適だろうと思う。すると高田は、嬉しそうに胸に手を当てて観劇のポーズをとった。

「いえいえ。大変恐縮です」

恐縮だなんて言いながら、内心とても嬉しそうだ。

とりあえず高田を適当にあしらう。


「じゃあ、挨拶がまだだったのでしますね」

そう言って高田は、私に一礼をしてトコトコと部署員の所へ足を運んだ。


「こちらの身長が高いガッシリ筋肉くんが、部署のリーダーをしている、矢部 あつひこくん。なんと身長は184cmと、すごく高いんです。ほらあつひこくん、挨拶してください」

「あ、どうも。矢部あつひこです。よろしくお願いします」

そう言って矢部は、私に深々と頭を下げた。一見すごく怖そうで、The 体育会系!という感じがしたが、実はシャイなようだ。喋り声が意外にも小さく、見た目の割に大人しい。

高田はニコニコしながら、次の部署員の元へと足を運ぶ。


「この小さい男の子が、進藤 ゆきくん。ゆきくんは、某東京のトップ大学卒の高学歴持ちなんですけど、それだけでなくモデルもやってたりとかして、すごいんですよ。ほらゆきくん」

高田が進藤の背中をとんと押した。

「高田さん、買いかぶりすぎです…あ、進藤ゆきです。身長は160cmちょうど。小さいけど、自分に出来ることは精一杯しますので、分からないことがあったら、なんでも仰ってください」


「じゃあ次。このメガネ君が、泉 りんくん。細身で高身長だからモデルさんに間違われるんですけど、やってません」

キッパリと言った高田がニコッと泉に笑いかける。

「モデルではないですが、スポーツならしていました。泉りんです。一応文系脳ではありますが、理系もちょくちょく勉強してはいるので、分からないことがあれば躊躇わずお聞きください」

そう言って泉は私の目を見た。切れ長な目をしている彼は、今にも私を吸いとってしまいそうなほど、見とれる目をしていた。


「最後に、端っこにいるこの子」

高田が指を指したのは、部屋の隅で作業をしていた人だった。

「彼は河野 なおきくん。優しくていい子なんです。某KO大学卒で秀才くんです」

高田に言われて、嬉しそうに彼は笑った。とても綺麗な笑顔で、つい惚れてしまいそうになる。

私は思わず自分から挨拶をした。

「よろしくお願いします!」


しかし…

「えっ、あの…よろしくお願いします…?」

よろしくという私の放った言葉にどういう感情を抱いたのかは知らないが、河野は表情をひとつも変えず、何も言わないまま、その場に突っ立っていた。

ニコニコとひたすら笑う彼の表情は、見ているとなんだか怖く感じてくてしまう。

「えっ…あのぉ…」

河野の顔を改めて覗く。しかし彼は、一向に表情を変えず、それどころか一言も喋ろうともしない。


「ああ。言ってませんでしたね。彼は、喋りませんよ」

突然、隣にいた高田がしゃべり出した。喋らない?どういうことだ?喋れないじゃあなくて、喋らないってどういうことだ?


「なおきくんの耳は聞こえていますから、今あなたが言ったこともわかっていますし、なんと受け答えすればいいかも理解しています。あなたと同じ健聴者ですので、手話を使われる必要はありませんから、ご安心ください」

なんだか訳の分からないことをペラペラと発し出す高田。健聴者で喋らないって、意図的ということなのだろうか。そうなのだとしたら、なぜ喋らないのか。私には不思議でしかなかった。


「喋れないんじゃあないです。喋らないんです。彼は、健聴者ですから…」

同じことを繰り返して言う高田の顔が、少しづつ下を向く。そんなに重い物を河野が背負っているのかと思うと、話を聞くのは少し気が引けてしまう。

「あ…いいですよ。無理に教えて頂かなくて。職場なんですから、そんなに干渉する必要もないですし」

そう言って、とりあえずこの場を乗り切ろう。私は緊張で少し強ばっていた胸をなでおろした。


「…じゃあ改めて、この子達と仲良くしてやってください」

そう言って高田は、再度微笑んだ。やはり高田の笑顔は見ている人を包み込むような優しい笑顔だと感じさせられる。

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