第36話
あれから何年経ったのだろう。
私はまだ生きている。不思議。
外の生活なら雑事にかまけて、記憶が薄れるはずだが。
でも、確かに、肝心な所はポツポツ抜け落ちている。
あの日、小黒さんになんと言われたのだろう。
水木さんが大泣きして、事務長が真っ赤な顔をして、待合室の患者から何事かと視線を浴びせられ…
確かそうだった。
夢をみれば必ず強烈な不快と共に夢の中の泣きっ面が蘇ってくる。
私は何度も何度も、振り返っている。
ここで何時間も、何日も反芻している。
「313番、作業止め」
桃子は黙々と進めていた手先を止め立ち上がり、貫禄のある群青色の女の後に従った。
「しっかり立って!はい!いち、にい、いち、にい」
蒸し暑い室内を出て、長い廊下を手を振って行進し、二つの十字路を通り過ぎて、鉄格子の前に到着した。女は桃子に後ろを向くように指示し、テンキーを押して扉を開けた。
「入れ!」
深く礼をして、扉の向こうに前進する。
ドアが開いている。
いかつい顔の、さっきよりずっと太目の女が通路を塞ぐように立っていた。
「313番、そこに名前、書いて」
黒のボールペンをとり、赤い枠の中に名前を書き込むと、警棒で指示され、ようやく座ることができた。
厚いガラス越しに待っていたのは、裁判を担当した弁護士の若林だった。
1か月ぶりの面会だった。
「体調は?寝てますか?」
「はい、問題ないです」
いつも無精ひげをはやして、ポロシャツの上からパーカーを羽織っていた。おおよそその仕事に就いていることが窺われないような、少年のような格好で毎度登場した。とうに50は過ぎていると聞いた。
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