第30話

「緊張するなぁ」

「なによ」


今日のために三日も酒を控えたのに、昨日は仕事でイヤなことがあって我慢できず深酒、それで酔った勢いでトオル君を激しく愛撫、目の下のクマがなかなかとれずに、すっぴん美肌を自慢できない。


時間のかかる下準備を後ろに、トオルはスマホの画面を見ながら、やっぱりなぁ、とため息をついていた。


「ピコピコばかりやってないで、たまには人間社会の営みに触れるの」

「…そういうの苦手だから、トレーダーしてるわけで」

「さっきから何、見てんのよ」

「…やっぱ、あの銀行ヤバい」


真澄はスポンジを頬にあてながら、独り言のようにヤバいを繰り返す、トオルを振り返った。


「さっきからうるさいわね」

クマがどうしても隠しおうせなくて、真澄はイライラしていた。

「…合併のうわさもあるし」

「よし、今日はしょうがない。トオル君、いきましょ」


真澄はトオルの言葉を無視して、アイシャドウのノリを確認するようにつよい瞬きを繰り返した。


場所はいつもの居酒屋だった。


「こちら阿木真澄さん、彼氏のトオルさん」

「す、杉田っていいます、どうも」

「こちら、小黒さん」

「はじめまして、小黒といいます。よろしくお願いします」

「こちらこそ」


小黒も真澄も、社交辞令が表に浮かぶような、会社勤めがわかるような、張りのある声で挨拶をかわした。この二人はいわゆる社会人で、私やトオル君は閉鎖空間の人間だ。


「乾杯しましょ」


真澄は率先して、飲み物、料理の注文を差配した。遠慮しているのか、いつものレモン酎ハイのペースが鈍かった。

トオル君は相変わらず、コーラやウーロンで、ぼそぼそと視線を恐れるように小黒の話に頷いていた。


「銀行は金融庁の監査にいちいちひれ伏しながら、仕事してますから窮屈なもんです。公僕ですよ、それも下級の」

「そんなことないわ、だって東京新生銀行といえば誰でも知ってますし、桃子から聞いたけど最年少支店長ですって」


小黒は苦笑いをしながら、


「話を大きくしちゃうから、桃子さんは」


小黒は桃子を一瞥して、ジョッキをスッと口に運んだ。

真澄には好印象に映っている、という感触。

ひとまず第一関門はクリアだろう。

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