第17話

程よい冷気が流れ、汗が乾き、裸のままの小黒は隅に置いてある手提げバックへ向かって身体を起こした。


「ちょっと早いけどコレ」


小黒が取り出したのは、ピンク地に王冠の柄で包装された箱だった。


「あら」

「ゴメン、実は来週、急に出張が決まってね。開けてみてよ」

プラチナゴールドのネックレスだった。一粒ダイヤが上に向かって光っていた。

「素敵、こんな高価なもの、いいの?」

「もちろん。気に入った?」

「ええ、とっても。でも一緒に旅行できたらもっとよかったのに」


来週、桃子の誕生日に、初めての1泊旅行に出かける予定だった。

「温泉、行きたかったなぁ」

「ゴメン、ゴメン。埋め合わせはするから。それはそうと、この前、僕の推奨した株、暴落したでしょ」


小黒が意地の悪い顔つきで初心者の桃子に含み笑いを向けた。

「そうなのよ、もう小黒さんったら!」

「それで翌日の株価みた?」

「ウォッチリストから抜いちゃった。腹立つもの、早く忘れたいからみてないわ」

「10%、暴騰したんだよ」

「エー!!」

「ひょっとして、売っちゃったでしょ」

「そうなの、怖くて、売っちゃったのよ。なんで知ってるの」

「やっぱり。落ちたら買いだっていったのに。あの会社はね、まだ利益がでてないくせに、図体がでかいから、たいしたことない悪いニュースで10%くらいはすぐおっこっちゃう。でもここ10年、それの繰り返しでIPO以来、100倍になってるから。君も株心理学の罠にはまったね」


「そうだったんだ。やっぱり、むずかしい。私には無理かな」

「大丈夫。その経験を何度したって、大半の人間は君のように売ってしまう。でも失敗を肥しにして、原則を守れば、必ず利益がとれるようになるよ。僕がついてる、心配しないで」


小黒はそういって唇を近づけてきた。

「わかったわ、今度はしっかりやってみる」

「ちなみに君が預けた当銀行の資産はちゃーんと、増えてるからね」

「プロは違うのね。尊敬しちゃう」


桃子は安心しきったように、小黒の腕に巻き付いた。

知り合って、9か月。もうすぐ33歳。別に焦っているわけじゃないけど。調度10歳上の小黒さんは、仕事も性格も十分大人。私は引きこもっていた分、社会経験も人間も、化粧も、何もかも足りない。

だけどこの人とずっといたい。一緒になりたい。


「小黒さん…」

「うん?どうした。改まって」

「前の奥さんって、どんな人」

小黒はせせら笑って、身体を桃子に向けた。


「やっぱり気になる?」

「あ、…いいの。私は。今、こうして」

「気になるのは当然だよね。結婚生活、9年。38で別れたから。だいぶ記憶が薄れていたよ。桃子さんとは全然、違う人だった。子供はできなくて…激しい性格の人だった」

「きれいだったの?」

「ああ、とてもきれいだった」

グサリとくる言葉をあっさり小黒はいってのけた。


「でもね。そんなことはどうでもいいんだ。若いうちは気づかなかったんだね。毎日が緊張の連続でね。会社での出世、出世させられた、というのかな、彼女に押し付けられて、見栄えばかり気にして身を粉にして働いたよ」

「それで、最年少店長…よかったわね」


桃子は寂しそうにかすれた声をだした。聞けば聞くほど落ち込んだ。

自分が貧しい人間になったような気がして、それ以上目を合わせられなかった。小黒に背を向けると、自然と涙が湧いてきた。

「泣いてるの」

「ごめんなさい」

「この話は終わり。一言付け加えると、僕は結局彼女に捨てられてね。でもしばらくすると目が覚めて、ようやく解放された気分になった。それで桃子さんに出会って、今が一番幸せかな」

「もう、小黒さんったら」

桃子は泣き笑いで、小黒のお腹をつねった。

「オッと」

それから二人は確認しあうように、互いの髪の臭いをかいだ。好きな香りだった。桃子はけして彼を離さないと決めていた。小黒さんは私のものだ。

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