第15話

「荒木さん、悪いけどさ、例の有栖谷のお婆さん、面会にいってくれないかな。あの人、うちのビップなんだよ。受付の女の子はどうした、と、担当の看護師に毎日いっているらしい。わがままでどうしようもないけど。上の指示なんだ、ゴメン」


「うえ?」


「理事長の指示。お婆さん、とんでもない金持ちらしいんだよ、水木さんには説明したから、ネ」

語尾に、ネをつける、ちとキモイ癖の事務長は実のところ、オシがつよい。温和なようで、任務にはキツイ。


桃子は病院に、2つしかない特別室、たしか1泊20万だった、へ向かって、エレベーターのボタンを押した。


「おやおや、あんたかね、桃子さん。助けてくれて本当にありがとう。おかげでほら、すぐ処置してくれて」


有栖谷のお婆さんはそういって、サックで固定された左手をみせた。


「幸い、ちょっとヒビが入ったくらいだから手術はいらないって。よかったわ」

桃子が部屋に入ると同時に、こちらの挨拶もままならず、お婆さんは待ちかねたように言葉を続けた。


「あの人がもうちょっとしっかりしていたらねぇ。少しボケちゃって、うちは誰も頼る人がいなくて。まったく困ったものよ。さあ、さあ、掛けて。お口に合うかわかんないけど、いつも利用しているケーキ屋さんから取り寄せたのがあるから、いっしょに」


お婆さんは冷蔵庫の扉を開けた。


「あ、私が」

「おやおや、すまないねぇ。お皿はこっちに。コーヒーもうちのお手伝いが作ってくれたのがあるから」


普段は議員や社長が使うことが多いため、やたらと長ったらしい、重厚な作りの机に椅子が6脚もついていた。

桃子はコーヒーとケーキのペアを並べ、席についた。

カカオの香りがしっかり漂う、モンブランだった。


「とても美味しいです。有栖谷さま」

「よしとくれよ、サマ、なんて。こんなしがない婆さんだけど、ちょっとさっぴいて、おばさんって呼んでくれないかしら」

「それは…立場もありますし」

「じゃ、おばさま、くらいで妥協しましょ、そう呼んで、わたしのこと」

「かしこまりました、おばさま、で」

「わたしゃね、これでも人を見る目があるのよ。父親の会社を引き継いで、隠れ社長でいろんな人間をみてきたからね」

「隠れ、社長、ですか」

「そっ。夫が社長で、私が裏の社長、でもね、ずっと前に引退したわよ。株だけもって、口は出さずで、生え抜きさんに譲ったわ。それが創業者の父親の遺言、3代世襲は絶対ダメだって」

「生え抜きさん?」


次々と聞いたことのない言葉が飛び出してきて、その都度、桃子は有栖谷おばさま、に問い返した。

おばさまの素性。会社を縁戚のない、生え抜きのサラリーマン社長に譲り、自身は大株主として名誉職にとどまり、配当金をもらって優雅に暮らす、82歳の大人物、とのことであった。


小黒に知り合ってから多少は株式会社の仕組みを知るようになってはいたが、偶然、おばさまと近しくなって、曖昧であったけど頭の中でいろんなことがつながった気がした。


「ところで、桃子さんはおひとり?」

「ええ、一人です、独身です」

「フィアンセはいるのかしら」

「いえ、まだ、そういう…」

「あら、そう。こんなにお可愛いのに。うちは、息子が二人とも片付いちゃったし。早く知り合っておけばねぇ」

「いえ、いえ、そんな…」

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