第14話
桃子は小黒が推奨した、銘柄の値動きをぼーっと眺めていた。すでに全部で100万円分、7銘柄、買っている。
「日足、週足、月足のチャートで確認、とかいってたな、小黒さん」
チャートのランダムな動きは気にしないようにって。
しばらく見ていると、突然、一つの銘柄が、点滅しながら下がっていった。
「なに」
わけもわからず、含み損が増えていくのをみて、不快な動悸がした。
「下がったら、買い、だからね」
小黒は確か、そういっていた。
でも、買い、といわれても、今、逃げないと、もっと損する、のでは?
と、考えている間にも、含み損は増えていった。
マイナス7%と表示が出たところで、桃子は耐えきれずに、売り、をタッチした。
「マイナス、200ドル?」
損確定後の画面にそう表示されていた。
「二万二千円?ってこと、えー」
それは世界的なネット通販網をもつ、誰もが知っている、アメリカの巨大企業だった。
桃子は放心して、手元にスマホを投げた。
他の株は、少しずつ含み益が増えていたのに。
ため息をつきながら、シーツを頭にかぶった時、待ち受け音が鳴った。
小黒さん!
しかしそれは滅多に連絡のこない、姉の倫子からだった。
「桃子?もしもし」
「はい、わたしよ、桃子。のりこ、どうしたの」
倫子とかいて、のりこ、と読む。
こういう場合は大抵トラブルの相談だ。また男の話だろう。
「どう?うまくやってる」
「別に。なによ」
「何って。私の方はうまくやってるからさ。心配しないで。今度、キョウトがね、推薦で大学決まったのよ」
響雄、とかいて、キョウトと読ませる。姉の長男だ。産みの親が両方とも、3流なのになぜかとびぬけて成績優秀な子が生まれた。
「本当に、私の子なのかしらねぇ。医者になるっていうんだから」
「おめでとう。息子が医者なら、姉さんも安泰ね」
「あんたはどうなの、誰か良い人いないの」
「うん…」
いつもと違う声音に倫子は反応した。
「あれ、ひょっとして、良い人いるの、ねぇどんな人」
その話題になると、いつも低い声で、なんもないよ、と返事していたのが、倫子はしつこかった。
仕方なく桃子は簡単に小黒のことを話した。
「へぇーよかったねぇ。バツイチでもいいじゃない。おまけにコブもついてないんでしょ。よかった、よかった」
子供だとか、義母だとか、前妻の慰謝料だとか、男で苦労し、その係累で苦労し、姉はそれらをすべてまとめて、コブ、と表現していた。
結婚する上での注意点といって、一通り倫子は講釈を続けると、電話の目的に話題を変えた。
「それで、入学金とかいろいろかかるから、お金貸してくれないかと思って」
「うん、いいよ。合格祝い、ね」
男にはだらしなかったが、金についてはなぜかちゃっかりしていて、これまで何度かそうやって融通してきたが、1年くらいで、いらないというのに、ちょっとだけ利子をつけて返済してきた。
「とりあえず、300万、お願い」
「え?300、300かぁ」
今までは多くて、100万くらいだったのに。医学部は忙しくてバイトが難しいから、国立大学といったって、いろいろ揃えると初年度だけで最低2,300万は飛ぶのだそうだ。
投資のことまでは話していなかった。貯金はあと、200万しか残っていない。それに、今、株で損したばかりだ。苦労して貯めたお金を失うって、ありえない。
「200万しかないの」
「あれ、どうしたの。この前、1200万がどうのって」
「うん、実はね」
すぐに後悔したが、ことの経緯を説明した途端、電話越しでもわかるくらい、倫子の様子が変わった。
「おかしいよ、その人」
たくさんの男を経験した姉の話は妙に説得力があったし、母親がいない今、老婆心から桃子に注釈しているのだとはわかっていたが、小黒と出会った幸運をぶち壊されたようで、イラっときた。
「やめてよ、そんな言い方」
もし知り合って、2回目で身体を預けた、ことをいったら、倫子からさらに逆襲をくらうのは必至だった。
「気をつけなさい」
先輩気どりの倫子はしつこくそういった。桃子は我慢できず、吹きかけるようなため息をついて、スマホをタッチし会話を閉じた。
シャワー浴びて早く寝よう。
憤って下着を籠に投げつけた。こんな時に限って、ポロリと落ちて中に入らない。
「あーむしゃくしゃする」
水を浴びながら、まったく、もう、と、勝手にいきり立った。いつもより長い時間、水流を顔に近づけて、倫子の悪口を吐いた。だがかえって胸くそ悪い、変な感覚がこみ上げてくるのだった。
火照った身体をタオルで拭いて後に、ようやく落ち着く。
ふと、身内で唯一のしっかり者、かわいい甥の顔が浮かんだ。
{とりあえず、200万、振り込む}
そう、メールして、部屋の電気を消した。
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