第13話
「荒木さん、悪いけど受付、手伝ってきてくれないかな。子供が熱だしちゃって、ひとり、帰らなきゃいけないって」
「わかりました」
事務長の安西が桃子に声をかけると、水木のおばさんは、
「桃ちゃん、いいよ。こっちは大丈夫、あとはやっとくから」
派遣はあれやこれや、雑用をやらされる。でも座ってばかりの仕事も窮屈だから、たまには接客もいいかと心を入れ替える。
「本日、退院でございますね。7日間の入院で、65000円になります」
足の悪いお婆さんが大きな札入れから、お金を取り出す。夫の退院だろうか、数えるのに時間がかかる。
「目がわるくてねぇ。ちょっと待って、えーと、1、2、」
ごっそりと札が詰まっていた。ようやく数え終わると、どでかい財布をおぼつかない、震える手でバックにしまい込んだ。孫につかうのか、病院に使うのか、わからないけど、あるところにはあるのかとチョイ呆れた。
「はい、確かに。7万円お預かりします」
「若い人はそりゃあね、カードで払うみたいだけど。私らみたいなのはわかんないからねぇ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。いま領収書を発行しますのであちらでお待ちください」
その老人はO脚で膝が曲がっており、一歩踏み出すにも、床を杖でカツンと叩いていた。
桃子は事務で清算すると、おつりの5千円札を封筒に入れ、腰かけているお婆さんのもとに足を向けた。
「おやおや、あんがとさん。わざわざすまないねぇ。先生には寸志あげたけど、あんたにもあげようかねぇ」
「とんでもございません。どうぞ、お気遣いなさらずに」
そんなことでお金を配るなんて。随分、余裕だな。
こういうご老体を人生の勝ち組と呼ぶのだろうか。
よくよくみると、妙にラメの目立つ服、場違いな程白びかりする指輪、太くて曲がった足には、小バラの散らばった派手なパンプスが収まっていた。
「お大事に」
「どうも、どうも」
お婆さんはそういって振り返り、最後列に気弱そうに座っている夫と思われる、男に向かって手をふった。
「タクシーだよ、タクシー、呼んで、呼んで」
と、踏み出したとたん、お婆さんが、固定椅子に足を取られて、前のめりに倒れてしまった。
「イターっ」
驚いた桃子は放り出された杖をとって、「大丈夫ですか」と咄嗟に寄り添った。
「イタァ、痛い」
お婆さんの左手が背中を向けて変な曲がり方をして、全体が真っ赤になっていた。
「イタァい。痛いよ」
老体からは想像できない、大きな声に周囲の患者が何事かと、円を作って集まった。遠くにいた夫が、よれよれと息をきらし、やっとのことで到着した。
「助けて、アンタ!痛い、痛いよぉ」
お婆さんは息も絶え絶え、おじいさんに向かって叫んだ。
おじいさんはオロオロするばかりで、お婆さんの肩をさすったり、無理に起こそうとしたり、動作がまとまらない。
「先生!」
そこに外来がひと段落ついたのか、整形外科部長の山木が通りかかった。
当直明けで寝ぼけていたのだろうか、ウン?と半分落ちたような目つきで桃子に近づいてきた。
「患者様が」
山木は腰をかがめて、お婆さんの手元に近づくと
「折れてる」
そうつぶやいて、
「おばあちゃん、うーん、言いにくいんだけど、すぐ入院した方がいいんじゃないかな」
「痛い、痛いよ、先生。この痛いのをどうにかして」
「わかった、わかった。ご主人、手続きとっていいかな?」
「ああ、ぜひ、ぜひにぃ。私が治ったばかりなのに、お前、お前、」
山木は桃子に診察室から担架をもってくるように指示した。
結局、桃子はお婆さんがベットで落ち着くまで、付き添う羽目になった。すぐ受付に戻ろうとしたが、なかなか手を離そうとせず、
「あの人じゃ、頼りにならないからねぇ。あんたが傍にいてぇ」
と泣きじゃくっていたのだ。
桃子が、大丈夫、大丈夫と繰り返して、立ち去ろうとすると、なぜか事務長の安西が桃子の背後にいて、
「受付はいいから、有栖谷様に付き添って」
と耳元でささやいた。
「ありすや?」
聞いたことのない姓に、状況が即座に理解できず、とりあえずの指示のまま、桃子はそのありすや、のお婆さんの手を握り続けた。
担架が小走りにレントゲン室へ向かう一方で、頼りない夫もまた別の事務職員が付き添い、よろよろと追いかけていた。
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