第3話

時間年休をもらい、銀座支店に赴いた桃子は入口の案内係に誘導され左端の椅子に座った。

同年代と察する、女性行員が

「確定拠出年金でございますね」

といってパンフレットを差し出した。

「当行は朝日証券と提携しておりまして、以下の商品がございます。お客様、確定拠出年金の節税メリットについてはご存じでしょうか」

「あ、いえ、まったくなにもわかってなくて」

「その点についてもこちらに説明書きがありますので、お持ちください。お客様が仕組みを理解された上で後日、商品を選びますか、それとも…」

「おすすめとか…職場の人に聞いたんですけど全世界株式は…」

「それもございますし、リスクに応じてリターンの大きい投資信託もございます」

「投資信託?」

「はい。小口に資金をつのってファンドマネージャーに運用を代理させ利益を分配する商品でございます」

金融用語をまるで解さない桃子だったが、わからないなりに質問を続けていくとなんとなし、全体像を整理した気になった。要は現在年金として国に納めている毎月のお金を投資に回して、老後に備えよ、ただし自己責任で、ということらしい。

現在32歳の桃子の場合、60歳の受け取り年齢を考えればリスクをとって、もう少し利益が見込める商品を選んではどうかと、行員はいうのだ。

「でも投資って怖いから」

「個別株とは異なります。金融庁の指導でリスクの大きい商品はおいてございませんので」

その女性行員の後ろで、40代ほどの男がこちらを気にするようにちらちらと目線を向けていた。背後から妙な圧を感じて振り返ると、不機嫌そうな顔つきの初老の女が腰掛けていた。

説明を続けようと、パンフレットのページをめくったところで、男は立ち上がり、こちらへ向かい

「お客様大変申し訳ございません。別室でわたくしが説明させていただきます。君はあの方を」

背後の女はいきり立って、桃子が座を去るのを待たず、まるで子供の椅子取りゲームみたいに席を変え、即座にバックから通帳を取り出した。

「いらっしゃいませ」

「分配金が減ってるじゃないの!!」

真っ赤に沸騰して止まらないおばさんに、女性行員がひたすら首を垂れるのをよそに、桃子は男の後をついていった。

「確定拠出年金のご相談でございますね」

席についた桃子は改めてその男の姿を目に入れた。紺のネクタイがよれずに胸元に置かれ、シャツのパールホワイトのボタンがしっかり光っていた。枠なしの眼鏡が細い顔に清潔感を与えている。

「当方に限らず、銀行にとっては自虐的な話になりますが、ゼロ金利政策によって、お客様の預金に利息をつけるのが難しく、つまりは預けているだけでは資産は増えません、これが金融政策の現状でございます。そこで政府としましては、自己責任のもと運用で資産を増やし老後に備えよ、ついては政策の推進のため税制も優遇する、おおざっぱにいうとこのような制度となります。ここで大事になるのが運用商品の選別です」

細い顔の上唇や顎には、職場のおじさん達のような剃り残しや擦過傷の跡がまるでなかった。銀行員ってそんなものかなと思いつつ、ついつい話を聞き込んでいった。

「……つまりそのファンドが将来どの程度利益を稼ぐのかは誰にもわからないわけで、特にアメリカに上場されている株価指数に勝つのはほとんどの場合、難しいわけです」

「アクティブとかパッシブとか、そういうふるい分けなのですね」

「そうです。指数連動のパッシブファンドをお選びいただく方が無難です。次に手数料の安いものを選びます。おおざっぱにいって年間の管理料が1%をこえるものはおすすめできません。ですので、当銀行の商品ですと、この4つになります」

男はそういって、ペンで黒い丸を4か所につけた。

「あの、さっきの女性の方はもうすこしリスクを取った方が…」

「そうでしたか、それは…まあいったん、お忘れください。ご興味があれば別の機会に説明させていただきます。そ、れ、で。成長性を考慮すれば最もおすすめできるのはこちらとなります」

男は米国500と書かれた投資信託に星をつけた。

「わかりました。これにします」

桃子は即答した。それが桃子の気持ちだった。男は桃子の即答にわずかに驚いたようだったが、

「ご理解いただいて光栄です。それでは書類をお持ちしますので、しばらくお待ちください」

日本画の額縁が、調度、桃子の視線の上にあった。下に向くと、支店長、小黒啓二と書かれた札がスチール机の前に置いてあった。ノートパソコンが斜めに向いて、スリープモードの幾何学模様が黒い中を舞っていた。これも桃子の職場と違って綺麗に照り、ゴミや汁のシミはひとつもなかった。

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