第2話

これでも小学校の頃はちと真面目で、クラス委員長こそしなかったけど、先生からは褒められることが多かった。勉強は嫌いじゃなかった。今思い起こせば、いわゆる主要科目の、国語と数学は結構できた方だと思う。

塾へ行けとはいったけど、母親

---父親は私が生まれて後、交通事故であの世にいったから、3歳上の姉と3人の母子家庭。保険金が入ったからアパートは貧弱だったけど暮らし向きはそう悪くなかった---

は厳しくもなくて、おっとり型のちょい抜けたような人だったから、適当にやり過ごして公園で遊んだりしていた。

中学は普通、高校も普通…普通すぎて段々めだたない存在に変化していった。見かけ、それも普通。きれいでもない、かわいくもない、愛想がいいわけでもない、しかしブスではない。(そういわれたことがないだけ)

結局、取柄も特徴もないまま、東京簿記なる専門学校へ行って1級をとれとれとせかされたのに、ぼんやりしていたら昼間の仕事の忙しさにかまけて参考書の山をほったらかしにして、一人暮らしをだらだら続けていた。

派遣の登録でもう10か所以上、職場は変わったけど今のところには最長の3年も居座っている。

今年32歳。

だよ!

パワハラもセクハラもない、飲み会も、冠婚葬祭もない、味気ない職場だけど、法人が儲かっているのか、給料は悪くない。

去年乳がんであの世に召された母親からは、遺産のようなものを頂いてそれが普通預金の口座に800万程置いてある。姉は子供が二人いたが変な男にだまされて父親がそれぞれ違う。気の毒だから姉には多めに遺産分をあげた。3か月前に電話した時には下の子がようやく小学校にあがる、手が離れるとかいって喜んでいた。また新しい男でもできたのだろうか。母が散々お説教したのに男に頼る性格は治らない。頭は私と変わらないのに、顔だけ普通より上の、八重歯とほくろが特徴の美人の役得だろうか、意外に男は寄ってくるのだ。

わたし、私はといえば、5年前に専門学校時代の男と別れてから誰とも付き合っていない。

酔った勢いでアプリを登録してラインの交換まではいくけど、直に会ったのは2回だけ。それも10歳も年上のおじさんでホテルこそ誘われなかったけど、私を見る目が品定め路線ありありで、だんだん吐き気がして、食事の後、苦し紛れの挨拶だけしてさっさと帰った。

見た目に金をかけるでもなし、それなりに年も食ってきたからしょうがないかなと、もう最近ではあきらめの境地が、ぽこんと膨れたお腹から出入りしていた。


「荒木さん、これ処理おねがい」

「はい…えっと、AH証券、確定拠出年金のお知らせ、時々見かけるけどなんですか」

「自分の年金を毎月投資するのよ、知らないの?とはいえ私は来年60だから、やってないけどね。国が面倒みきれないから自分の分は自分で管理しろってやつ」

「自分の分って?」

「だから将来もらう年金を、自分で管理しろってことよ」

「へぇー、それがなんで投資になるんですか?」

「足りなくなるから増やせってことじゃない。よくわかんない」

いつも隣に座っているおばさん、水木さんは最近、初孫ができたとかで喜び反面、世話で大変なのか目尻の皺が増えたような気がする。

愛想は悪くないし、手続きがわからなくて、くだらない質問をしても怒るでもなし、おおざっぱすぎて間違いが多いけど、私だって似たところはあるから腹も立たない。

「投資かぁ。先生は詳しいのかな」

「さあ、どうだか。高級とりだから老後の不安もないだろうにね」

その書類にかかれていた整形外科の部長の名前みて、桃子は手続きついでに話しかけてみようと思った。

「あの、山木先生はお手すきですか」

「今お昼から帰ってきたところよ、何か?」

「確定拠出年金のことで」

「ああ、それ、デスクはあっち」

と、人差し指をコの字に曲げて左斜めをさした。

医局秘書、前多さん、これもおばさんなんだが、こいつはちょい、苦手。なにしろ病院創設以来の古株らしく経営者とも直接コネがあるらしい。60歳はとうに過ぎているらしいが、やたらと若い。若い頃はさぞかし男を泣かせたことだろう、とにかく若々しくて美しさの名残みたいなのがある。

将棋盤のような配置の仕切りをくぐって、「整形外科部長、山木」の札の前まできた。部長といっても部屋があるわけではなく、役職のない医者とかわらず、医局大部屋の一か所に閉じ込められている。

「先生、確定拠出の書類、お持ちしました」

その男は寝ばなをくじかれたのか、半開きの目で反り返っていた背中をむにゃむにゃいいながら、ゆっくり起こした。

「あ、う、うん、それか」

「ここにハンコが押されてなくて」

「え、どれ」

「ここです」

桃子は、内ポケットから眼鏡を取り出し、目を細める男に向かって自筆署名の隣の枠をかざした。

「ああ、これか、そっかそっか」

男はハンコを押すと、早く寝入りたげにさっさと眼鏡をはずした。

「あの、ちょっといいですか」

少し心拍数があがっていたが、ついでの仕事でもないと医者に話しかける機会がない。桃子はめんどくさそうに顔を横に向けた男に、

「全世界株式って、なんでしょう。私もはじめようかと思って」

「え?いや、おれもよくわかんなくて。知り合いに聞いたらそれにしとけって、銀行できいてみたら」

それ以上は、しらん、あっちに行けとでもいうように男は大きな欠伸をした。

「ありがとうございます」

桃子は頭を下げ、ブースを去った。

たいした収穫はなかった。動画の広告でよく出てくる「億り人FX講座」だとか、「爆上げ株10選」だとか、あやしすぎると感じていたし、そもそも投資話にはまるで興味がなかったが、年金については将来のことであるし、暇な時に銀行を訪ねてみることにした。

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