桃子の話
おっさん
第1話
「いいですか、1960年代くらいまではね、見合い結婚が主流だったんで。それが恋愛結婚にとって代わって。まずね、男の給料が減ったんですよ。1989年、世にも恐ろしいあのバブル崩壊でね。家庭を支えられなくなった。女性だってね、自分より給料の安い男なんて避けるでしょう」
「宮内さんは経済的な問題ばかりあれこれいってますけど、私は人生観の変化も影響していると思うね。一人暮らしでスマホ片手にお気楽に暮らした方がいいんですよ、彼らは。他人と生活すると制約が多い。男性でも女性でも一緒です、その点は」
「統計的なことを言わせてもらうと、1990年初頭がピークで400万、それから失われた30年、いまだに続いていますからね。ついに200万台まで下がってきましたよ。個人GDPも韓国に追い抜かれました」
「高下さん、いまの、何?平均所得ってこと?」
「そうです。平均所得、金融政策の失敗ですから」
「愛国同盟の鈴木さん、何か意見ないの」
「男女平等、女性は家庭に留まるべきです。子供を産まないし、人口も減る。日本はますます乞食になる」
「あなたねぇ、いったい何年前の議論しているの。そんな家制度みたいな議論はとうの昔に終わってるんだよ。そもそも結婚しないんだから。出会いを求めないんだから、今の男女は」
「少子化と個人GDPに相関はないですね。人口が減っても個人の給料が減るわけではないんです」
「ちょっと、それ!そこのところ!詳しく…」
荒木桃子はため息をつくと、それなりに楽しみにし、2週前に録画していた「少子化徹底討論」をあっさり消去した。
老人の空論は、もう、うんざりだ。テレビはつまらない。
枕元にあったスマホを手にとると、ちょくちょく眺めている「一人暮らしの徒然おんな」なる登録者数2万程の動画を開いた。
安い食材を使ってさも旨そうな料理を作るそのチャンネルが、まさにいまの荒木桃子の生活状況を代理しているようだった。けして顔を移さない手元だけの単純な撮影なのに、編集と拾ってきただろう、バックミュージックで惹きつけてくれる。
「もやしのバター炒めか」
テロップに、薄切りのニンニクがキモ、と表示が出ると、包丁をつかうのが苦手な桃子はやっぱりやめよう、ともっと簡単そうな、無論一人暮らし様の簡単なものしか動画にはないのだが、こんなけだるい日曜日には電子レンジだけでできる、洗い物の少ない料理はないかと探してみる。
「キャベツと豚バラ肉、あとは塩コショウ…」
これにしよう。
冷蔵庫には1週間前に買った特売のキャベツの4分の1、フィリピンだったか台湾だったかの、輸入ものの豚バラ肉1キロ、が残っていたはずだ。
せめて水洗いくらいしたらいいのに。それさえ面倒だ。
欠伸をしながらしょうがなく、使い古しでクレンザーの傷だらけのシンクでちゃっちゃとキャベツを洗う。
葉脈の硬いのが苦手だからそこは包丁を使いたくなるが、やはり洗い物が増えるのはいやだから、我慢して手でばらばらにちぎる。
「さて」
耐熱皿にオリーブオイルをたらしキャベツを敷き詰めて、冷凍庫から取り出した豚バラを凍ったまま散らせ、鶏がらスープと粗びきの塩、コショウ。
これで終わり。あとは7分、チン、動画にはそうあった。目分量だから。生だったらあとで追加のチンをすればいい。
「さあて」
動画をぺらぺらとめくりながら、とりだした器に箸を突っ込む。
「まあまあ…か」
これでも小学校の頃はちと真面目で、クラス委員長こそしなかったけど、先生からは褒められることが多かった。勉強は嫌いじゃなかった。今思い起こせば、いわゆる主要科目の、国語と数学は結構できた方だと思う。
塾へ行けとはいったけど、母親
---父親は私が生まれて後、交通事故であの世にいったから、3歳上の姉と3人の母子家庭。保険金が入ったからアパートは貧弱だったけど暮らし向きはそう悪くなかった---
は厳しくもなくて、おっとり型のちょい抜けたような人だったから、適当にやり過ごして公園で遊んだりしていた。
中学は普通、高校も普通…普通すぎて段々めだたない存在に変化していった。見かけ、それも普通。きれいでもない、かわいくもない、愛想がいいわけでもない、しかしブスではない。(そういわれたことがないだけ)
結局、取柄も特徴もないまま、東京簿記なる専門学校へ行って1級をとれとれとせかされたのに、ぼんやりしていたら昼間の仕事の忙しさにかまけて参考書の山をほったらかしにして、一人暮らしをだらだら続けていた。
派遣の登録でもう10か所以上、職場は変わったけど今のところには最長の3年も居座っている。
今年32歳。
だよ!
パワハラもセクハラもない、飲み会も、冠婚葬祭もない、味気ない職場だけど、法人が儲かっているのか、給料は悪くない。
去年乳がんであの世に召された母親からは、遺産のようなものを頂いてそれが普通預金の口座に800万程置いてある。姉は子供が二人いたが変な男にだまされて父親がそれぞれ違う。気の毒だから姉には多めに遺産分をあげた。3か月前に電話した時には下の子がようやく小学校にあがる、手が離れるとかいって喜んでいた。また新しい男でもできたのだろうか。母が散々お説教したのに男に頼る性格は治らない。頭は私と変わらないのに、顔だけ普通より上の、八重歯とほくろが特徴の美人の役得だろうか、意外に男は寄ってくるのだ。
わたし、私はといえば、5年前に専門学校時代の男と別れてから誰とも付き合っていない。
酔った勢いでアプリを登録してラインの交換まではいくけど、直に会ったのは2回だけ。それも10歳も年上のおじさんでホテルこそ誘われなかったけど、私を見る目が品定め路線ありありで、だんだん吐き気がして、食事の後、苦し紛れの挨拶だけしてさっさと帰った。
見た目に金をかけるでもなし、それなりに年も食ってきたからしょうがないかなと、もう最近ではあきらめの境地が、ぽこんと膨れたお腹から出入りしていた。
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