第5話



何がトリガーだったのか分からない。その3か月前に友達とも言えない知人から電話越しに結婚式へ誘われたことだろうか。はたまた1か月前に別の知人が写真家として名をはせたことだろうか。2週間前に中高生にて活躍するイラストレーターたちに関する記事を見た時だろうか。4日前に大器晩成、遅咲きのデビューを果たした落語家のインタビューを温泉のテレビで見たことだろうか。色々あると思うのだが、きっと共通しているのは他人の成功に対する嫉妬が渦巻いていることなんだと思う。


 多分、僕は僕自身を表すことが出来る何かを求めていたのだと感じた。だから何かに「もう君を表せる何かは無くなっちゃったね」と突き付けられた時、僕はもう何もかもが分からなくなった。泣き声を出そうにも、ただアングリと口を開くだけにとどまった。

 

 アパートの窓から夕陽に照らされて所々橙色に染められつつある入道雲が見えた頃。夕飯を作ろうと、寂しさが積もりに積もっている台所に行く途中、無駄に広い、しかし散らかった机の上に置いてある一眼レフカメラが目についた。5年前、相も変わらず自分を語れる何かを身に着けようとして購入したものだ。たまには外出時に持って行き、写真を撮ったりしていたのだが、今日にいたってはそんなことをする自分が滑稽に思えて仕方がなかった。


「いつかは巨匠カメラマンに…そう思ってた時期もあったなぁ」

夕闇の中、ポツリと呟く。


「けれども、こんなの貰っちゃったら…撮るモチベーションも湧かないっての。そもそもモチベーションは高くない方だけれども」

 同じく散らかった机の上に放り投げられたクシャクシャのハガキを手に取る。それは例の若手写真家として成功した知人による、個展へのお知らせカードだった。前に嫉妬のあまりに両手で握りつぶしたが、申し訳なさと情けなさからそっと広げ直したものだ。けれども今はそこまで気にしなくなっていた。巨匠になるという志はすっかり捨てていたからだ。カメラを極めるという気持ちを捨てるとこんなにも楽なのかと思い込むことで保っていたのかもしれない。


 考えてみれば他の事全般についても当てはまる。子供の頃からの趣味や勉学等、極めたいと思ったことは、短期間の内にのめり込んだ。そして悉く他人と比べて一喜一憂し、勝てないなと思うとすぐに止めて他のものに移ってきた。その繰り返しでここまで来てしまった自分は何者でもない、ただの人だった。

 環境的には恵まれていたと思う。金銭的に上流階級という家庭ではなかったが、虐待も無かった。いじめも週刊誌で見るような壮絶なものは無かった。そもそも平和の国、日本に生まれて大学まで行かせてもらった。ノベルゲームをプレイしようと思えばプレイできる時間も作れる。贅沢な悩みだなと今更ながら思う。思うのだがしかし、


「なんだろう、この無力感は…」


 何かに救いを求めるように口から出ていた。涙なんて出なかった。


「そもそもさ…」


視線を問題のエロゲパッケージに向ける。これも机の上にある。


「何で僕の名前がないんだよ」


散らかった机の上、暗くなってきた部屋の中、頼りない陽光に照らされたエロゲのパッケージをじっと僕は見つめながら一人言う。


「人に堂々と言える成果ではない。けれども、これが初めて…初めて人に…大勢の人に認められたものだと思ったのに…」


薄暗がりの中、表紙の美少女達は満面の笑みを浮かべている。


「僕を表せるものだと思ったのに…」


動かないその笑みに僕は何も感じない。


「僕に本当に向いているものだと思っていたのに…」


視線を反らして、さっさと夕飯にしようと台所に向かう。はずだった。僕はエロゲのその箱を掴むと、横に勢いよく、机に散らかっているものを床に落とすように渾身の力を込めて薙ぎ払った。ドサドサと物が落ちる。しかし一眼レフカメラは机上に残っていた。横に捻った自分の体を、今度は反対方向に勢いよく戻すついでに、エロゲの箱を一眼レフ目掛けてぶん投げた。二つの物体は仲良く床に転げ落ちる。


 幼いな、モノに当たるなんて。そう自分で思った。思いつつも自分の行動の意味を深く考えることなんてしなかった。気づいたら僕はアパートから逃げるようにして走りだしていた。思春期真っただ中の輩みたいなことしてるなと、後から思い返してみれば赤面ものだが、その時はそんなことを思う暇もなかった。 



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ノベルゲーの世界に転生したけど何か思ってたのと違う。というか全然違う。 あきひこ にとば ver.82 @neroro347

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