第75話 契り

 結論から言うと、ジュノーンとリーシャは宴を全く楽しめなかった。王が去るときを待っていたかのように、二人のもとに宴に参加していた者達が殺到したのだ。

 ジュノーン側には若い兵士や騎士が、リーシャには侍女や貴婦人が集まった。

 若い兵士達はジュノーンの竜騎士になった経緯についてを聴きたがり、リーシャにはその美しい肌や髪質の保ち方など主に美容についての質問が集まっている。

 山国の美しい王女、そして幻の竜騎士については興味を持つ者は多いのだ。砂漠の民であれば、当然興味を持つ。

 質問攻めに遭いつつも、二人は丁寧に答えて、そしてたまに互いに目を合わせて苦笑いを交わすのだった。

 彼らが解放されたのは、夜も更けてきた頃、即ち宴の終焉が見え始めた時だった。

 ふとリーシャを見ると、彼女がバルコニーの方へと歩いていくのが視界に入った。

 ちょうどタイミングよく解放されたジュノーンも、その後を追うようにしてバルコニーに出る。

 砂漠の夜風は昼間よりもずっと寒く、少し肌寒かった。

 月明かりがぼんやりとバルコニーと街を照らしていて、夜の風景がよく見える。


「寒くないか?」


 肩を出したドレスを着ていたリーシャを心配して、そう声をかけた。


「平気です。少し酔いを醒ましたくて」


 ようやく二人になれた事を喜んでいるのか、リーシャは嬉しそうに微笑んだ。

 頬が火照るのか、顔を手で煽っている。


「酒、飲んだのか」


 ジュノーンは嘆息した。言われてみれば、顔がうっすらと上気していて頬がほんのり赤い。


「少しだけですよ? ワインと麦酒を初めて飲みました。あんな味をしていたんですね」

「初めての酒の、感想は?」


 ジュノーンは特段、酒を飲んだことを咎めなかった。

 リーシャにしても、父親から離れないと経験できない事が多くあるのだろう。


「ワインは美味しかったのですが、麦酒は苦くて……」


 残してしまいました、とリーシャは微苦笑を浮かべて付け足した。

 どうやら、リーシャはもう十七になっているのに、まだ酒を飲んだ事がなかったらしい。フリードリヒ王に止められていたのだと言う。

 ここまでくると過保護も病気だな、とジュノーンは思った。もう十七になる娘で、いつ嫁に出てもおかしくない年頃の娘に酒も飲ませないとは……。


「お父様には内緒ですよ? 叱られてしまいます」

「わかってるよ。バレたら俺が殺される」

「それは良かったです。これでジュノーンと私は、共犯者ですね?」


 彼女はくすくす笑いつつ、とろんとした瞳でジュノーンを見つめた。

 銀髪の青年は「勘弁してくれ」と首を竦めつつ、青髪の王女から視線を逸らした。普段とは違う服装も相まってか、色っぽく感じてしまったのだ。

 彼女と並ぶ様にバルコニーから街と砂漠を見下ろした。砂漠の町は、ところどころ明かりはついているものの、静まり返っている。この時間でも営業している店は、もう酒場か娼館くらいだろう。

 

「はぁ……やっと、ジュノーンと二人きりになれました」

「……そうだな」


 どこか艶っぽい王女の声に、青年は言葉を詰まらせた。

 酒に酔った女というのは、どこか誘惑しているのではないかと勘違いさせる魔性の力を持っている。リーシャに限ってそんなことはないのだが、それでもどぎまぎしてしまうのだ。

 リーシャはバルコニーから身を乗り出し、深呼吸をした。

 砂漠の夜の空気が彼女の体の中に吹き込まれた。


「ジュノーン、信じられますか?」

「何がだ?」

「生まれて十七年、ハイランドから一歩も出た事もなかった私が、たった数週間の間にローランドに入って、それからハイランドに戻って、今こうして砂漠の国にいるんですよ? 夢でも見ているのかと思ってしまいます」

「ああ……それは俺も同じだよ。信じられない」


 ジュノーン自身、まさか自分の人生が一遍するとは考えていなかった。ローランドから敵国のお姫様を連れて脱走したかと思えば〝竜騎将〟となって将軍職だ。

 そしてジュノーンですら踏み入れたことのなかった砂漠の国まで来て、亡命先のお姫様と一緒に街を見下ろしている。そのような未来、誰が想像できようか。

 運命の急転ぷりには呆れる他無かった。


「全部、ジュノーンの御蔭ですね」


 リーシャ王女は視線の先を街から隣のジュノーンへと戻した。


「そんな事はない。俺だって、あの時好奇心でリーシャに会いに行ってなければ全く違う未来だったさ」

「後悔していますか?」


 少し意地悪い笑みを浮かべて、リーシャが訊いた。


「まさか。感謝してるさ。俺はこんな時を待ってたのかもしれない」

「そうでしたか……よかったです」

「え? 何がだ?」

「私も、感謝してますから。たくさん、感謝してもし切れません」


 リーシャは言いながらジュノーンにそっともたれ掛かり、体を預けた。

 ジュノーンは少し驚いていたが、動かず彼女の好きな様にさせていた。酔っているのだろうと考えていたのもあるが、彼女との空間にもう少し居たいと思ったからだ。

 戦が始まれば、こんな時間はもう作れないだろう。

 リーシャはそのまま月明かりに照らされた砂漠の街を見ながら、続けた。


「私……今まで何にも考えてなかったんです」


 先程までの浮かれていた様子がなくなり、王女の声色が暗くなった。


「戦争が起こっているのも、人が死んでいるのも知識としては知っていましたけど……どこか自分とは違う世界の出来事なんだって、思っていました」


 ジュノーンは何も応えず、リーシャの言葉の続きを待った。

 彼女の父王は、おそらくそれが彼女の為だと思っていたからこそ、彼女に不自由ない生活を送らせて、残酷な現実を見せまいとしていた。

 娘を愛していた故なのだろうが、その愛が娘を危険に曝してしまった。その現実を知っていたら、彼女も単身でローランドに侵入するなどとは考えなかっただろう。


「ですが、私の生きていた世界はそんなに綺麗なものではありませんでした。脱走兵に占領された村や実際にジュノーンの戦う姿を見て、『ああ、これが現実なんだ』って……そこで初めて知ったんです。ローランドの人が私をどんな風に見てるのかなんて、考えた事もありませんでした。国が違うだけで、あんなにも敵意を向けられるだなんて……思ってもいませんでしたから。あともう少しジュノーンが来るのが遅かったら」


 きっと泣いてしまっていたと思います、とリーシャは付け足して、笑みを浮かべた。

 その人生の殆どを王宮か神殿で暮らしていたリーシャにはあまりに縁がない世界だった。

 人がどう人を利用して国を陥れるかなど、光の神ミルフィリアの教えに背くことにほかならない。だが、実際にはそういった〝教え〟を守られていないことの方が多く、世界はリーシャが思っていた以上に無秩序で残酷だったのだ。


「ジュノーンがいなかったら、どうなっていたか……想像するのも怖いです。本当にありがとうございます」

「俺は自分のしたいことをしただけさ」

「ジュノーンなら、絶対そう言うと思いました」


 彼女はくすっと笑って瞳を閉じた。


「ジュノーンに会って、私……自分の世界が変わった気がします」

「変わった?」

「はい。今までは何の不自由もない楽園にいて、でもその楽園を必死で守ってくれる人達がいてこそ成り立っていて……私もその楽園の中で気ままに暮らしてるだけじゃだめなんだって、思いました」


 ジュノーンはハイランドの姫君の言葉に耳を傾けていた。

 出会った頃とは少し違う、彼女の考えと意見。この数週間の間にあった出来事は、彼女を大きく変えたのだ。


「私もその楽園を守る側の人間になりたいです。いいえ、もっと大きな楽園を作って、たくさんの人を守らなくちゃいけないって……私にはその使命があるんだって、光の精霊の言葉を聞いて思いました」

「そうか……」


 ジュノーンは小さく息を吐いて、彼女の言葉に頷いた。

 何不自由なく暮らす──そんな誰もが羨む王族としての特権を彼女は生まれながらにして持っていた。しかし、彼女はそれを自らの意思で捨て、より過酷な場所へと身を投げようとしている。

 世界が彼女にそれを望んだのか、彼女自身がそれを望んだのか、ジュノーンにはわからなかった。だが、この青髪の王女が強い意思を持っていたのは確かだ。


「なら……俺もリーシャと共に、その楽園を創る側に立つ。それが、おそらくあの時気まぐれで姫君を助けてしまった事の責任だな」


 笑って言うと、リーシャがこつっと優しく彼を小突いた。


「気まぐれって、ひどいですよ」

「あながち間違いでもないだろ?」

「もうっ」


 夜中のバルコニーに小さな笑い声が漏れ、静寂が二人を包んだ。

 屋内の宴も終焉に近づいている様で、話し声と宮廷音楽家達が奏でる優しい音色だけが僅かに聞こえてくる程度だ。

 二人にはそんな世界が遠く感じ、まるで二人以外は存在しないかの様に、お互いの存在しか瞳に入らなかった。

 砂漠の夜風が二人に優しく吹きかかる。まるで風の精霊〝シルフ〟が二人の背中を後押ししているかの様にも思える様な、優しい風だ。

 そして、ジュノーンは彼女の方に向き直り、言った。


「だから、お前の事は俺が守るよ。それが俺の使命だ」

「……はい」


 リーシャは恥ずかしそうに小さく頷き、彼を見上げた。そんな彼女を彼も見つめた。

 互いに見つめあい、互いの瞳に互いの顔を映した。

 そして、どちらともなく二人は顔を近づけ……唇を合わせた。

 最初はまるで子供同士がするような、短い口付けだった。それから何度も互いを求め合うように、何度も何度も唇を重ねる。

 次第に二人は舌を絡め合うようになり、リーシャの頬が赤くなっているのが月明りでもよくわかった。


「ジュノーンの中では、まだ私は子供ですか……?」


 唇を離した時、リーシャは彼を見上げて訊いた。

 恥ずかしそうであり、しかし覚悟を決めた女の顔。ドレスや化粧も相まってか、普段見せる幼さなどない、大人の女がそこにいた。

 ジュノーンはただその青髪の姫君に見惚れていた。あまりに美しく、そしてそれは世界の宝でもあるように思えたのだ。


「私は……もう子供じゃないです。いいえ、もう子供でいたく、ありません」


 青く澄んだ瞳を潤ませて彼を見据えてから、彼の首根っこを抱えて、もう一度唇を重ねる。

 その言葉と行動の意味が解らぬほど、ジュノーンも鈍感ではない。彼も、彼女の肩をそっと抱き締めた。ハイランドにはない、香油の匂いがした。


「お前を子供として見た事など、一度もない。あのローランドの地下牢で出会ったあの時から、一度も。いや、あの瞬間から……俺はお前に恋をしていたんだ」


 もう認めてしまおう、とジュノーンは思った。 

 出来心でも、気まぐれもで何でもない。ジュノーンはただ囚われの姫君に恋をして、そしてその一心で彼女を助け出したのだ、と。


「私も同じです」


 リーシャは嫣然と笑って、ジュノーンの深紅の瞳を真っすぐに見据えた。


「私もあの瞬間から、きっとジュノーンの事が好きだったんだと思います」


 砂漠の月に見守られ、二人は何度も唇を重ね合う。

 月が沈む頃には、黒き炎と聖なる光が混じり合い、新たな時が産声を上げていた。

 その小さな喜びと幸福感に浸りながら、二人はゆっくりと顔を見合わせる。垂れ絹の隙間から、互いの照れくさそうな笑顔を砂漠の朝日が優しく照らしていた。


【一部 完】

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【お知らせ】

 本日、カクヨムコン7用の新作(ファンタジー)を投稿致しました。


『追放された大剣使いはアーシャ王女に恋をする~恋人をNTRられSランクパーティーも追放されたけど聖女で王女なアーシャ様に溺愛されて幸せです~』

https://kakuyomu.jp/works/16816700426033467021


 『とある弱小貴族の成り上がり』をお読みの皆様だけにこっそりと教えますが、この『とある弱小貴族~』の主人公・ジュノーンとヒロイン・リーシャの元となった作品がこの『追放された大剣使いはアーシャ王女に恋をする』の主人公・アデルとヒロイン・アーシャです。リーシャとアーシャは名前も似ていますが、本作のリーシャほど暴走しないので安心して下さい()

 この作品をお読みの方は楽しめると思いますので、是非お読みください。

 『とある弱小貴族の成り上がり』に関しては、ちょうどキリが良いですので、カクヨムコン終わるまで更新は停止しようかな、という次第です。その間は『追放された大剣使いはアーシャ王女に恋をする』を楽しんで頂ければ幸いです。宜しくお願い致します!


『追放された大剣使いはアーシャ王女に恋をする~恋人をNTRられSランクパーティーも追放されたけど聖女で王女なアーシャ様に溺愛されて幸せです~』

https://kakuyomu.jp/works/16816700426033467021

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