【小休憩】時代と思想
「マキァヴェリの『君主論』 君主たるもの恐れられる人間となれ」へのコメント
世の中で使われるISO9000とか規格…。
これって、ヨーロッパで作られた規格なのですが、
内容を1行で書くと【人間不信】です。
人のやる事を信じるな。全て履歴に残せ!の
精神が最初から最後まで溢れています。
彼らの精神文化の根底がよくわかります。
マキァヴェリの思想も同一の根から来ていますね。
徳川家康あたりは、ちょっと思想が違います。
彼は貞観政要を愛読していた様です。
君主になるくらいならマキァヴェリでも良いですが、
普通に生きる人間にとっては、しんどいですね。
(白狐姫と白狐隊様)
大学時代、ゼミで諸子百家の話になって、(諸子は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物、百家は儒家・道家・墨家・名家・法家などの学派を指す)どんな考えが良いと思うか、みたいな雑談になったことがあったんです。
で、結局、それは時代や相手、置かれている立場によって臨機応変に変えていく必要があるよね? って結論で落ち着きました。
例えばなんですけど、母親が赤ちゃんを育てるとき、法家みたいに「人は悪いことをするものだ!」という前提に立って、イタズラしたら厳しく罰するような子育てをしていたら、愛情深く育たないし、第一、虐待になるかもしれない。孟子の性善説的立場で接するほうがいいのではと。
でも、幼稚園児くらいになったら、人に怪我をさせたり、人の物をとったりすることはよくないことだときちんと教える必要がある、このときは逆に悪いことをしたら罰を与えてよくないことを教えないといけないと思う。
国が危機にさらされているときは(特に日本のように国土が狭く資源が乏しい国は)マキァヴェリの思想は非常に有効だと思う。
平和な時代においては孔子とか孟子の考え方で良いと思うけれど、戦争が起きたら性善説に立っていたら、たちまち敵からやられてしまう。
性悪説の立場にたって厳しく判断しないとつけ入る隙を相手に与えてしまう。
戦時中と平和な時代で思想は使いわける必要があるし、風土や民族によっても違う。
企業や組織のトップはマキャヴェリみたいな人でいいと思う。
でもトップに立つ人は孤独であり、平凡な幸せを望んでいる人は(そもそもマキャヴェリの言うような生き方は真似できないと思うが)そこを目指しても幸せを感じられないかもしれない。
とか、話があっちこっちに飛びまくり、結局、状況に応じて使い分けないとね……みたいなテキトーなまとめで終わりましたm(__)m
白狐姫と白狐隊様のおっしゃっていることは奥が深いと思いましたm(__)m
いつも興味深いお話をありがとうございますm(__)m
感謝をこめてm(__)m
【頂いたコメント】
『君主論』には「優れた君主は寛容と厳格を兼ね備えている」とある。
優しさが過ぎれば侮られ、厳しさが過ぎれば憎まれる。
『韓非子』方式で勢力を拡大、天下を取った人物は、統治の段階になっても『韓非子』方式を採用した為、臣民の心が離れて滅亡してしまうケースがほとんど。
徳川家康は貞観政要から、天下を取るには厳格な『韓非子』方式、天下を治めるには寛容な『論語』方式、という事を学んだのだと思う。
(落木奥弘様)
いつもありがとうございますm(__)m
教科書に書いていない歴史 黒川蓮 @renku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。教科書に書いていない歴史 の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます