自分に正直になれるクスリ

「嗚呼、人が死ぬ人が死ぬ。今日もどこかで人が死ぬ。あっちのその人今日死んだ。そっちのあの人明日死ぬ。けれどもみんな無関心。喜ばしくも悲しくもこれが人間さ。誰もが口ではこう言うよ。かわいそうだね大変だねと。そんな言葉にゃ意味がない。意味がなければ心もない。他人の心は感じない。感じていても気にしない。心は誰もが自分事。自分が一番大切さ。そんな人にゃあなりたかないか?けれでもなってるお前さん。だったら治しゃあいいってもんさ。さあさあ、よってらっしゃいみてらっしゃい!不思議な不思議なクスリウリがやって来ましたよー!」


 人通りもまばらな午後十時過ぎ、衣服を全て前後逆に着用した奇抜なピエロがコンビニの前で騒いでいた。

 それは不思議な光景だった……

 疎らとはいえ通行人はいて、店内には店員もいる筈なのに、その異様な容姿のピエロは誰からも完全に無視されていた。


「おいお前、こんな時間に騒いでるとオマワリ呼ばれンぞ」


 気がつくと私はそいつに話しかけていた。


「おやおや、キミはボクのクスリが欲しいのかい?」


 唇を動かさないままでピエロが言った。男とも女とも判断出来ないその声はまるで私の頭の中に直接響いている様だった。


「はァ?クスリだと!?ざけンな!私はヤクとかそういうのが嫌いなンだよ!二度とそんな事言うンじゃねえ!」


 私は威嚇する様にピエロを怒鳴り付けた。

 大抵の奴はこれだけで畏縮する……

 ところが、他に相手をする奴がいないからかピエロは私に興味を持ったらしく、畏縮するどころか私に対して様々なクスリを薦めてきた。

 自称『不思議なクスリウリ』のピエロは私に「ボクのクスリはそういうのじゃないから勘違いしないでよ」と言った後にクスリについて説明した。私はなぜかその言葉を信じていた。

 ピエロのクスリはどれもアホみたいなものばかりだった。


「これは動物が好きになるクスリで、こっちのは雨の日が嫌いじゃなくなるクスリ。そんでもってこれは日曜日の夕方が憂鬱じゃなくなるクスリで、こいつは人見知りを改善するクスリさ」


「……お前さ、アタマ大丈夫か?こんなわけわかンねえクスリがあるわけねえだろ。あーわかった。これ全部ラムネだろ?でもってお前はテキトーな事言ってラムネ売り付ける詐欺師とか宗教家とかそんなだろ?」


「クスクス……ヤンキーのお姉さん、ボクに興味があるのかい?」


「ねえよバカ。それに私はヤンキーじゃねえ。いまどき金髪なだけでヤンキー扱いすンな。次言ったらぶっとばすぞ。つかお前こそじゃねえのか?どんな理由か知らねえけどこんな事やってるとそのうちパクられンぞ。……じゃ、私はもう行くからな。屯ってる奴は減ったとは言えコンビニにはバカも来るから気をつけろよ」


 私がそう言って立ち去ろうとした時だった。


「待って待ってお姉さん。忠告のお礼に好きなのいくつか選んでよ。キミには特別にタダであげるよ」


「おっ?マジか。ラッキー。実はわりとラムネ好きなンだよ。どれどれ……」


 私はそういう薬を扱う奴等が一度目は無料ただで渡したり格安で売ったりするというのは知っていたが、なぜかそのピエロはそういうたぐいの奴ではなく、扱っているクスリが本当にそういう薬ではないと感じていた。

 それから私は地面に広げられた布の上に並べられたクスリのサンプルを吟味し、その中から一つを選んで「これくれ」とピエロに言った。


「一つでいいのかい?さすがに全部は無理だけど、もっと色々選んでもいいんだよ」


「ん?いやいいよ。別にお前に何かしてやったわけじゃねえのにタダでごろごろ貰えねえだろ。つかこれ一応売り物なンだろ?一個いくらなんだ?」


「クスクス……七錠なら二万円、二十錠で五万円、一錠なら三千円だよ。お買い得も甚だしいよね」


「どこがお買い得なンだよ!お前バカじゃねえのか!?」


 思わぬ価格設定に私は大声を出していた。

 しかし、その直後のピエロの言葉に私はもっと驚いた。


「そうかなあ?高いかなあ?これでもかなり安くしているんだよ。人によっては一錠数千万円とか数億円とかで欲しがる人もいるんだよ。二十一錠目をね……」


「億ッ!?お前それほんとか!?」


 私はピエロが最後に小声で言った「二十一錠目を……」という言葉の意味を深く考えずに聞き返していた。


「うん。今まで十数人いたよ、億単位の金額で欲しがる人が。ちなみに過去最高金額は三百六十億円だね。正確には一億アメリカドルなんだけど、当時はまだ固定為替相場制でアメリカドルが三百六十円だったから日本円で三百六十億円。その人はアメリカの大富豪でね、どうしても欲しいからって脅すみたいに迫ってきたんだ」


「さ、三百六十億!?も、もちろん売ったんだよな!?……って、バカか私は。こんなん嘘に決まってンだろうが。お前さ、しょうもない嘘やめろよな。ちょっと信じちまっただろうが」


「ううん、ウソじゃないよ。ボクはウソが吐けないのさ。クスリウリだからね。どんなにウソを吐きたくても真実ほんとうの事しか言えないんだよ。ちなみにボクは売っていないよ。どんなにお金を積まれても関係ない。規則は守るのがクスリウリだからね。それはさておき、クスリの説明をさせてもらうよ」


 そう言うとピエロはクスリについての説明を始めた。

 

「大切な話だからちゃんと聞いてね。実はボクの扱うクスリは普通の薬ではない特別なクスリなんだ」


 でも本当はラムネだろ?

 そう言いたかったが、私はなぜかピエロがクスリについての説明をしている時は茶化してはいけない気がしてそれを言葉くちにしなかった。


「特別と言っても基本的な扱いは普通の薬と同じさ。そのまま呑んでもいいし、何かで流し込んでしまってもいいよ。そうそう、キミの好きなラムネ菓子みたく噛み砕いてもいいからね。あ、キミは頓服薬って知っているかな?」


「……知らね」


「それなら説明するよ。頓服薬は解熱剤や鎮痛剤みたく何らかの症状が出た時にだけ呑む薬の総称さ。逆に症状が出ていなくても決められた時間に呑む薬は内服薬だよ」


「あー、あれか。一日何回までとか一度呑んだら何時間空けろとかのあれが頓服薬か。んで毎朝とか朝晩とか毎食後とかは内服薬なんだな?」


「そうそうあってるあってる。それじゃあわかったところで本題に戻るけど、ボクのクスリはその頓服薬みたいなものなんだ。というよりはサプリメントやエナジードリンクに近いかな?効果を出したい日を自分で選んでその前日の寝る前に呑めば効くんだ。ただし、いくつか絶対にやってはならない決まり事があるよ。一つ目、異なる効果を持つクスリを二種類以上同時に呑んではいけない。二つの効果が欲しくてもどちらか一方しか呑んじゃダメなのさ。と言ってもお姉さんは一つしかいらないみたいだから関係ないね。じゃあ二つ目。ボクのクスリは一回一錠しか呑んではいけない。いくらラムネみたいだからって一回に二錠以上呑むと大変なことになるから絶対にやめてね」


「ちっ……それじゃこれはマジでラムネじゃなかったのかよ。つかお前よ、大変なことってなンだよ?」


「クスクス……そりゃあもう大変なことさ。キミが想像しる大変なことの数十倍か数百倍、或いは数千倍か数万倍は大変なことになるよ……」


 その時のピエロの声は悲しそうでありながらも恐ろしくもあった。

 私はピエロが「大変なことになる」と言った時に思わずどんな事になるのか想像していたが、それよりも数十倍から数万倍の何かが起きるらしい……

 下は数十倍、上が数万倍という話はあまりにも幅が大きくて本来なら信じるのもアホらしいが、私はなぜかそれが本当だと思った。


「まあ、何にしても破らなきゃ問題ないよ。それじゃあ三つ目。これが最後だよ。今からキミに渡すクスリは絶対に誰かに分け与えてはいけないよ。それはキミ専用のクスリだからね。いいかい?絶対に他人に分け与えてはいけないよ。もし一度でも分けてしまった場合はそのクスリの効果は二度と発揮しないし、ボクはもうキミに対してクスリを作ってあげることが出来なくなるからね。わかったかい?」


「あー、わかったよ。つかラムネじゃねえならいらねえンだが……」


「ダメだよ。これはもうキミにあげることに決まったんだ。決定事項なんだよ。もらってくれるよね?」


「ちっ……わかったよ、一応もらっといてやるよ」


 決定事項という言葉が気になったが、私は一瞬だけ困った表情を見せたピエロに同情にも似た感情を抱き、言われるがままにクスリを受け取った。そのクスリの数は七錠、毎日呑めばちょうど一週間分だった。

 私にクスリを手渡したピエロは嬉しそう笑いながら「もしクスリが気に入ったら無くなった後にまた会いに来てね。会いたい時に会いたい場所で待っているよ」と言って最初に言葉くちにしていた奇妙な唄を大声で口ずさみながら夜の闇の中へと消えていった、


「変な奴……つかこれ何のクスリだ?わけわかンねえから最初に説明された時にどれがどれだか全然聞いてなかったけど、確か全部何かになれるクスリとかだったよな?」


 ピエロが消えた方向とは反対方向に歩きながら私はポツリと呟き、手にしていたクスリの入った小瓶を確認した。その小瓶の中には直径一センチ程の薄水色をした丸いラムネの様な物が七つ入っていて、小瓶の表面にはラベルが貼られ、そのラベルには手書きの文字で中のクスリが何の効果を持つクスリなのかが端的に書かれていた。

 私はそのクスリが書かれた通りの効果を持つとは思わなかったが、その日の寝る前に中身を一粒だけ取り出してそれを口に放り込むと一気に噛み砕いた。ラムネの様な見た目に相応しい食感に反して全くの無味無臭というそのクスリは噛み砕いて呑むには適していなかったらしく、呑み込んだ後も暫く妙な不快感があった。

 もしまた呑むことがあれば次は水か何かで丸呑みにしようと思いつつも私は静かに眠りについた。

 翌日、私は昼過ぎから電車に乗り込み、各駅停車の鈍行を乗り継いで三年ぶりに実家へと帰った。都心から六時間弱、実家の最寄り駅に着いた時には辺りは既に暗くなり、そこから一時間半ほど歩いてやっと辿り着いた実家は何も変わっていなかった。

 玄関に設置された呼鈴を鳴らすと母が出た。母は突然の帰宅に驚きながら玄関で大声を出して父を呼んだ。

 久しぶりに会った母と父は私に対して特別な事は言わず、そして何も訊かずにただ「おかえり」とだけ言って迎え入れてくれた。

 私は二人の気遣いに涙が止まらなかった。

 三年前、大学受験に失敗した私は就職をせずにアルバイト中心の浪人生活を始めたが、僅か二ヶ月程で世間の目に耐えられなくなって家を飛び出した。それからずっと音信不通となっていた私を二人は何も言わずに受け入れてくれたのだ。

 その夜、私は実家の自分の部屋で寝た。寝る前に例のクスリをまた呑むかどうか悩んだが、結局呑まなかった。

 翌朝、久しぶりの朝の匂いと懐かしい音が自然と私の目を覚まさせた。母が朝食を作る音と匂いが堪らなく懐かしかった。

 家を出てからたった三年しか経っていなかったが、私にとってその三年は家で過ごした十八年あまりの年月よりも長く感じた。そう感じるほど、何の宛もなく飛び出した私が一人で生きていくには世の中は冷たかった。その冷たさに挫けた私は何度も何度も帰ろうかと悩んだが、世間に対する恥ずかしさと両親に対する申し訳なさ、そして何より私自身に対する意地とプライドが邪魔をしてそれが出来なかった。

 けど、私はこうして帰ってきた。まだまだ問題は山積みだけれど、私はもう二度と意地やプライドに自分の気持ちを邪魔させないと決意した。

 私は再び私として生きる事を決めたのだからもう何も怖くない。そう思った時、私はなぜ昨日家に帰ろうと決めたのか、なぜ再び私として生きる事を決意したのかがわかった。

 私を変えたのはあの自称『不思議なクスリウリ』のくれた怪しげなクスリだったのだ。

 そして、私は三年前に家を出たその時のままになっている机の隅に小瓶を置いてそっと呟いた。

「ありがとな。変な奴だったけどお前のお陰だよ……」

 小瓶には手書きの文字で『自分に正直になれるクスリ』と書かれたラベルが貼り付けてあった。

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【更新無期停止】クスリウリ 貴音真 @ukas-uyK_noemuY

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