【更新無期停止】クスリウリ

貴音真

人見知りを改善するクスリ

「嗚呼、人が死ぬ人が死ぬ。今日もまた人が死ぬ。それなのに誰もが見て見ぬふりさ。他人の死なんてどうでもいい。他人の痛みは関係ない。喜ばしくも悲しくもこれが人間さ。けれども誰もが口では言うよ。かわいそうだね大変だねと。そんな言葉にゃ心がない。心がなければ痛みもない。他人の痛みは感じない。感じていても気にしない。心は誰もが他人事。そんな人にゃあなりたかないか?けれでもなってるお前さん。だったら治しゃあいいってもんさ。さあさあ、よってらっしゃいみてらっしゃい!不思議な不思議なクスリウリがやって来ましたよー!」


 買い物帰りの日曜日、自宅の最寄り駅で衣服を全て前後逆に着用した奇抜なピエロが騒いでいた。

 道行く人々はその異様な容姿に不信感を抱いているのかピエロを完全に無視していた。私はなぜか引き寄せられる様にピエロに近づき、気がつくと私はピエロの真っ正面に立っていた。


「お嬢さん、クスリが欲しいのかい?」


 ピエロが言った。どういう仕組みなのか、はっきりと聞こえたその声に反してピエロの口は閉ざされた侭だった。


「あ……いえ、そうじゃなくて……あの……」


 人見知りである私はピエロの言葉に対してまともな返事を返すことが出来なかった。それでもいつもならば見知らぬ人から話し掛けられた瞬間に無言で去ってしまう私には上出来な対応だった。

 他に客が来ない為かピエロは私に関心を持ったらしく、私に対して様々なクスリを薦めてきた。

 自称『不思議なクスリウリ』である怪しげなピエロの薦めるクスリはどれも胡散臭いものばかりだった。

 緊張を和らげるクスリ、自信を持たせるクスリ、勇気を奮い立たせるクスリ、優しくなれるクスリなど、凡そ薬では齎す事の出来ない様な効果を謳うクスリばかりで怪しい事この上なかったが、その中の一つに私が興味を惹かれたクスリがあった。

 それは『人見知りを改善するクスリ』だった。


「クスクス……お嬢さん、それに興味があるのかい?」


「クスクスって……もしかしてそれ、クスリとかけているんですか?」


「さあて、それはどうだろうね。それはさておき、そのクスリは一錠呑めば二十四時間効果が続くよ。しかも今なら超お買い得!一週間分でたったの二万円さ!」


「はあっ!?二万円!?高過ぎですよ!!」


 一週間分で二万円というあまりにも高いその値段に私は思わず大声を出していた。

 新手の詐欺?違法ドラッグ?ドッキリ?

 様々な憶測が私の頭の中を駆け巡ったが何れの憶測も答えとしては不十分であり、私はその場から立ち去ろうとした。しかし、立ち去ろうとした私の耳に飛び込んできたのは思いもよらぬ言葉だった。


「ええー?高いかなあ?じゃあ一週間分で千円。いや、五百円でいいよ」


 悩むような仕草をした後でポツリと呟いたピエロの言葉は私を引き止めるには十分だった。

 当初は二万円のものが僅か数秒後にはワンコインになるという望外な値下げは怪しいものの、その安さに私は思わず「買います」と言っていた。

 こうして私は『人見知りを治すクスリ』とやらを一週間分だけ購入した。

 支払いを終えるとピエロは注意事項を説明してくれた。


「毎度ありー。さて、ここからは大切な話だよ。実はボクの扱うクスリは普通の薬ではない特別なクスリでね。まあ、特別と言っても呑み方は普通さ。効果を出したい日の前日の寝る前に呑めばいい。そのまま呑んでもいいし、水でもお湯でもお酒でも好きなもので流し込んでしまってもいいよ。そうそう、一週間分と言っても毎日続けて呑まなくてもいいからね。クスリの効果を出したい日を自分で選んで前日に呑めば効くよ。ただし、いくつか絶対にやってはならない決まり事があるから気を付けてね。まず一つ目、お嬢さんは一種類しか買ってないからこれを破る心配はないだろうけど、異なる効果を持つクスリを二種類以上同時に呑んではいけないよ。例えば、勇気を奮い立たせるクスリと自信を持たせるクスリ、二つの効果が欲しくてもどちらか一方しか呑んじゃダメだからね。ボクのクスリに頼っていいのは一つだけなんだ。さて、次はお嬢さんも関係あるからよく聞いてね。ボクのクスリは一回一錠しか呑んではいけないよ。一回にそれ以上呑むと大変なことになるからね。実は一つ目の注意事項もこの規則があるから禁止しているんだけど、順を追って説明しないと異なる効果を持つクスリなら同時に二錠呑んでいいと勘違いしてしまう人がいるからね。それじゃあ、次が最後だよ。そのクスリは絶対に誰かに分けてはいけないよ。それはキミ専用のクスリだからね。いいかい?絶対に他人に分け与えてはいけないよ。もし一度でも分け与えてしまった場合はそのクスリの効果は二度と発揮しないし、ボクはもうキミに対してクスリを作ってあげることが出来なくなるからね。わかったかい?」


「……一回一錠、他人に使わせてはいけない。ですね?」


「そうさ!その通りだよ!オウケイオウケイ君は理解力があるね!」


 私はこのくらい誰にでも理解出来るだろうと思ったがそれを言わなかった。

 そして、私に説明を終えたそのピエロは最初に見た時と同じ珍妙な唄を口ずさみながら人混みへと消えていった。


「あーあ、買っちゃった。五百円とはいえこんなの買っちゃうなんて……私、疲れてるのかな……」


 ピエロが消えた方向を見ながら私はポツリと呟いた。

 それから私はいつもの様に決まった道を歩いて自宅のアパートへと戻った。玄関の前で二つ隣の部屋に住む男の人に声を掛けられたが、私はいつも通り相手に聞こえるか聞こえないかという小さな声で「こんばんは」と呟いてすぐに部屋へと入った。

 その夜、早速私は効くとは思っていないそのクスリを呑んでみることにした。所謂精神安定剤と呼ばれる薬が存在していることは事実だが、個人差の問題である社交性や対話能力などを変えるのは薬で出来る事がないと思っていた。

 しかし、そのクスリはピエロの言った様に普通の薬ではなかった。

 それは、朝起きてゴミ捨てをしていた時のことだった。

 私の暮らしている地域はゴミの回収時間がかなり早いため、出勤に合わせて家を出る時間に序でにゴミを捨てて行こうとすると間に合わず、私は朝起きて着替えを終えた時点でまずゴミを捨てに行くことに決めていた。その際、いつも決まって近所の人とすれ違うことになるが、これは回収時間が早いため皆が同じ考えだから仕方がないと割り切り、会釈をする程度で何も言わずに済ませていた。

 ただ、この日の私はなぜか近所の人に会ったら挨拶をするべきであると感じ、すれ違った二人に「おはようございます」、「回収時間が早いから大変ですよね」、と話し掛けていた。私はその時はまだ自分自身に起きている変化に気が付いていなかった。

 私がその変化に気がついたのは仕事中だった。

 事務員として働いている私は仕事中はずっとパソコンのモニターと向かい合っており、会社で行う会話は仕事上避けられない必要最低限の報告のみだった。

 しかし、その日の私は普段ならば会釈で済ませている給湯室やトイレでの同僚との遭遇に際し、積極的に会話を行っていた。内容は単なる世間話だったが、私は自分自身がなぜそんな事をしているのか、なぜそんな事が出来ているのか最初は理解出来なかったが、就職以来初めて同僚と共に昼食を食べていた時に同僚から「こんなに話しやすい人だったならもっと早く教えてくれればよかったのに」と言われ、私はやっとあのクスリの効果が出ているのだと気がついた。

 私は明らかに変わっていた。

 その日の仕事帰り、私は駅前であのピエロを捜したがピエロの姿はなかった。それから五夜続けてそのクスリを呑み、休日を挟んだ月曜日と火曜日の前夜に呑むとクスリは無くなった。

 そうしてクスリが尽きた火曜日の仕事帰り、私は翌日からの生活に不安を抱えながら歩いていた。すると、あのピエロがまた駅前にいた。

 私は吸い寄せられる様にピエロの前に行くとこう言った。


「あのクスリ頂戴。流石に今は二万円も持っていないからとりあえず一万円で。三日分だけでもいいからさ」


 その私の言葉にピエロは嬉しそうに笑い、相変わらず口を閉ざした侭で話し掛けてきた。


「クスクス……お嬢さん、その言葉遣いにその表情、そして何よりその態度、クスリの効果は覿てきめんだったみたいだね。いいよいいよ、千円でいいよ。千円で十三錠あげちゃうよ」


「えっ!?ホントに?ありがと!あんたいいピエロだね!」


 私は再びの望外な値下げにすっかり舞い上がっていた。

 しかし、次にピエロが伝えてきた言葉は私を不安にさせるものだった。


「いいピエロだなんて言われたのは初めてだよ。キミもいい人だね。だけどボク、実はもうここに来るのはやめようと思っているんだ。だからお嬢さん、キミにボクのクスリを売るのはこれでオワリさ」


 あまりに突然の宣告だった。

 この日を含めてまだ二度しか会っていないそのピエロとの別れに私は愕然とし、目の前が真っ暗になった。ピエロから買ったクスリの効果はそれ程に劇的で大きなものだった。

 もうクスリが買えない……

 そう思うと頭が真っ白になり、私は真っ暗になった視界と真っ白になった頭の狭間で何も考えられなくなり、その場に立ち尽くしていた。

 そんな私の心を察したのか、ピエロは悲しそうな声で私に話し掛けてきた。


「お嬢さん、実はボクがそのクスリを作れるのはそれで最後なんだ。この前は言わなかったけど、ボクがクスリで助けてあげられるのは一人につき二十回までなのさ。違う効果のクスリを含めてね。つまり、キミは残り十三回、今日売ってあげる十三錠までしかボクのクスリに頼れないんだよ。キミはその十三錠がある間にキミ自身でキミを変えなくてはいけないよ。いいかい?キミはクスリではなく自分の意思で変わるんだ。いや、変われるんだよ。どのくらいの期間が必要かわからないから決してそのクスリは無駄遣いしてはいけないよ。わかったね?ボクのクスリはもう二度と手に入らないんだからね」


「なによそれ……意味わかんないし……私自身で変われなんて言われても、そんなの無理だよ……」


 私はなぜかピエロの言っている事が全て真実であると感じ、頭ではピエロの言い分を確りと理解していたが心はそれを了解する事が出来ずにそう言っていた。ピエロはそんな私の心を読んだかの様に話を続けた。


「大丈夫だよ、お嬢さん。キミなら必ず出来る筈さ。だって、そのクスリの効果はボクにだけは発揮されないんだからね」


「え……?」


「クスクス……キミは他人と同じ様にクスリが効いていると思い込んでボクにも気さくに話し掛けていたんだよ。キミ自身は全く気がついていないけど、ボクに対するさっきのキミの言葉や態度、表情に至るまで全てがキミ自身の心から生まれたものなのさ。いいかい?さっきまでの前向きな気持ちを忘れてはいけないよ。キミはキミ自身で変われるんだよ。わかったね?……それじゃあ、もうサヨナラだ。大丈夫、キミなら必ず出来るさ。キミはボクのお客さんなんだから。ボクを認識して話し掛けられた人は自分を変えようと頑張っている人なんだから………」


 そう言うとピエロは初日と同じ唄を口ずさみながら人混みへと消えていった。

 私はなぜかその後を追ってはいけないと感じ、ピエロの唄声が聞こえなくなるまでその方向を見つめていた。

 私は『不思議なクスリウリ』を自称するピエロから買った不思議なクスリを二度と呑む事はなかった。

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