第6話
妖怪のようなものが人間に化けていると思っていたが、実際は妖怪のような力を持った人間だった。微妙にややこしい事実を知り、頭を掻いて首を傾げる。情報を整理しているのか、穿司はそのまま目を瞑り黙り込んでしまった。
「穿司くん、少しいいですか?」
悩んでいる様子の穿司に優しく声が掛けられる。
「突然こんなことを言われて戸惑うのはわかります。私たちをすぐに信頼することは難しいかもしれません。ですが、まずは落ち着いてください。ゆっくりで構いません。学園にはあなたと同じような力を持った人がたくさんいます。私もその1人です。あなたを拒むようなことは決してありません。ですから――」
「あー待った待った、ちょっとストップ」
不安を取り除こうと紡がれる流華の言葉は片手で静止される。それは強制的なものではなく、むしろ相手を落ち着かせようとするような穏やかなものだった。
「このまま話が進むと変に気を使わせちゃいそうなんで、いくつか言っとく」
「は、はい」
「まず、俺がそういう力を持ってること自体はわかってた。何年か前から。自分なりに扱い方も何となくわかってる」
予想外の言葉に流華は目を丸くする。
「大したことはできないけどな。向き合う時間はそれなりにあったし、今回みたいな喧嘩も何回かあった。まぁ練習というか、使う機会は少なくなかったわけだ」
よほどのことがあったのか、軽くため息が漏れる。しかし想定よりも遥かに薄いリアクションに、流華は少しばかり面食らっていた。
「…なんというか、すごく冷静ですね。私はこういう訪問を担当したのは今日が初めてなんですけど、戸惑ったり取り乱したりする人も少なくないって聞きます」
「別に全く悩まなかったわけじゃない。全部を完全に把握してるとも言い切れないし。ただ、『力の正体がわからないこと』だけが気がかりだった。その答えを教えてもらったんだ、むしろ安心してる」
「そう言ってもらえるなら…私としても嬉しいですけど」
「それともう1つ。学園はともかく、川野のことはもう信頼してる。会ってからずっと俺のことを気遣ってくれてるのがわかるし、嘘をつけるようなタイプにも見えない。さっき『仲良くしたい』って言ってくれたけど、俺も同感だ」
そう話す表情は、柔らかくはあれど別に微笑んでいるわけではない。流華を出迎えてから今に至るまで、気だるげなまま特に変化もなく、ほとんど無表情と言える。喋り方だって抑揚のない淡々としたもの。
立髪穿司は世間一般から見れば、『ダウナー系』もしくは『無愛想な人』に分類される。
しかし、前髪で隠れかけている2つの眼差し。目の前に座る少女に改めて向けられた視線。その一点に関してだけは、向き合った人間にのみ深く理解できる程度の友好的な気持ちが込められている。表情にも言葉にも感情が出にくい分、穿司の視線はその心情を雄弁に語る。
無表情は無感情を示すものではない。ただ感情が表に出にくいだけの人間は、存外多いものである。
(この視線だけは、どれだけ仲良くなっても慣れない気がします…)
再び顔を赤らめながら、流華はそう直感した。穿司が『目を見て話せ』という祖父の教えを無意識に実行していることは、もちろん知る由もない。
「あ、そうだ。質問してもいいか?」
ふと思い出したように穿司は口を開く。
「路地裏の件なんだけど」
「? 何か気になることでも?」
「妙な黒猫がいたとか聞いてないか?」
夜道に現れた小さな案内人。それこそ単に賢い猫か、妖怪の類かと思っていたが、一通り話を聞いた後では別の可能性も浮かんでくる。
「黒猫ですか…。あ、そういえば現場付近で女の子が1人保護されたそうです。『
「猫又、ていうか女の子だったのか」
猫又と言えば尻尾が2つに分かれた化け猫の代名詞。しかし正直なところ、夜中に目が慣れても尻尾の有無すらよくわからなかった。
「家出って、そんな状況でよくあそこに案内できたな」
「えっと、元々は自分の家に案内するつもりだったらしいですよ。インターホン鳴らしてもらって、玄関のドアが開いた隙に家の中に入ろうって。でも途中で例の現場に遭遇しちゃって、しかも穿司くんが首を突っ込んじゃったので、慌てて他の人を呼ぼうとしたら捜査班と偶然遭遇したとか」
「そりゃ悪いことしちゃったな…。今その子はどうしてるんだ?」
むしろ自分が巻き込んだ側だと知って罪悪感を覚えつつ、穿司は黒猫少女の安否を尋ねる。
「担当の方と一緒にいると思います。本人が望めば学園に編入することになるかと。中学生みたいですから中等部でしょうね」
「中等部もあるのか?」
「はい。学園は初等部から高等部まであります。幼稚園も近くにありますよ」
どうやら想像以上に規模の大きい学園らしい。となると当然、穿司の頭には新たな疑問が湧く。というより最初からあった疑問が再び浮上した、の方が正しい。
「そんな学園がなんで今日、俺のところに来たんだ?それにそんな大きな学園なのに、なんで先生とかじゃなくて生徒の川野が?」
妖怪種に関わる騒ぎがあったからと言って、そこから辿り着いたにしてはあまりに早すぎる。
「そもそもですね、穿司くんを訪問すること自体は以前から決まっていたそうなんです。今回の騒ぎは本当に偶然タイミングが重なっただけです」
川野は申し訳なさそうに視線を落とし、両手の人差し指を遊ばせる。
「私が来ることになったのは、穿司くんと年が近いから親しみやすいんじゃないか、と学園長の提案があったからです」
「学園長が直々に?なんだってそんなことを」
「…ごめんなさい。これ以上のことは私にはわかりません。今日は簡単な挨拶と、穿司くんの意思確認が主な目的だったので」
「意思確認?」
「はい。学園側は受け入れる準備が整っています。けど最も尊重されるべきは穿司くん自身の意思です」
流華は改めて居住まいを正し、再び視線を合わせる。今度は恥ずかしがったりしない。本当に重要なことだと態度で示そうとしている。
「現時点での考えを聞かせてください」
「あ、うん。学園には行くよ」
「そうですよね、整理する時間も必要…え?」
「だから、学園には行くって。大事なことだから2回言ったけど。3回目も要る?」
あっけらかんと穿司は答える。流華はポカンと口を開ける。
「いや、あの、いきなり訪ねておいてなんですけど。この時期に学校が変わるって聞いて、そんな簡単に頷きますか普通!?」
「準備してもらってるのに今更『いやです』なんて言えないだろ」
「引っ越しの準備とか」
「じいちゃんが死んでから荷物はまとめてある。そう言われたし」
「でも、今の学校の友達とか」
「元々学校行ってないしな。通信教育だし」
「へ!?あ、いやそれでも、まだ情報とか足りないんじゃ」
「いや結構話してくれただろ。簡単な挨拶だけとか言って、機密事項みたいなのもまあまあ喋ってたし。あと猫の女の子に謝んなきゃだし、学園長に聞きたいこともある」
「それは…」
「なにより、これでお別れなんて寂しいだろ?」
穿司はゆっくり席を立つと、座卓を避けて流華の横に移動する。一連の台詞を全て無表情で何事もないように言うものだから、冗談かどうかもわからない。
だが、今日何度も合わせたその視線だけは、その真剣さを伝えてくる。穿司を気遣って考える時間を与えようとした流華も、それ以上何も言うことはできないほどに。
「そんじゃまぁ改めて。これからよろしくな、川野」
「…はい、穿司くん」
はにかむ流華に手を差し出し、穿司は握手を交わす。
流華の手はヒンヤリと冷たく、真夏の小川の心地よさを連想させた。
あやかしきまなびや 裂刻 @satsuma-kagoshima-sakurajima
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