第12話:処分
ポセイドンの襲撃から三日が経った。
あれから少しずつ日常が戻りつつある。その一方で、いまだ深い傷が癒えない者もいる。
「アシュリー、いる……?」
扉代わりの布越しに問いかけるも返事はない。あの日からアシュリーの顔を見ていなかった。
ウィルがノアの外に出なければ、カーターは死なずに済んだかもしれない。たらればの話ではあるが、ウィルの軽率な行動が招いた犠牲とも取れる。
――恨まれてるかな。
三日前に生まれた一抹の不安は日に日に大きくなっていく。自責の念も、胸を圧し潰しそうなほど膨れ上がっているのがわかった。
なにをすべきだったのか、どうしていればこんなことにならなかったのか。一人で悩んでは、ため息が漏れる。そんな折、ステラが駆け寄ってきた。その手に欠けた皿を持って。
「ウィル、料理」
皿に乗っているのはひどく味気ない簡単なもの。料理はアシュリーとカーターに任せきりだったのだから仕方がない。二人に比べれば粗末なものだが、なにも食べないよりはずっといい。
「ありがとう、ステラ。……アシュリー、ご飯置いておくね。ちゃんと食べるんだよ」
やはり返事はない。布を微かに捲り、その隙間から皿を置く。突き返されないし、時間が経てば微かに手を付けられたのもわかる。食べてはいる、それだけでひとまずは安心だった。
あまり長居をしても彼女の負担になるだろう、ウィルならば猶更だ。
「……じゃあ、行くね」
あまり一人にさせたくはなかったのだが、いまは傍に寄り添うことさえ難しい。ウィルが自分を責めることを続けている以上、アシュリーの心情がわからない以上、無策に動けば彼女を苦しめることになりかねないからだ。
足取りの重たさは視線に比例する。ウィルの口から漏れるため息はかつてないほど深い。ステラもどうしていいかわからず、ただ彼の隣を歩くだけだった。
そのとき、ウィルの名を呼ぶ声がした。顔を上げると、ハインが厳めしい顔で睨み付けていた。
「湿気たツラを見せるでないわ」
「ハインさん……ああ、そうだった。拳骨百発と、小言ね」
「そんなことはこの際どうでもいい。お前の話を聞かせろ、ついてこい」
「俺の話……」
どこまで話していいものか。違う、全て話すべきなのだろう。ポセイドンが接触してきた以上、ウィルが隠すべきことなどなに一つ残っていない。
力なく返事をすると、ハインは大きく嘆息した。づかづかと大股でウィルの下へ、そうして――。
「しゃんとせんか馬鹿者!」
「いったぁ!?」
脳天に拳骨を見舞った。突然のことで体勢も整えられないウィルはそのまま顔面から地面に叩きつけられてしまう。
ステラが驚いたように目を丸くしているが、二人にとってはいつものやり取りだった。あんなことがあったにも関わらず
「お前が辛気臭い顔をしてどうする! 男がうじうじ悩むもんではないわ!」
「だっ、だけど! 俺がノアの外に出なかったらカーターさんは死ななかったかもしれないだろ!? シモンズを止められたかもしれないだろ!? あの人が殺されたのは俺のせいだ!」
「抜かせクソガキ! お前はあの男にまるで歯が立たなかっただろうが!」
ポセイドンからの刺客、マルコム・シモンズ。カーターを殺したのは彼だが、ウィルは確かにシモンズを止められなかった。額を撃ち抜かれても死なないのだ、あの場に誰にも彼を止めることは出来なかっただろう。
だからといって開き直ることなど出来はしない。ウィルは立ち上がり、ハインの胸倉を掴む。無言で睨み付けるが、言葉は出てこなかった。精一杯の反抗でしかなかった。
ハインは舌打ちし、ウィルの腕を掴む。そのまま彼を引き剥がし、突き飛ばした。受け身も取れずに転ぶウィル。
「自分がいたら止められたかもしれない? 思い上がるのも大概にせんか! お前がいようがいまいがカーターは殺されていた、あの男にだ!」
「……じゃあどうすりゃよかったっていうんだよ!」
跳ね起きて、再び掴みかかるウィル。海獣のように息を荒らげ、ハインの肩に指を食い込ませる。ステラが止めに入るが、引き剥がすことは出来なかった。
ハインは頭を仰け反らせ、勢いよく叩きつける。鈍い音が響き、ウィルが頭を抱えて倒れる。痛みに呻くウィルの髪を掴んで怒鳴った。
「過ぎたことを悔やむのを止めろと言っているんだ!」
「過ぎたことだって!? 人が死んでるんだぞ!? あんたは家族が殺されてなんとも思わないのか!?」
「
ハインの表情に初めて悔しさが見えた。そこでウィルはようやく気付く。彼もまた、一人でなんとかしようとしていたことに。
自分だけがこの事態を収束出来る、そう信じて臨んだ。だが実際、ウィルがいなければどうなっていたかはわからない。ノアは吸収されていたかもしれない上に、死者はカーター一人では済まなかったかもしれない。
それがわかっている。一人でなんとか出来るなどとんだ思い上がりだと身を以て知ったのだ。だからこそ、それを正さなければならない。いまのウィルは、三日前のハインそのものだった。
「お前が怒る気持ちもわかる。だがな、過去は変えられんのだ。カーターの死は防げたかもしれん。だがカーターは殺された。まずはその事実を受け止めろ」
「……受け止めて、どうしろっていうの」
「どうすれば繰り返さずに済むかを考えろ。過去は経験で、経験は知恵だ。知恵がなければ解決策は思いつかん。カーターの死を無駄にしたくないなら、二度とあんな思いをせんような策を練る。……残された身に出来ることなんぞ、それしかない」
諭すような声音のハイン。初めて聞くその声に、ウィルは言葉が出てこなかった。反抗する気も削がれ、その場にへたり込む。
ステラが二人の傍で屈み、ふっと笑みを浮かべる。その表情もまた初めて見るものだった。
「ウィルのこと、話して」
「うん……ハインさん、掴みかかってごめん」
「礼を言われるようなことではないわ」
「素直じゃないんだから、おじさんは」
「減らず口を叩けるなら心配しただけ損というもんだ。立て、ついてこい」
「はいは……はい」
一回でいい、と殴られてはたまったものではない。苦笑して、ハインについていく。
彼に連れてこられてのは住宅街の中央。ウィルたちが乱暴な着地をした場所だった。衝撃で再起不能になったらしく、一台の小型船は思っていた以上に破損していた。あれで外に出るのは難しいだろう。正しく動くかわかったものではない。
小型船の周りには住民が集まっており、ウィルたちの姿を見ると一斉に駆け寄ってきた。
「ウィル、随分大胆な帰りだったなぁ」
「びっくりしておかえりって言いそびれちゃったよ」
「なにはともあれ無事でよかった、ステラちゃんもね」
あんなことがあってもウィルは家族の一員。そう実感させる言葉の数々に、迂闊にも涙が零れそうになる。
ここで泣いてはまたハインの拳骨を食らいかねない。ぐっと堪え、ウィルは笑顔を作る。多少無理が映っていても、その方が安心させられるはずだ。
「言いそびれてたけど、ただいま。俺とステラは大丈夫だよ」
「ただいま。私たちは無事」
心なしかステラの表情も緩い。記憶も出自も不明のステラだが、ここが彼女の帰る場所になるのも存外悪くないのかもしれない。
和やかなムードが漂う中、ハインが大きく咳払いを一つ。住民の顔に僅かな緊張感が走る。
「で、ウィル。お前は何者だ。どこから来て、どうしてここにいる」
「……話すよ、全部」
ウィルの表情に影が差す。願わくばアシュリーもこの場にいてほしいところだったが、いまだ顔を見せない彼女を呼び出すのは酷だ。
どこから話せばいいのだろう。迷っていると、住民から驚いたような声が上がった。彼らの視線を追うと、そこにはやつれた顔のアシュリーがいた。
「アシュリー……」
「……さっきの、聞こえてたよ」
「あっ、ご、ごめん……つい感情的になっちゃって……」
「いいの。二人とも、お母さんのことで怒ってくれてるの、わかったから」
微笑むアシュリーだが、心が休まっていないのは目に見えてわかる。不安そうに見詰める住民に対しても、彼女は弱さを見せることはなかった。
「ウィルくんの話、するんだよね。わたしもちゃんと聞きたい。ウィルくんのこと、教えてくれる?」
「……うん、勿論。みんなに知ってほしい。俺がどうしてここにいるのか。ここに来る前にどこにいて、なにをやってたのか」
珍しく見せる神妙な面持ちに、住民の表情も変わる。真剣にウィルの話を聞こうとしていた。
深呼吸を一つして、ウィルは語り始める。
「俺は元々、アーク・ポセイドンで研究者をしてたんだ。具体的にはアーク……特に
「それ、ステラが使ってた不思議な力だよね? 鉄くずが短剣に作り替わって……」
「そうだけど、正確には違うんだ。基本的に
そう、
聞き慣れない単語に住民の顔には疑問符が浮かぶ。これは想定しうる事態ではあった。
「簡単に言うと、対象の物体を一番いい状態に戻す力。研究を進めてわかったことなんだけど……この力は、人間が扱っていいものじゃなかったんだ」
「どうして?」
「時間を巻き戻すなんて神様みたいだろ? そんなすごい力を人間が手にしたらどうなると思う?」
ウィルの問いかけに押し黙る住民たち。小さく穏やかな世界で育ってきたならわからないかもしれない。
もっと人が多く、ある種の階級社会でそういった力が出回り、その力が一部の者にしか与えられないとしたら。待っているのは争いだけだ。
「
「……でも、シモンズは研究を引き継いだって」
「そう。あいつに研究を再開するように指示したのは間違いなくポセイドンの主――陛下って呼ばれる、第一海層の王だ。あの人は目的のためなら手段を選ばない、俺の忠告も聞かないで、それどころか俺を技術開発局から追放した」
それから、ウィルの人生が大きく傾くことになる。ステラを一瞥すると、彼女はすっと目を細めた。
「……王の傍には、現状を憂う人がいた。俺はその人と結託して、王に楯突いた。だけど、失敗した」
たった二人で世界に歯向かうなど、無謀極まりなかった。ただ、大義はあった。それが冷静な思考を奪っていたのだろう。二人なら成し遂げられる、必ず世界を変えられると、本気で思っていたのだ。
苦笑が漏れる。若さ故の過ちなんて簡単な言葉で済まされない。覚悟が足りなかったのだ、ウィルも、“彼女”も。
「陛下は俺を“処分”するって言った。棺桶みたいな小型船に詰め込まれて、ポセイドンから棄てられて……奇跡的に生き延びて、いまここにいる。これが俺、ウィリアム・ドレイクの全てだよ」
昏き深淵のステラ 小日向佑介 @khntUsk0519
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