第11話:最善策
「なんの騒ぎだ! っ!? これは……!」
「ウィル、どうし――カーター……?」
叫び声を聞きつけてか、ハインとステラが飛び込んでくる。厨房内の惨状に声も出ない二人。ウィルも、アシュリーも同様だった。シモンズだけが飄々と、極めて自然に振る舞っている。
「ああ、ああ。見るも無残に命を散らしたご婦人ですが、悲しむことはございません。なぜなら、私に彼女を殺害するよう指示したのは、ウィリアムくんだからです。貴女が抱くべき感情は憎しみです」
「シモンズ、あんたなにを……」
「ウィル、くん……嘘、だよね? この人の出任せ、だよね?」
信じたい、信じさせてほしい。
アシュリーの表情は切実だ。声音もまた、訴えかけるような儚いもの。すぐに否定すればいい、安心させてあげなければならない。
そう判断し、口を動かすよりも早く。シモンズは額に手をやり大袈裟な動きを見せた。感動した、とでも言いたげに。
「おお、おお! 情とは
大仰な口調も、表現も。なにもかも芝居がかっていて胡散臭い。感情が籠っていないことなんて誰が聞いてもわかる。心が正常なら。
だがこの場において、正常な人間など存在しない。カーターの死、ウィルの素性。混沌とも言える空間では物事の真偽など正確に判断出来るはずがないのだ。
シモンズはそれを理解している。彼は再び底の知れない表情を映し、アシュリーを見下ろす。
「――ですがお嬢さん、これは事実です。ウィリアムくんはポセイドンの人間であり、私たちにアーク・ノアの調査報告を行っていた。彼は真面目な方ですからね」
「黙れシモンズ! いい加減なことを言うな! 俺を第六海層に棄てたのは他でもないあんただろ!」
「誤解されているようですが、あれは陛下の命ですよ。私の意志は微塵も介在しておりません。それにウィリアムくん、貴方はご自身の意志でこの海層に行くことを決めたではありませんか。アーク・ノア吸収の任に就くために」
「違う! 棄てられたのは俺がポセイドンに叛逆したからからだ! ノアに辿り着いたのだって偶然で、任務なんて与えられてない! それ以上口を開くなら――!」
銃を引き抜き、突き付ける。ハインが一歩前に出たが、ステラが制した。言葉にこそしなかったが、ウィルを信じてほしいという気持ちの表れだろう。引き下がるハイン。
シモンズはやれやれと肩を竦める。怒りと殺意を滲ませたウィルを前に、怯んだ様子もなかった。
「撃ちますか? どうぞご随意に。ときにお嬢さん、こうも感情的に銃を突きつける者を信用出来ますか?」
「え……?」
「彼の気分を害すれば、貴女にもいずれ銃を向けるかもしれませんよ。ああ、そうすれば彼女の元へと逝けますね。それもまた幸せの形でしょうか、素晴らしい」
「っ――!」
瞬間。
撃鉄の音が響いた。シモンズが頭を大きく反らし、その場に倒れる。カーターと同じように、額から血を流して。
ハインとアシュリーの表情が固まる。ステラだけが、唯一取り乱さずに見守っていた。
硝煙の臭いが立ち込める。そこでようやく、ウィルは引き金を引いたことに気付いた。
人間を、撃ってしまった。殺してしまった。震える手が握る銃で、守るために殺した。
いったい、なにを守るために?
「あ……ああ……!」
膝から崩れ落ちるウィル。この場の誰も動けなかった。
守るために殺す、なんて言って子供を諭した。だが実際、いまの一発でなにを守れただろう。自身の浅はかさを悔やみ、銃を床に叩きつける。
「――ああ、ああ。非常に耳障りでかつ、実に甘美な声だ。この世でこれ以上心を満たすものは存在しない」
そんな中、仰向けに倒れたシモンズが立ち上がる。弾丸など、流血など意にも介さずに。
死んだはずだ。額を撃ち抜かれたはずだ。だというのに、生きている。何事もなかったかのように姿勢を正し、ウィルに哀れむような眼差しを向けた。
「いけませんね、ウィリアムくん。感情に身を任せて人を殺すなど、ご両親が泣いてしまいますよ。……ああ、貴方が稀代の大罪人となったことで泣いていましたね。今更でしたか」
「あんた、なんで生きて……」
「
シモンズの言葉に、顔が真っ青になるウィル。
彼がポセイドンで行っていた研究。技術開発局が進めていたプロジェクト、それは――古代文明の再現。古に存在し、継承されることのなかった力。即ち、
「完成、させたっていうのか……?」
「いえ、まだ実験段階です。私自身が被験体となることで再現性、実用性を確かめているのです。額に弾丸を撃ち込まれたとしてもこうして命を保てているということは、完成と言って差し支えないのかもしれませんがね」
ならばシモンズはどうやって自身を再現した? 理解が追い付かないウィルに、シモンズは得意げな顔を見せた。
「研究者として貴方よりも私の方が優れていた。それだけの話ですよ、お気になさらず」
柔らかく口元に笑みを湛えるシモンズ。しかし瞬きの間に凍えるような無表情に戻る。
「……さて、これはいよいよ交渉決裂と判断して良さそうですね。となれば、実力行使と参りましょうか」
「そうはさせない」
ここまで黙っていたステラがシモンズの前に立ちはだかる。そうして右手を翳した。光を放つ右手、そこから三叉の槍が生み出される。
先端をシモンズに突き付ける。すると彼は微かに眉を動かした。初めて、感情が映ったようにも見えた。
「ノアを奪うなら、私はあなたの命を奪う」
「殺しても死なないなら、どうするおつもりで?」
「死ぬまで殺す」
明確に「殺す」という表現を使うステラ。ウィルやハイン、アシュリーも動揺を隠せていなかった。
アシュリーたちは彼女が戦えることを知らない。止めてもおかしくはなかったのだが、二人とも動けずにいた。
ステラの放つ殺気は尋常ではない。それこそシモンズの飄々とした佇まいに匹敵するほど不気味だ。死ぬまで殺す、という言葉を必ず実行すると思わせる迫力は、この場に凄まじい重力を生み出していると錯覚させる。
無言で睨み合うステラとシモンズ。一色触発の空気の中、急にシモンズが笑い出した。
「はっはっは、参りました。気の強いお嬢さんですね」
「なら、
「ええ、勇敢なお嬢さんに免じて。アーク・ノアの吸収は一旦見送りましょう」
「ありがとう。ただ――」
ステラが握る槍が一瞬震えた。抑えきれないようななにかが槍に伝わっているようにも見える。表情は険しく、その視線には殺してやると言わんばかりの敵意が見て取れた。
「カーターを殺したことは絶対に許さない」
「許す、許さないといった次元のお話でしょうか? 消耗品を使って恨まれる謂れはございませんがね」
「……気が変わった。いまここで殺す」
「待って、ステラ」
黙っていたウィルが二人の間に入る。ステラの表情が微かに揺れた。シモンズを庇うことを想定していなかったのだろう。
額を撃ち抜かれても死ななかったのだ。その理由には
ノアを守るのなら、シモンズの機嫌が取れているうちに帰還させるのが最善策だ。昔の話とはいえ、一時は協力していたからこその判断である。
「……ここは俺たちが退くべきだ。ノアを守る意味でも、戦っちゃいけない」
ステラを筆頭に納得がいっていない様子の面々。ハインは懲らしめてやらないと気が済まないといった表情。アシュリーはこのまま逃がしてほしくない、いますぐ仇を取ってほしいと乞うような眼差しを向けている。
ウィルとしても、カーターの死を受けて冷静ではいられない。ただ、かろうじて残っている理性はノアの人々を守ることを優先した。これ以上傷を増やす必要はない。
いまだ殺意を隠せないステラ。彼女の視線から逃げず、ウィルは続ける。
「……これが最善策だ。武器を収めて」
「でも」
「頼む。ノアの人たちを守りたいなら、いま戦う必要はない。帰ってくれるならそれが一番いい」
「感情任せに引き金を引いた割には冷静ですね、ウィリアムくん」
返す言葉もなく、かといって敵対心を見せてはならない。ウィルは唇を噛み、俯く。いま出来ること、やるべきことは戦闘じゃない。不死身のシモンズと戦ったところで勝ち目がないのだから。
「ええ、ええ。彼の言う通り。私はいま、ポセイドンへ帰還しようという気分です。これを害されれば……ああ、アーク・ノアがどうなるかは保証出来ません」
本心の窺えない淡々とした声音のシモンズ。彼を煽る必要もいまはない。ウィルはシモンズに向き直り、頭を下げた。
「アーク・ノアの吸収を保留にしていただき、ありがとうございました」
「ええ、ええ。お気になさらず。いやはや、他ならぬ彼女に凄まれては私としても無理は出来ませんからね」
ウィルの肩に手を置くシモンズ。顔を上げ、絶句した。
笑っていた。それも、とびきり邪悪な笑みだった。ウィルの中である可能性が浮上する。
「……あんた、ステラが何者か知って――」
「では、私はこれにて。お嬢さんの手料理もご馳走になりたかったところですが、それはまたの機会に」
びくりと肩を跳ねさせるアシュリー。こんな目に遭わされて誰が料理を振る舞いたいと思うのか。マルコム・シモンズという男の腐った性根が窺えただろう。怒りが抑えきれなかったハインが舌打ちする。
そうしてシモンズは出ていった。彼が一言呟くと、頭上に君臨するアーク・ポセイドンから光の柱が降りてくる。それがシモンズを覆うと、瞬く間に彼の姿を隠し、消してしまった。
それから間もなく、ノアが大きく揺れた。あれだけの巨体が動くのだ、ひれが水を掻けば波が生まれる。小さなノアを攫うほどの勢いにウィルたちは驚いた。
厨房を出たウィルとステラは頭上を見上げる。ポセイドンの姿はどんどん遠退いていく。
「……っ?」
「ステラ?」
「……なんでも、ない」
表情を歪め、額を押さえるステラ。痛みがあるようだが、原因がわからないのだろう。ウィルもそれ以上は触れなかった。
そうして影も見えなくなったポセイドン。二人はじっと、暗闇の向こう側を睨み続けていた。無力を嘆くように、痛いほど拳を握り締めながら。
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