第8話:捕食

『ふふっ、どうしたの? そんな顔をして』


 瀕死のアーク、プロメテウスは愉快そうに笑う。少女らしい仕草ではあるものの、話し方には落ち着き――というより、貫禄がある。見た目以上の年季を感じさせた。

 人間の来客が続いたと言っていたが、ウィルたち以外にもアークの外へ出る者がいるとは考えにくい。それ以上に、この海層にノア以外のアークが存在しているのも想像が出来なかった。


 プロメテウスはどこかリラックスした様子で座り込む。自宅を訪れた友人を迎えるように。


『適当に掛けて。散らかっててごめんね』

「あ、あの……あなたは?」

『アーク・プロメテウス。ふふ、一度名乗ったんだけどな』

「いや、それは聞いてたんですけど……ここ、やっぱりアークなんですね」

『うん、そう。廃墟同然の私のところにお客様が来るなんて、いい最期を迎えられそう。ひょっとしてきみたちが私の天使さんかな?』


 終わりが近づいているのを察しているようだ。それにしては死を恐れている様子もない。

 この人はいったい何者なのか。プロメテウスの人格ならば、いったいなにがあってこんな惨状が? 疑問は尽きるどころか湧くばかり。


 そのときステラが一歩前に出た。なにか聞きたいことでもあるのだろうか。


「初めまして、プロメテウス。私はステラ」

ステラ? いい名前を貰ったんだね。きみのご両親はきっとロマンチストだと思うな』

「ロマンチスト?」

『夢見がちな人のこと。男性に多い気がするな。ステラの名付け親はお父さん?』

「ウィル」

「えっと……俺、です」

『へぇ、若いのに博識だね。星なんてこの時代に知る人はいないはずだけど』

「歴史に興味があったので」


 プロメテウスは驚いたように目を見開く。その反応を見て、ウィルはある確信を持った。

 恐らく彼女は疑似的な人格ではない。陸で生きてきた人間そのものだ。どういう理屈でその人格を残せていたのかはわからない。ただ、ノアとは決定的に違う。

 彼女は生きている。アークとしても、人間としても。死に瀕してなお、確かに存在しているのだ。


 空気が微かに和らいだところで、ウィルは問いかける。


「アーク・プロメテウス。質問があります。ここはどうして滅びてしまったんですか?」

『どうして、か。そんなに難しい話じゃないよ』


 あっけらかんと話すプロメテウス。永い時を生きていればこのような事態も予想は出来るものなのだろうか。

 自然に滅びたとは考えにくい。システムエリアの破損具合から見るに、人間が関わっていることは確実。それに加えて、人ならざるなにかの助力もあったはずだ。人間の力だけでは実現不能な傷も負っているのだから。


 プロメテウスは遠くを見るように顔を上げ、語り出す。


『いまから七日前。きっかけは単純なことだったんだよ。お客さんが現れて、いまよりも快適な暮らしを提案した。住民は乗るか反るかの選択を迫られたんだ』

「……? 反る理由がわからないです」

『なんの見返りもなしに施しを与えるほど人間は清らかじゃないよ。快適な暮らしを提供する、その代わりに――プロメテウスを喰わせろっていうのが条件だった』

「……!? アークを……喰う?」


 イメージが出来ない。こんなに巨大なものを誰が、どうやって食べるのか。アークを捕食できるほど巨大な生命体なんて見たことも聞いたこともない。

 未知の海獣がいる? それならすぐに討伐隊が駆り出されるはずだ。“上”では出会ったことがない、第六海層でも。アークに匹敵する大きさの生命体なんて――


「……あれ?」

「ウィル? どうしたの?」

『ふふ、気付いたかな? ウィルは賢いんだね』


 微笑むプロメテウス。一方でウィルの表情は青ざめるばかりだった。

 アークを捕食するほど大きな生命体。海獣でないとするならば、そんなものはこの世界で一つしかない。


「……アークが、アークを捕食する……?」

『ご明察。アークは私たち・・・が遺した人工生命。生き物だもん、なにも食べずには生きられない。だから、役目を終えたアークを食べて生き永らえるの』


 衝撃的な事実に全身が震えた。アークを生命と仮定するなら、エネルギー源はなんなのか。研究者が長い年月をかけて辿り着けなかった真実は全身を粟立たせる。

 アークのエネルギーは、死んだアークを喰らって補っている。こんな摂理にいったい誰が気付けるだろうか。


 それにプロメテウスは『わたしたち』と言った。つまり、アークの建造に関わった者の人格がシステムとして投影されている? であればノアも同様のはずなのだが、あんなに拙い喋りをする彼がこれだけ規模の大きい計画に携わっているのも意外だった。


 言葉を失う二人を見てプロメテウスは肩を竦める。


『驚くかもしれないけど、自然の摂理だよ。話を続けるけど、住民はひどく反発したの。自分の家同然の存在をおいそれとくれてやるものか、って。嬉しいけど複雑だった』

「どうして複雑なの?」


 ステラの問いかけにプロメテウスは笑う。この世界について知らないことの多いステラだが、臆せずに純粋な疑問をぶつけられるのはいいところだと感じる。


『私の役目はこのくらい世界で生きる場所を与えること。もっと快適に暮らせるなら、そっちに移ってくれる方がずっと良かったんだ。義理固い家族に恵まれたと思うよ』

「……でも、滅ぼされたの?」


 重たい声音で問いかけるステラ。ウィルも同じことを考えていた。それだけ愛着を持った住民が多いなら、提案した側だって強行手段を取るとは思えない。

 プロメテウスは困ったように笑う。子供のやんちゃな姿を見たときのアシュリーに似ていた。


『提案したのはポセイドンだったんだ。彼が遣わせた人間は抵抗した住民を殺してしまった。そして、プロメテウスのシステムエリアを破壊した。アークとしての役目を果たせなくなった私は、そうしてここに沈んだの』

「……! また“上”か……!」


 ポセイドンは第一海層の首都。かつてウィルが暮らしていたアークだ。それならば納得がいく。

 第一海層において唯一のアーク。即ち、その主は世界の統治者と言ってもいい。ウィルがかつて牙を剥いた、稀代の暴君だ。目的のためならば手段を選ばず、自身の邪魔となれば一切の情を捨て排除する。

 そうしてウィルは棄てられた。どれだけ貢献しようとも、都合が悪ければなかったことにするのだ。存在諸共。


「教えて、プロメテウス。ポセイドンはなにをしようとしているの?」

『私にはわからない。でも、もしかすると他のアークも同じような目に遭ってるかもしれない。きみたちはどこから来たのかな?』

「ノア」

『ノア? へぇ、あの子も長生きだね。しっかり食べてるみたいでよかった。元気の証拠だね』


 どうやらプロメテウスはノアのことも知っているようだ。

 だが、ノアが他のアークを捕食していたなんて話は住民の誰からも聞いた覚えがない。そんな場面に直面したなら、誰かしら覚えているだろう。

 ますますノアのエネルギーがどこから供給されているのかが気になる。謎は深まるばかりだ。


「プロメテウスはノアのことを知ってるんですか?」

『勿論。アークはみんな同じ時期に造られたから。あの子はとってもいい子だよ。それでいて、かっこよくて可哀想な子』


 遠くを見るように視線を投げ出すプロメテウス。

 彼女は――あるいは他のアークも皆、ノアのことを知っているのだろう。

 かっこよくて、可哀想。かつて人間だった頃のノアはどのような経緯でアークの建造に携わり、一つの世界を担うまでに至ったのか。ノアに聞いても答えてはくれないだろう。プロメテウスや他のアークだって同様のはずだ。彼女の顔を見ればわかる。

 なにかを背負う者を助けてあげられなかった。プロメテウスの顔には自身の無力を嘆くような悲しい色が滲んでいる気がした。彼女はただのシステムではなく、一人の人間であると再認識した。


「この海層……えっと、同じくらいの水深に他のアークは存在してるんですか?」

『どうだろう? 基本的に他のアークと合流することがないからわからないや。周囲の探索、やってみようか?』

「お願いします」


 これで他のアークに出会えるならば儲けものだ。とはいえ、一度ノアに帰る必要はあるだろう。あまり長期間離れるとアシュリーに言い訳を任せるのが申し訳ない。

 プロメテウスはシステムを起動し、この近辺の探索を試みた。映像を映し出す部分がかろうじて生きていたのか、壁にはノアで見たような図が表示される。

 しかし、プロメテウスの周辺に大きな反応は見られなかった。既に捕食されているか、あるいは相当離れた海域に存在するのか。確かめる術もない。


「ありがとうございます」

『ううん。力になれなくてごめんね』

「とんでもないです、むしろいい発見になりました」


 第六海層の広さなんて想像もつかない。恐らく、ほとんどのアークは一人で小さな世界を維持し続けているのだろう。運悪く活動を終えてしまったアークを喰らい、想いを引き継いで。


 この世界には解き明かされていない謎が多過ぎる。世界の、歴史の真相が全て明るみになる日が来るとしたら、きっとウィルたちのずっと後の世代になるのだろう。

 途方もない時間をかけてなおわかっていないことだらけなのだ。出来る限りの研究は進めてみたいところではある。


 プロメテウスは思い出したかのように『そうだ』と呟いた。


「ウィル、ステラ。今日はノアのところに帰ってあげて。ポセイドンのことだもん、いずれそっちにも向かうと思う。それは明日かもしれないし、何年も先のことかもしれない。いまこの瞬間にノアと接触してるかもしれないし」

「……だとしたら、まずいな」


 呟くウィル。脳裏を過ったのはハインの顔だ。

 いきなり現れて好条件の取引を持ち掛けられたとして、あの頑固な男が応じるはずもない。ノアにおいて彼以上の発言力を持つ者はいない。

 アーク・プロメテウスの事情を知った以上、いまは想像しうる限り最悪の状況だ。なにせノアの――そこで暮らす人々の生活、命がハインに委ねられている。


 彼らはポセイドンを知らない。提案を突っ撥ねた場合、どうなるかなんて想像も出来ないはず。血の気が引く思いのウィルは慌てて踵を返す。


「ステラ、帰ろう! 全速力で!」

「わかった」

『行ってらっしゃい。ああ、ステラ』

「なに?」

『ちょっとだけ時間貰ってもいいかな?』

「……? ウィル」

「先に行って準備してる! 急いで追いついて!」


 ステラが頷いたのを確認し、駆け出すウィル。

 残されたステラにプロメテウスは微笑む。なぜ一人残されたのか、彼女はわかっていないようだった。


『……悲しいね』

「? なにが悲しいの?」

『きみも私と同じだからだよ』

「私とプロメテウスが同じ? どういうこと?」


 首を傾げるステラ。アークと自分が同じであると言われても、彼女にはしっくりこないだろう。

 だがプロメテウスは違うようだった。自身とステラに共通点を見出している。プロメテウスは苦笑を浮かべた。


『ピンと来ないよね。仕方ないか』

「どういうこと? あなたは私のなにを知っているの?」

『……またここに来たときに教えてあげる。さ、行ってらっしゃい。ノアの人を守ってあげてね』

「……? わかった」


 プロメテウスの言葉の真意はステラにはわからない。それでも、この惨状を見た上でノアの住民を他人とは思えなくなっただろう。碧の瞳に決意が灯る。

 駆け出すステラ。その背中を、プロメテウスは優しく見送る。姿が完全に見えなくなり、彼女は深いため息を零した。


 『……あの子、いったいどうやって造られた・・・・んだろう』 


 その言葉を最後にシステムは停止する。暗闇に傷痕だけを残したまま。

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