第7話:暴虐の跡地
「ウィル、起きて」
「ふわっ……ん、ステラ……?」
一度は起きたものの、ステラが体を揺するものだから再び微睡みが訪れる。外はまだ暗い。起床時間が訪れていないはずだ。彼女は微かに目を細めて告げた。
「“なにか”のところに行くんでしょう?」
「ああ、そうだった……」
そのためにこんな時間を選んだのだ。すっかり忘れていた。鉛のように重たくなった体を起こし、軽く伸ばす。眠気はそう易々と取れるものではないが、そのうち引いていくだろう。
「ハインさんには見つかりませんように」
ポケットをまさぐり、小型船格納施設の鍵を取り出す。昨日、ステラを助けるために借りたまま返していなかったのだ。
これを利用して、ノアの外へ。二人の行方がわからなくなったと騒ぎになった場合は、アシュリーが口裏を合わせてくれると言っていた。彼女の言葉なら皆も信じてくれるだろう。
こっそりと家を出て、身を隠しながら船首へ向かう。誰かに見つかれば計画がおじゃんだ。慎重に、警戒しながら進んでいく。
結果として誰にも遭遇することなく到着し、小型船を格納する施設を上っていく。一人用のものだと少々息苦しいが、あまり目立つものを利用するわけにもいかないか。
手近な船に鍵を差し、乗り込む。
「ステラ、ちょっと狭いけど大丈夫?」
「大丈夫。後ろに乗ればいい?」
「うん、お願い」
こくりと頷き、運転席の後ろ側で体を畳むステラ。
準備は万全。銃も持っているし、海獣が現れても撃退出来るだろう。ステラを守りながら、というのは骨が折れそうではあるが。
アクセルを踏み、走らせる。勢いを利用し、ノアの外へと飛び出した。
第六海層は驚くほど静かだ。光もなく、生物の姿もほとんどない。眼下に埋もれる文明の遺産がこの世界の荒み具合を如実に表している。
ウィルは運転席の近くにある画面を注視していた。そこに進行方向はノアから見て南西。アークに匹敵するほどの巨大な“なにか”だ。
ノアに必要なものと言っていたが、具体的になぜ必要なのかは聞いていない。というより、ノア自身もわかっていないようだった。ただ、規定された動きに反してまで求めたものだ。あれだけ巨大なものが必要としているならば、相当なエネルギー源のはず。それこそ、現代人の手に余るほどのものの可能性が高い。
そしてその情報は、きっとステラにとっても有益だ。彼女の正体は謎に包まれている。アークと並ぶほど不思議な存在なのだ。
仮に彼女がただの人間ではない場合、先人の叡智に触れることの方が実りが大きいとウィルは判断した。そのためには、ノアの外に出てみる必要があった。
だしにしたと言えばその通りだが、冷静に考えればある程度理に適っているとも感じている。
「ウィルは“なにか”に心当たりがあるの?」
「全くないんだよね。でもアークと比べてもかなり大きい存在だ。持って帰れなくても、見るだけで価値はありそうかなって」
「それが私の正体を知る手がかりになる?」
「少なくとも、ノアで暮らすよりは近づけると思う」
「そう」
それきり、ステラは黙ってしまった。彼女としても、自分の存在に思うところがあるのだろうか。世界のことを教えてほしいと頼んできたのも、知らないことが不安だから?
そう考えれば、ウィルにも気持ちはわかる。知らないままでいることへの恐れは、強さへと変えることが出来る。
なにも知らないままでいるのが嫌ならば、彼女はきっと強くなれる。たとえ彼女の正体が、どれだけ歪なものだったとしても。
どれだけ進んだだろうか、画面に映る反応は徐々に近づいている。好奇心は鼓動を加速させ、ハンドルを握る手にはじんわりと汗が滲んでいた。
――そうして、目的地へ到着する。
「……これ、って……」
アークに匹敵するほど巨大な存在。その全容にウィルは息を飲んだ。
力なく垂れた胸びれと尾びれ。人が暮らしていた形跡のある、住宅街と思しき建造物の群れ。それを覆う薄い膜。
見間違えるはずがない。あれはアークだ。恐らくは、船舶型都市としての活動を終えたもの。
ノアにとって必要なものがアーク? それに、活動を終えたのならばここに住んでいた人たちは……?
恐ろしい考えが脳裏を掠める。膜は残っているのだ、まだ誰かが住んでいる可能性はある。ステラに目配せするが、彼女は運転席に身を乗り出してアークの背中を指差した。
「なにかいる」
彼女の指が示す方、アークの背中。そこでは人間とは異なる異形が徘徊していた。
四足で歩き、太い尾を垂らした獰猛な生き物。泳ぐためのひれも持ち、凶悪な爪が荒れた世界に傷をつけている。
一体ではなく、目視出来る限りで五体。紛れもなく海獣だった。
「……っ、生存者は」
「直接調べればいい」
「直接って、ステラ!?」
ステラは手を伸ばし、スイッチを押す。すると彼女の足元が開き、生命のみを通過させる膜が現れた。彼女はなんの躊躇いもなく膜を潜り、海中へ。
ウィルの制止も聞かず、アークへと泳いでいく。丸腰の彼女になにが出来るのか。ウィルはアクセルを目一杯踏み、ステラの後を追う。
小型船よりも早く泳ぐ彼女は本当に何者なのだろう。この謎もいずれ解明されるのだろうか。などと思っていると、彼女は右手をアークの方へ伸ばした。
その手は光を放ち、横一線に伸びていく。光が弾けたとき、彼女の手に握られていたのは三又の槍だった。ここに流れ着いたとき、彼女が着ていた服に刻まれた紋章そのものだ。
「
ステラは槍の先端をアークに向ける。異変に気付いたのはその直後だった。槍が電気を帯び、先端に集中している。どんな力なのか、興味はある。だがそれ以上に――。
「ステラ、待って!」
「“トリアイナ”」
静かに告げられた言葉。それと同時に槍が突き出される。先端で力を蓄えた電撃は五つの稲光となって海獣に迫る。
彼らがそれに気付いたと同時、凄まじい衝撃がアークの背中を襲った。元々崩壊気味だった住宅街に煙が立ち昇る。ステラはその中に、またしても躊躇なく飛び込んでいった。
ウィルはアークの背中にアンカーを打ち込んで着地する。まずはステラを追わなければならない。
煙は簡単に晴れる様子はない。この中でどうやって彼女を探せばいいだろう。そう思った矢先、またしても異変。海水が膜をすり抜けて迫ってきた。活動を終えたアークでは本来の役割を果たせていないのか?
そう思ったが、不自然だ。押し寄せるというより、引き寄せられている? まるでなにかに呼ばれているかのように。
海水は渦を巻き、煙を飲み込んでいく。その中心には槍を持ったステラがいた。彼女が槍を一振りすると、海水は動きを止めてその場に落下する。アークの背中を水浸しにし、一息吐くステラ。
「ウィル、いた」
「ステラ……!」
ウィルは慌てて彼女に駆け寄り――肩を思い切り掴んだ。
「きみはいったいなにをやってるんだっ!?」
「? なにをって、なに?」
「アークは古代人が遺した叡智の結晶なんだって! いくら海獣を蹴散らすためとはいえやり過ぎだ! ただでさえこんな状態のアークは初めて見たっていうのに! 歴史的価値はとんでもなく高いに違いない! それを無暗に傷つけるなんて絶対に駄目! わかった!?」
「でも、倒せるときに倒した方が効率が……」
「保存状態の方が大事! あれくらいの海獣ならあんな力を使わなくたってどうにかなったよ! それにいまのはなに!? 槍を造ったかと思ったら電撃が出てるし! ああもうきみには驚かされてばっかりだなぁ!?」
「ご、ごめんなさい。驚かすつもりはなくて……」
「とにかく! あんな力はここで使っちゃ駄目だ! わかった!?」
「わ……わかった……」
「……あ。ご、ごめんね!? つい熱が……」
「大丈夫。少し、驚いたけど……」
表情に乏しいステラだが、目に見えて戸惑っている。ウィルは密かに反省した。
知的好奇心と古代文明への敬意が強いが故の熱だった。活動の限界を迎えたアークに遭遇したのは初めてであり、なぜ限界が訪れたのか、どうして膜が残ったままなのか。様々な疑問は彼を刺激している。
謝りはしたものの、興奮冷めやらぬ様子のウィル。視界を阻む煙もいまはない。少し丁寧に調査する必要があると判断した。
「気を取り直して、ちょっと探索してみよう。ノアがこれを必要としてるなら、なにか持って帰った方がいいかもしれない」
「わかった」
ゆっくり見回してみると、ノア以上に荒れ果てていることがわかる。似たような造りの家屋はぼろぼろで、自然と劣化したというよりも何者かに荒らされたような痕跡が残っていた。海獣に襲われたと考えるのが妥当だろう。
一つ妙なところを挙げるとするならば、荒らされ方が少し大袈裟なことだ。あの程度の海獣ならば家屋の骨組みをへし折ることで精一杯のはず。
ところが視線の先にそびえる小型船の格納施設は半ばからひしゃげており、とてつもなく強い力で殴られたような痕跡がある。そこだけではなく、まるで抉り取られたように不自然な窪みもあった。
いままで海獣はノアで見た程度であり、サイズは先程ステラが消し炭にしたものと大差ない。第六海層に落ちる前も同様だった。
いまだかつて出会ったことのない脅威が潜んでいる可能性が高い。外側からはその姿が確認出来なかったものの、探索は慎重になるべきか。
銃を引き抜くウィル。警戒は怠らないようステラに告げ、探索を進める。
「ウィル。ここに住んでいた人は、どこに行ったの?」
「俺にはわからない。海獣の住処になってるんだとしたら……考えたくないけどね」
「だとしても、取り戻してあげたいと思う」
ハッとして振り向くウィル。ステラのその声に、横顔に“彼女”の面影を感じた。
記憶もない、性格だって似ていない。別人のはずなのだ。なのにどうして、こんなにも胸がざわつくのだろう。
ずっと見ていたからだろう、ステラが不思議そうに視線を交えた。
「ウィル?」
「あ……うん、そうだね。取り戻してあげたいよ」
悟られたところでどうということもないのだが、余計な不安や疑問は精彩を欠く原因にもなる。いざ戦闘になったとき、軽やかに動ける方がいい。
それはウィルにも言えること。気持ちを切り替え、探索に集中する。
「……海獣、いない。静か過ぎるくらい」
「そうだね。あそこにいたのは偶然だったのかな」
寒気がするほどの静寂だった。海獣であろうと人間であろうと、なにかしら気配は感じられる。瓦礫を踏む音、獲物を探す興奮した唸り声、敵に怯える乱れた呼吸。そういったものがなに一つ感じられない。
嫌な予感がする。
そうは思いつつも、足を止めるわけにはいかない。唾を飲み込み、改めて歩き出す。
そうして辿り着いたのは船尾。アークの構造が皆同じならば、この先にシステムエリアが存在するはずだ。そして、ノアのような疑似的な人格も。
活動を停止したアークにその人格が残っているかはわからない。実際に確認しなければなにも始まらない。ステラと視線を交わし、頷き合ってから進む。
だが、階段が見当たらなかった。ノアではシステムエリアに繋がる階段が船尾側になるはずなのだが、ここにはそれが見当たらない。
「船首にあるのかな。一旦戻って……」
「ここにある。私にはわかる」
ステラはそう言って動かない。とはいえ、見えるところに存在しない以上、探すのも一苦労だ。
そこまで言うなら実際に見つけてくれればいいのに、などと言えるはずもない。少し彼女に付き合っても問題はないだろう。
「それならこの辺りを探してみよう。ステラ、なんとなくでも見当はついてる?」
「たぶん、ここ」
ステラが爪先で示したのは石碑のようだった。いつ建てられたものかはわからないが、読めない文字で描かれている以上、世界が海に沈む前のものだろう。
「ここ、って言っても……この下を掘り返せってこと?」
「掘り返す必要はなさそう」
「どういうこと? だってこんなに大きな石碑の下にあるなら、うおっ!?」
石碑に触れた。そう思ったが、ウィルの手のひらは空を切り、重心を前に偏らせていたため前のめりに突っ込む。
倒れるまでの僅かな時間、見えたのはノアと同じ構造の階段だった。
幻影? そんな力がアークに備わっているなど聞いていない。いやそれよりこのままでは――。
「おわあああああっ!?」
見事な二の舞である。二段で降りようが一段で降りようが、結局転げ落ちるなら関係ないように思えてくる。
勢いは衰えないまま階段の終わりへ。ようやく安心出来ると思い、顔を上げる。
「……っ!」
そこはシステムエリアだった。壁はそこら中が凹んでおり、台座も酷く損傷している。照明は点滅を繰り返し、かろうじて生きている状態だった。
ノアとは異なる様相に呼吸が止まる。何者かがシステムエリアに侵入し、あまつさえ破壊の限りを尽くした。そうとしか考えられない。
であれば、その犯人は? 思うに、このアークに滅びを運んだ“なにか”だ。海獣と考えるのが妥当だが、ここまで容赦なく破壊するなら――なにかしら意図があったとも考えられる。
つまり、外部の人間。それも一人ではなく、複数人の犯行の可能性が非常に高い。
遅れてやってきたステラも怪訝な眼差しで部屋中を見回していた。
「……誰が、こんなこと……」
掠れた声で呟くウィル。そのとき、台座が音を立てた。ノアで何度も聞いた、システムの起動音だ。
視線をやれば、無残な姿になった台座が光の柱を立てている。そうして映し出されたのは球体――ではなく、一人の少女の姿だった。
銀色の長髪を二つに結び、瞳は炎を映したような赤色。体格はアシュリーと同じくらいに見えるものの、纏う雰囲気はウィルたちよりもずっと年上に感じられる。優しい弧を描く眼、その奥に灯る光はどこか母親のような温かさを感じた。
この少女がノアと同じ存在であるならば、即ち死に瀕したアークそのもの。少女は二人を一瞥し、深々と一礼する。
『“アーク・プロメテウス”へようこそ。来客が続いて嬉しいな』
映し出された少女――プロメテウスは顔を上げ、柔らかな笑みで二人を歓迎した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます