第6話:強かな声
意識が戻ったウィルはアシュリーの前で膝をついていた。完全に萎縮しており、視線は床に落ちたまま。
アシュリーは仰々しい咳払いを一つ、腕を組んで話し始める。
「いいですか、ウィリアム・ドレイクくん。女の子は男の子より力が弱いです」
「はい……」
「男の子に襲われたらひとたまりもありません。故に、女の子は警戒します」
「はい……」
「イメージしてみて。丸腰で、身を守る手段がなにもない状態。そこに突然男の子が現れたらどう思いますか?」
「とても怖いと思います……」
「その通り。フライパンを投げられてもおかしくないですね?」
「仰る通りでございます……」
「じゃあ、きみがいまやるべきことは?」
「いきなり家に入っちゃってすみませんでした」
「よろしい。次からはちゃんと声掛けなきゃ駄目だよ、わかった?」
「うん……」
ハインの拳骨に匹敵するフライパン、その威力は金輪際味わいたくない。そう思わせるだけの一撃だった。
異性の気持ちに疎いウィルだったが、あれだけの力を振るうほど怖かったのだと理解する。無神経でもいられないと気持ちを新たにしたのだった。
「それでどうしたの? わたしに用?」
「あ、そうだった。またノアのところに行きたいんだ。悪いけど付き合ってくれる?」
「別にいいけど、どうして?」
「システムエリアで確かめたいことがあるんだ」
ノアの外にある“なにか”の正確な位置を知りたい、とは言えなかった。またアシュリーに釘を刺されそうという、ある種の保身なのだが。
アシュリーは既に怪しんでいるようだったが、ウィルは目を逸らさずに堪える。ここで逃げれば疑いは増すだけだ。
「……わかった。ただし、危ないことはしないでね?」
「当たり前だよ、大丈夫。ありがとう」
「わたしは先に行ってるね。ステラも一緒でしょ?」
「え、なんでわかったの?」
「やっぱり。もう一回言うけど、危ないことは駄目だからね。約束出来る?」
「アシュリーは心配性だなぁ。約束するよ」
笑うウィルだったが、アシュリーの表情はどこか暗い。なにか胸に秘めている様子だ。
詮索されたくないウィルだが、アシュリーはどうなのだろう。触れてほしいことなのか、触れない方がいいことなのか。ウィルには判断出来なかった。
「それじゃあ俺はステラ呼んでくるよ、ありがとう」
「ううん、いいの。扉の前で待ってるね」
アシュリーと別れ、自宅に戻る。
思えば彼女は昔から、危ないことはしないでほしいと釘を刺していた。ウィルだけでなく、子供にも。
ノアのような狭い世界では、皆が家族のように繋がっている。優しいアシュリーにとっては等しく大切な存在なのだろう。そこにウィルが加えられていることに、本人は微かな違和感を覚えていた。
余所者の自分でさえ家族として受け入れられている。素性を一切明かしていないというのに。
彼女の懐の深さはノアの上でしか通用しないだろう。もっと多くの人と出会えば、それだけ悪意を持った人物に遭遇すること可能性も高くなる。
優しさにつけ入る者に出会い、利用され、傷つけられたとき。どれだけ悲しむだろう。愛情深い彼女が悲しむようなことがないように祈るばかりだ。
こう考えるのは彼女を大切な存在だと認識している証拠なのかもしれない。苦笑が漏れる。
自宅に戻ると、ステラは大人しく待っていたようだ。聞き分けが悪いと思っていただけに、意外だった。
「ステラ、行くよ。アシュリーは先に行ってるって」
「わかった」
立ち上がるステラ。見た目の美しさもさることながら、立ち振る舞いに品の良さを感じる。記憶がなくとも体が覚えているのか。などと考え、ため息。
体が覚えているのだとしたら、ステラの正体はウィルの想像する人物と一致する。だがそれを確かめる術がない。彼女の正体は当分謎に包まれたままだろう。
深く考えれば思考の渦に呑まれる。脳裏を掠める顔を払い除け、システムエリアへ向かう。
「ねえ、ウィル。アシュリーはどんな人?」
唐突な質問の意図はわからない。ノアに来て間もないステラだが、アシュリーをきちんと認識出来ているからこその疑問だろう。
「うーん、そうだなぁ。みんなのお姉さん、かな?」
「お姉さん?」
「うん。世話焼きで優しくて、怒るとちょっと怖い人」
「アシュリー、あまり怖そうに見えない」
「それはステラが怒られたことないからさ。子供たちの間では結構怖がられてるんだよ」
実際、今朝のジャンがいい例だ。彼女は常に、やんちゃな子供たちが危険な目に遭わないよう目を光らせている。それは勿論愛情から来るものなのだが、幼い子供たちにはわからないだろう。
ウィルはアシュリーよりも年下ではあるが、一つしか違わないため過保護に接することはない。それでもウィルを心配する気持ちは、元々ノアで暮らしていた人と比較しても差はないようだった。
「アシュリーはどうして怒るの?」
「どうして……うーん、そうだなぁ。大切だから怒るんじゃないかな」
「大切だから……?」
「アシュリーはきっと、大切なものが傷つくのが怖いんだと思う。自分が嫌われたとしても、危ない目に遭うくらいなら嫌われた方がマシって思ってるのかも。自分がどう思われるか以上に、みんなのことが大切だから怒るんだと思うよ」
「……そう」
ステラの表情は重い。声音も同様に。
大切だから怒る、身に覚えがあるのだろうか。記憶を失っているステラだが、記憶の欠片に指がかかっているように思える。
あまり焦らせるのも良くない。深堀はせず、システムエリアへ急ぐ。
アシュリーは扉に背を預けていた。ウィルたちの到着を確認して、苦笑交じりにため息を吐く。
「物好きさんが二人に増えたわけだし、わたしが貧血になる日が近づいちゃったな?」
「ご、ごめんねアシュリー……」
「冗談だよ。開けるから待ってて」
からかうように笑うアシュリーは、先程ステラが生成した短剣を取り出す。指の先を浅く裂き、扉に押し当てた。
扉が開くと、彼女は道の脇に身を寄せる。
「さ、どうぞ」
「ありがとう。でも、そこで待ってなくてもいいんだよ」
「心配しないで。わたしが好きで待ってるだけだから」
にっこりと笑みを浮かべているものの、ウィルは背筋が粟立ったのを感じた。
絶対に見透かされている。ウィルの目論見を全てわかっているわけではないだろう。彼女が気付いているとしたら、危ないことをしようとしていることくらいのはずだ。
そして、それは間違いじゃない。だからこそ彼女の視線がある中では自由に動けないように感じた。
追い払うのも酷だとは思うが、どう振る舞えばいいものか。頭を悩ませていると、ステラがアシュリーに近寄った。
「ありがとう、アシュリー」
「いいの。ステラがここに来たいって言ったのかな?」
「私が自分のことを知りたいって言ったら、ウィルがここに連れて来た」
「ちょちょっちょ! ステラ!?」
「……へぇー、そうなんだ」
アシュリーと知り合って一年ほどが経つ。しかしこれほど低い声音は初めて聴いた。全身から血の気が引くのを感じる。
なにか、なにか言い訳を。
焦りが思考を加速させるが、それで妙案が出てくるはずもない。口を開けては閉め、声にならない音を漏らしていると、彼女は呆れたように肩を竦めた。
「なんとなく予感はしてたんだ。ウィルくんのことだから、なにか考えてるんだろうなって」
「あ、危ないことじゃないよ……?」
「ウィルくんにとってはそうかもしれないね。だけどわたしは怖い。もしウィルくんがわたしたちの前からいなくなったら? 帰って来なかったら? ……そう考えただけで、ちょっと怖くなる」
「それは、ウィルが大切だから?」
ステラの問いかけにアシュリーは頷く。ウィルにとってはやはり不可解だった。
余所者である自分が、元々の住民と同列に扱われる理由がわからなかったのだ。なにか良くないものを運んでくるかもしれない、そう思われてもおかしくはないのに。
アシュリーは続ける。大切なものを手に取ったような、優しい眼差しで。
「ノアで暮らしてたらね、新しい出会いなんてないの。せいぜい赤ちゃんが生まれるくらい。それだってしょっちゅうあることじゃない。だから大切にしたいの」
「だから、って……?」
「奇跡みたいなものだから、ってこと。神様が巡り合わせてくれたなら、大切にしたいって思ってもいいでしょ? 赤ちゃんとの出会いも、ウィルくんも、ステラも。わたしにとっては奇跡みたいな出会いなんだよ」
宝物を撫でるような柔らかい声音。彼女がお節介な理由が、少しだけ納得出来た気がした。
第六海層で現在確認出来るアークはノアだけだ。そしてそれは、第六海層においてノアの背中が世界の全てであることを示している。
外部からの客人はほぼ見込めない。つまり、ノアの世界で人間関係が完結しているということ。
そこにウィル、ステラが現れた。奇跡という表現がこれほど的確な出会いもそうないだろう。なにかの巡り合わせと考え、大切にする気持ちも理解出来る。
「……大切にしてくれてありがとう」
「お礼なんていいよ。わたしが好きでやってることなんだから」
アシュリーは困ったように笑う。その笑顔の裏にはなにが隠れているだろう。照れ隠しか、それとも無力さへの嘆きか。
沈黙していたステラが一歩前に出る。
「アシュリーは私のことも大切なの?」
「勿論。同じくらいの年頃で、女の子だし。ちょっと親近感もあるよ」
「そう、ありがとう」
相変わらず起伏のない声音ではあるが、どことなく表情が柔らかい。嬉しいと感じる心は持ち合わせているようだった。
「話を戻すけど、ウィルくんはいつか遠くへ行っちゃうかもしれないって感じてた。ノアで暮らしていくつもりなら、そもそもシステムエリアに通ったりしないもん。わたしたちの世界の外側に関心があるのはわかってたしね」
「……ごめん」
「謝らなくていいってば、もう。ほら、ノアが待ってるだろうから行ってらっしゃい」
アシュリーの笑顔には強さを感じる。気持ちを奥に押し込めて、背中を見送る。その理由は無力さからか、信頼か。どちらにせよ、ウィルには彼女を
促されるまま、システムエリアの台座へ。隣に立つステラを一瞥し、起動する。光の柱が立ち昇り、現れるのは淡い光を放つ球体。
『コンバンハ、ウィル。お喋りに来たノ?』
「ううん、お喋りじゃないんだ。ノアに聞きたいことがあって」
『ナニ?』
「――ノアに必要な“なにか”。その場所の正確な距離と方角を教えてほしい」
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