第二章:死せるアークとシオガミ様

第5話:「知りたい」

「……ねえ、ステラ」

「どうしたの、ウィル」

「どうして俺の部屋にいるの?」

「どこでもよかったけど、アシュリーは止めた」

「そりゃ止めるよね……」


 あれから少女――ステラをカーターたちの元へ連れて行き、抜け出した理由について説明をした。

 どうやらステラはこっそり抜け出したわけではなく、止めようとする住民を気絶させてきたらしい。意外と大胆なのか、なにも考えていないのか。


 しかしウィルにとって問題はそこではない。どこで寝泊まりをするかという話になり……。


『ウィルのところで寝るかい?』

『ええっ!? だ、駄目でしょ!』


 冗談めかして笑うカーターと、真に受けて素っ頓狂な声を上げるアシュリー。ウィル自身も当然反対ではあったのだが、当のステラはというと……。


『どこでもいい。ウィルが断る理由はなに?』


 男女が同じ部屋で寝泊まりするのは問題があるからだ。

 実際にそう告げたにも関わらず、ステラは首を傾げるだけだった。どうやら危機感を抱かない、というより危機感を感じる感性が備わっていないのかもしれない。


 となれば、状況の危うさや問題を理解しているウィルの部屋ならば大丈夫と判断を下される始末。

 納得していないのはウィルだけでなく、アシュリーも同様だった。


『ウィルくん、変なことは……』

『しないから! 絶対!』


 最後まで半眼のアシュリーに怯えつつ帰宅し、現在。

 粗末なテントでステラと共にカンテラを囲んでいる。寝るときはステラに布団を譲ればいい、簡単な話だ。深く考える必要はない。それに就寝まで時間はある。外がまだ仄かに赤いからだ。


 アークに時計は存在しない。就寝時間になれば自然と外が暗くなり、起床時間になれば明るくなる。人類を守るようにして展開された膜がそうさせていると聞いたことがあった。

 なにからなにまで至れり尽くせりだ。先人はどこまでこの状況を予測できていたのだろう。遺された叡智には敬意を払うべきだと感じるし、もっと理解したいと思う。


「ウィル、この世界について教えてほしい」

「どうしたの、急に?」


 俯くステラ。唐突な頼み事だとは思ったが、なにか思うところがあるのだろうか。彼女は訥々とつとつと語る。


「……私は、なにも知らない。この世界のことも、自分のことも。なに一つ思い出せない。そもそも記憶を失ったという表現が適切かもわからない」


 ステラの表情は暗い。記憶を失った以外の表現があるとすればウィルも知りたいくらいだ。

 生きている以上、記憶は蓄積されていくものだ。時が経つにつれて捨てられていく記憶もあるが、全てを失うほどのなにかがあったのだろう。

 そして、それはステラがここにいる理由に直結するはずだ。彼女本人もだが、ウィルも興味があった。


「……じゃあ、俺の知ってることは話すね。なにか思い出したら教えて」


 頷くステラ。そうしてウィルは語り始める。


「遥か昔、世界は海の上にあったんだ。空、っていうとてつもなく大きな蒼い空間の下で人類は生きていたんだって」

「空?」

「この世界を覆うくらい大きな蒼だったんじゃないかな。当時の生活を記したものはあるけど、正確には解読出来てないんだ。でもいま、世界は海に沈んでる」

「いつから?」

「いつからかはわからない。ただ、ずっと昔。俺たちのじいちゃんのそのまたじいちゃんの更にじいちゃんの……って、これも想像でしかないんだけど」


 陸の上での生活について詳細に語ることは出来ない。なにせ生まれた頃から海の下で暮らしているのだ。幾ら文献の解読が進んでも、脳内で再現することはおろか説明することも難しい。

 なんにせよ、現在人類は海の中で暮らしている。そこに海層の差はあれど、皆同じ海の下で生きているのだ。


「で、俺たちがいま暮らしているここが船舶型都市、アークって呼ばれてる。昔の人たちが叡智を持ち寄って築いた小さい世界。俺たちは、この中でしか生きられない」

「でも、私を助けてくれたのはウィル。どうやって海中の私を引っ張り上げたの?」

「進化なんだろうね、海の底でも泳ぐことくらいは出来る。ただ、あんまり長くは泳いでいられないみたいだけどね」

「どうして?」

「海水には良くないものが含まれてるらしいんだ。正確な名前はわからないけど、長時間アークの外に出た人は、体の一部が脆くなったっていう話を聞いたことがある。ちょっとの衝撃で手足がもげたりね」


 これは“上”で生きていた頃に聞いた話だ。

 ウィルが生まれる前、新たなアークを探しに出た戦士たちが想定される時期を大幅に越えて帰還した。その際、彼らの肢体はところどころ赤黒く変色し、動きや感覚も鈍くなっていたという。

 ある日、とある戦士が道端で子供と衝突した際、衝撃でふとももから先がもげてしまったそうだ。子供は気が動転して泣き、体勢を崩した戦士は右肩から転倒。それに伴い、右腕も砕け散ったという。


 以来、アークの外を長期間移動するのは特別な装備がない限り厳禁となった。その頃にはウィルも生まれており、両親からは「間違ってもアークの外には出るな」と釘を刺されていた。


「で、アークを制御するシステム。それがさっき会ったノア。人の形はしてないけど簡単な会話は出来る。人格みたいなものがあるんだってわかった」

「人格……あの光は、自分が何者なのかを知っている?」

「どうだろう。自分のことをどういう存在だって認識してるかはわからない。ただ、話してみると結構子供っぽい口調ではあるよ。こんなに大きなものを制御してるなら、もっと堅苦しい口調でもおかしくないのにね」


 他の制御システムと会話したことはないが、ノアの喋り方はどことなく拙い印象を受ける。人格が搭載されているのであれば、成長したりするのだろうか。

 ウィルがノアで暮らすようになってから、まだ一年ほどだ。これからもっと成熟していくのかもしれない。


「ノア以外にもアークは存在する?」

「うん。各層には首都っていう巨大なアークが存在するんだ。例えば一つ上の第五海層は海獣の多い世界でね、戦神の名を持つオーディンっていう大きなアークがいる。そして一番上……海の果てに最も近いところにあるのが、ポセイドン。第二海層から第五海層のアークを全部足しても足りないくらい規模が大きいアークなんだって」

「それは……とてつもなく大きいってこと?」

「そうだね。どれくらい大きいかは……実際見た方がわかりやすいんだけど、そうはいかないのがもどかしいな」


 世界を隔てる五つの壁。“猛流圏もうりゅうけん”と呼ばれるそれは、激しく不規則な海流の名前だ。

 人の身ではこれを越えることは不可能とされており、どこからともなく流れてくる古代の遺産に痛めつけられ、万が一迷い込めば死は免れない。


 “上”から降ってきたウィルではあるが、正直なところ生きて第六海層へ辿り着けたのは奇跡に等しい。途中で小型船が壊れて死んでいたっておかしくはなかったのだ。

 そして、ステラの謎は更に深まる。彼女は生身で落下してきたのだ。猛流圏をどうやって突破したのか、不可解な点が多すぎる。


「これまでの話を聞いて、なにか思い出せそう?」

「……わからない。ただ、ポセイドンっていう名前に聞き覚えがある、気がする……」


 やはり“上”が関係しているとしか思えない。

 そもそも人間を世界の底に棄てるような真似、出来る者など存在しない。心が歪んでいなければ、真っ当な人間ならば出来るはずがないのだ。


 ――となれば、ステラを棄てたのはポセイドンの人間。かつてウィルが牙を剥いた、世界の主だ。


「……ステラ、きみはどうしたい?」

「どう? って?」

「自分のことを知りたいって思う?」

「……ウィルは、私のことを知っているの?」


 知っているわけではない。ステラという少女についてはなにも知らない。

 ただ、手がかりを見つける手伝いはしたい。ウィルの中で、ステラへの好奇心は強くなっていた。理由は甦失術リプロダクトだ。

 現代人の手に余る禁忌。そう定義づけられ、研究を放棄した術。ステラはそれを事も無げに扱ってみせた。

 彼女の謎を解き明かしていけば、“上”の思惑に近づける気がする。提案した理由はほとんどそれだった。


 ステラは拳を顎に当てて考える。自分を知りたいという感情はあるのだろうか。

 やがて、ウィルと視線を交えて告げる。


「知りたい」


 端的で、それでいて複雑な構造をした声音だった。

 その短い言葉にどれだけの思考と感情が詰まっているのだろう。聞かなくともわかった気がした。ウィルは立ち上がり、笑う。


「じゃあ、ちょっと出掛けよう」

「どこに?」

「ノアのところ。調べておきたいことがあるんだ」

「……? わかった」

「アシュリー呼んでくるね、ここで待ってて」


 ステラが頷いたのを確認し、ウィルは走る。

 提案したのには理由がある。ノアから動かなければステラのことを知る手がかりは見つけられない。勿論、ノアを出れば手がかりが見つかる保証もない。

 ただ、じっとしているだけではなにも変わらないのだ。動かなければ、なにも変わらない。


 ウィルの目的は、システムエリアで確認した巨大な“なにか”。現時点では航路の西側にあるようだが、次第に離れていくだろう。これ以上遠ざからないうちに確認しておきたかった。

 とはいえ、ステラを口実にしたことは申し訳なく思う。後できちんと説明する必要がありそうだ。

 アシュリーの家は船尾側、ウィルの家からもそう遠くない。子供の少なさが夕刻を強調していた。

 そうしてアシュリーの家に到着すると、扉代わりになっていた布を潜る。


「アシュリー、ちょっと付き合っ……」

「……ウィル、くん……?」


 硬直する二人。開いた口が塞がらない、という様子だ。

 ウィルの目に飛び込んできたのは、勿論アシュリーの姿。極めて健康的な色をした肌、はっきりと確認出来る体のライン。服に隠れて見えなかった大部分が露になっている。

 まずいとは思った。だが、言葉が出てこなかった。動くことさえままならなかった。錆びたように鈍い動きで視線を逸らし、一言。


「……ごめん」

「……女の子の家には声をかけてから入りなさいっ! バカ!」

「いったぁ!?」


 側頭部に直撃したのは特大のフライパン。勿論金属で出来ており、質量だってそれなりのもの。どうしてこんな速度で飛んでくる?

 凄まじい衝撃は体から意識を弾き飛ばす。ウィルは呆気なく倒れ、昏倒した。

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