第4話:“星”
突然の来訪者はカーターの指示によって病室へと運ばれていった。
説明を求めるのは彼女の容体が安定してからという判断が下された。少女を保護したウィルは自宅に籠り、思考を際限なく加速させている。
なぜ彼女が? 自分のいない間に“上”でなにがあった?
彼女の安全だけは保証する。そういう約束だったはずだ。ウィルがあの世界から存在を抹消されたから、約束も反故にしたとでもいうのか。
鏡を見れば、悔しさと怒りで歪んでいた。正気でいられない、いますぐ彼女に事情を聞きたい。焦燥感は募るばかりだった。
「ウィルくん……? 入ってもいい?」
扉の向こうからアシュリーの声がする。絞り出したような声で返事をすると、彼女は戸惑ったような顔をして現れた。
「大丈夫?」
「……うん、俺は大丈夫だよ。あの子は?」
「まだ意識が戻ってないの。呼吸はしてるからちゃんと生きてるよ」
「そっか、よかった」
ウィルの返事は極めて端的。彼女を想う気持ちが会話を疎かにしてしまっている。自覚はあった。とはいえ、今回ばかりは簡単に思考を切り替えられない。
どうか、どうか無事で。その想いがウィルの不安を一層加速させていることには気付いていなかった。
「……見に行く? あの子のこと」
見兼ねただろうか、アシュリーが提案する。ウィルは顔を上げ、疲れの滲んだ顔で彼女を見詰めた。
「いいの?」
「うん。助けたのはウィルくんだし、顔を見た方が安心するかもしれないでしょ?」
――あなたは、誰?
脳を過るのはあの言葉。会いに行ったとして、かつてのようにコミュニケーションが取れるのだろうか。
彼女はウィルを忘れている。一時的な記憶喪失ならば接触を図るうちに思い出すのだろうが、“上”のことだ。恐らく、彼女が彼女であった記憶を消去している可能性が非常に高い。
それに、会いに行ってなにをするのだ。
記憶が消されているとわかっているのなら、話をしに行ったところでなんの進展も得られない。冷静さを取り戻したからか、加速し続けていた鼓動も落ち着いてくる。
「……いや、大丈夫。元気になったら会いに行くよ」
「それならいいんだけど……」
なにか言いたげのアシュリー。とはいえ、いまのウィルに対してかけられる言葉などそう思いつかないだろう。
ウィルはそれほどまでに憔悴している。擦り切れた精神を癒すにはどうすればいいのか、アシュリーは考えているようだった。
その気遣いさえいまは痛い。立ち上がるウィルはアシュリーを避けて、外へ。
「心配してくれてありがとう。少し気晴らししてくるよ」
「どこに行くの?」
「ノアのところ」
「ちょ、ちょっと待って」
アシュリーはウィルの腕を掴む。まだなにか言うことがあるようだ。振り返ると、彼女はどこか気まずそうな表情をしていた。言っていいものか、と悩むような素振り。
妙な沈黙の後、彼女は口を開く。
「……ウィルくんだけじゃ、行けなくない?」
「あ……そうだった」
ノアで育った者の血が必要なのだ、余所者のウィルだけではシステムエリアの扉を開けない。
冷静になったと思っていたウィルだが、まだ本調子ではなかったようだ。二人は揃って噴き出した。
「ハインさん連れて行かないとだね」
「わたしが一緒に行くよ。ハインさんも疲れてたみたいだし、いまのウィルくん危なっかしいから」
「あはは、やっぱり格好つかないや。お願いするよ」
「その方がウィルくんらしいよ。さ、行こっか」
笑って少し気が晴れたか、ウィルの表情にいつもの色が戻ってくる。安心しただろう、アシュリーもまた柔らかな笑みを浮かべていた。
歩き出す二人。先の一件から時間が経っていることもあり、住民は皆落ち着きを取り戻しているようだった。
未だ興奮が収まらないのは専ら子供たち。異なる世界からの来訪者は非日常そのものだ。かつてのウィルがそうだったように。
「そういえばウィルくん、どうしてノアとお喋りしに行ってるの?」
思い出したように尋ねるアシュリー。長くこの船で暮らしていれば、生活の基盤としての認識でしかないのかもしれない。
ウィルがノアとの接触を試みているのは、この船について知っていることが多いから。その上で、なお知りたいと願うからだ。
「アシュリーはこの船の名前、知ってる?」
「ノアじゃないの?」
「ノアはこの船を司るシステムの名前。俺がウィリアムで、きみがアシュリーっていうのと同じだよ」
いま一つピンと来ていない様子のアシュリー。そもそも人間と船を同列に考えることが難しいのだろう。知らないからこその反応だし、予想済みだ。
「まず前提。この船――船舶型都市は通称“アーク”って呼ばれてる」
「アーク?」
「古い言葉で方舟を意味するんだって」
船舶型都市、アーク。それがこの世界で唯一人間が暮らせる場所だ。古の人類が造り出した、小さな世界。先人の叡智がいまも人類を生き永らえさせている。
アークは世界中に存在していると言われており、実際にノア以外のアークのことも知っている。とはいえ、この第六海層で人々が暮らしていることは知らなかった。
「人々が衣食住を成立させるための巨大な設備って感じ。でも学者によっては『アークもまた生命である』なんて唱える人もいるんだよ。だけど生き物だっていうなら、長い年月を休まず動き続けるなんて有り得ない。永久機関が完成したなんて話も残ってない。ならどうしてアークはいまも活動を続けていられるのか? 途方もない時間が経ってるのに、アークは謎に包まれたままなんだよ」
アークが人工的に造られた生命体であるとしても、活動の限界は必ず訪れる。生命とはそういうものなのだ。
そのはずなのに、アークは生き続けている。なにを栄養にしているかもわからないまま。いつ限界を迎えてもおかしくないことに誰も恐怖を感じないのだろうか。ウィルにとっては疑問の一つでもあった。
「それにね、この世界には面白い存在もいる。海獣よりもずっと大きくて、温厚とされる存在」
「なにそれ?」
「“シオガミ様”って呼ばれてる。アークにも引けを取らないくらい大きくて、しかもこの世界が海に沈んだ理由だって知ってるとか。誰も見たことがないから、誰かの創作だっていう説が濃厚だけどね」
「ウィルくんって物知りだね。でも、その話ってなにか関係があるの?」
「勿論。知らなかったことを知るって面白くない? もっと知りたいって思ってこない? 俺たちの知らないことが、世界にはたくさんある。その中で一番身近な存在がアーク。だからノアの話をたくさん聞きたくて通ってるんだ」
「なるほど。わたしにはわからないけど、ウィルくんの顔を見たら大事なことなんだって伝わったよ」
どんな顔をしていたのだろう。なにはともあれ、アシュリーに伝わっているようならば問題はなかった。
そして、気付く。これだけ饒舌に語ればなおのこと出自に疑問を抱くはずだ。語ってから気付くほど熱を込めて話していたことを自覚する。
だが、彼女は詮索してこなかった。言えない事情を汲んでくれているのだろう。ますます頭が上がらないと苦笑するウィル。
「あ、ほら。もう着くよ」
そうこうしている間に、システムエリアへ通じる階段へ辿り着く。ノアと話してもう少しアークのことを知りたいところだ。
階段を降りる二人。少しして、前を行くウィルが立ち止まった。突然のことに体を仰け反らせるアシュリー。
「どうしたの?」
「……誰かいる」
人の気配、足音がする。それも、ノアの住民のものではない。この船において、先客の気配を感じられるのはウィルだけだろう。
異質なのだ。こんなところに入り込むのは物好きか、子供くらいのもの。だからこそ違和感があった。システムエリアに頻繁に出入りするウィルが物好きと言われている、それが証拠だ。
子供の数は多くないし、ウィルが訪れてから顔触れは変わっていない。つまり、この船においてノアと接触を図るのはウィルしかいない。そして、漂う空気にも違和感があった。
誰か、と言ったが、明らかに人のそれではない。意思を持つなにかをつぎはぎに組み合わせたような、人の手が及んだものの気配がウィルの勘を刺激していた。
ホルスターから銃を抜き、アシュリーを振り返る。人差し指を唇に添え、息を潜めるよう頼んだ。彼女もまたウィルの異変を感じ、静かに頷く。
足音を殺し、一段ずつ。ゆっくりと降りていく。気配が大きくなり、一層警戒心を強めた。
近づくほどにわかる異質な気配。口が渇く一方で、銃を握る手はじっとりと汗ばんでいた。
そうして最後の段を降りたところで、先客の背中が見える。ウィルだけでなく、アシュリーも驚いて声を上げた。
「あの子、どうして……!?」
システムエリアの扉の前にいたのは、ウィルが助けた異邦人だった。なにをするでもなく、ただ佇むだけ。保護したときとは違い、動きやすくゆったりとした服装に身を包んでいる。
安静にしていたはずではなかったのか? 混乱する二人に気付いてか、少女が振り向く。その瞬間、ウィルが感じていた気配がすっと身を潜めた。
少女は二人に歩み寄る。ウィルもアシュリーも、驚きで動けなくなっていた。いまは人の気配を保っているものの、この少女の謎が猶更深まる。
「……開かない」
不気味さを纏う少女の第一声がそれだった。まさか扉の向こうが気になる物好きだったとは露とも思わず、二人は揃って面食らってしまう。
「ここにはなにがあるの?」
少女の問いかけに反応したのはアシュリーだった。
「えっと……この船をコントロールする設備がある、かな? ウィルくん、合ってる?」
「間違いじゃないと思うけど……」
「開けてほしい」
少女の要求は端的だが、その実複雑だ。
なにせ多くを語らない。なぜ開けてほしいのか、なにがしたいのかが不明瞭なのだ。一度時間を貰い、二人は小声で相談する。
「……開けていいと思う? ノアの子じゃないけど……」
「ハインさんの許可なしに余所者を入れたらあとでめちゃくちゃ怒られそうだよなぁ……」
「わたし、拳骨食らったことない。どんな感じ?」
「超痛いよ」
「本当?」
「しょっちゅう食らってる俺が言うから間違いない」
結論は出ない。少女の様子を窺うが、ただじっとウィルたちを見詰めている。感情が窺えない、冷えた眼差しだった。
「……アシュリー、開けてくれる?」
「でも怒られちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫、俺の独断だって言うから」
「それは大丈夫なのかな……?」
「大丈夫だよ、女の子が殴られるの見たくないし」
「うーん……わかった。開けるね」
渋々了承したアシュリーが扉の前に立つものの、動かない。なにか不都合があったのだろうか?
振り返るアシュリー。その表情には苦々しいものが映っていた。
「……指切るもの、持ってきてなかった」
「二人とも冷静じゃなかったんだ……」
「肌を裂くものが欲しいの?」
沈黙を喫していた少女が尋ねる。
なにか案があるような物言いだが、彼女は丸腰。武器を隠し持っている様子もない。
アシュリーは頷く。少女はポケットから砕けた鉄くずを取り出した。まさか持っていたとは。アシュリーが受け取ろうと手を伸ばした矢先、少女は鉄くずを胸の前でかざした。すると――。
「……!? 手が光って……!」
少女の手から鈍色の光が生まれる。それは彼女の手を包み込み、徐々に収束していく。光が弾けると、少女の手には簡素な意匠の短剣が握られていた。
声も出ないアシュリー、ウィルでさえ言葉を失った。眼前の少女が行う“それ”は失われたはずの技術だから。
さも当たり前かのように短剣を一振りする少女。そうして、アシュリーに渡した。
「これでいい?」
「あ……ありがとう。いまのは……」
「“
呆然とするアシュリーを押し退け、少女に詰め寄るウィル。無理もなかった。甦失術は、現代人が触れてはならないとされた禁忌の力だからだ。
その概要は、過去の姿を再現する力。いまはなんの役にも立たない鉄くずの過去を再現したのだ。
なぜ少女が――よりにもよってこの少女が扱えるのか。ウィルの混乱は加速する一方。取り乱す彼の事情などどこ吹く風、少女はアシュリーに告げる。
「開けて」
「う、うん……ウィルくん、開けるよ?」
「……っ、ごめん。開けていいよ」
アシュリーが短剣で指先を切り、扉に押し当てる。扉が開かれ、少女が真っ先に入っていく。
動揺を隠せないウィルだったが、彼女一人でシステムエリアに行かせるのも危険だ。アシュリーに手を引かれる形で後に続く。
「ノア、お喋りしに来たよ」
『ヨウコソ、ウィル。この子は誰?』
「誰……一体、誰なんだろうね」
ウィルには答えようもない。容姿や声音は記憶のままなのに、中身がまるで別人だ。まるで作り替えられたかのような違和感が拭えない。
ノアは台座を点滅させてコミュニケーションを図る。
『ハジメマシテ。ボクはノア。キミは誰?』
「初めまして、ノア。私は……」
そこまで言って、黙る少女。名乗るだけのはずだ、どうして言葉が続かない?
名前を知りたい。果たして思い当たる人物と一致しているのか。それを確かめたい。もどかしさだけが募る中、見兼ねたアシュリーが尋ねる。
「あなた、名前がないの?」
「……わからない」
少女の返答はやはり簡単なもの。
自身の名前がわからない。早い話が記憶喪失なのだろう。
とはいえ、そう単純な話かは疑問が残る。少女の正体がウィルの想像する人物であるならば、なぜ記憶を失ったのか、失くした上でどうしてここにいるのか。
だが、それは仮にウィルの想像が的中していればの話。瓜二つの人物が存在していてもおかしくはないのだ、考え過ぎるのも良くない。気持ちを切り替え、尋ねる。
「きみはどうしてここに入りたかったの?」
当然の疑問ではある。およそ現代人が興味を示すことのない異質な空間だ、少女がここを訪れた理由がわからない。
少女は俯き、深いため息の後に呟く。
「……呼ばれた気がしたの」
「誰に?」
「わからない。ただ、ここに来なければいけない理由がある気がした」
動機は漠然としている。
少女がノアに惹かれる理由は? それに、理由がわからないなら本能――心の奥深くに訴えるなにかがシステムエリアにあると考えるのが妥当だ。
だがそうなると、気になるのはやはり少女の素性。ただでさえ
彼女はいったい何者なのか。
現時点で最も謎めいていて、興味と好奇心をくすぐられる。アークやシオガミ様に匹敵するほどの存在だ。
「……アシュリー。少しでいい、俺とこの子、二人にしてくれる?」
「え、どうして?」
「こんなに不思議で謎だらけの人、初めて見たからさ。ゆっくり話がしたいんだ」
「それならここじゃなくても……」
「この子はシステムエリアに用があるみたいだし、離れるのは本意じゃないかなって思う。どう?」
ウィルの問いかけに少女は頷く。訝しむような顔を見せるアシュリーだったが、ウィルの意思を汲んでくれるようだ。
去り際、「変なことしちゃ駄目だよ」と睨むアシュリー。警告するならより新参者である少女にすべきだとは感じたものの、敢えて口答えをする理由もなかった。
アシュリーが部屋を出て、背中が見えなくなったのを確認する。改めて少女に向き直り、ウィルは膝をついた。
「……ご無事でなによりです」
「? どうして私に跪くの?」
記憶がないからか、そもそも人違いだからか。現時点では判断が下せない。
となれば、事実がわかるまでは正体を明かす必要もないだろう。すぐに立ち上がり、いつもの笑顔を見せる。
「なんてね、急に畏まってびっくりした?」
「跪く理由がわからなかった。それに、私はあなたを知らない。あなたは誰?」
悪気なんて一切ない。わかってはいる。
しかし、その顔で言われるのは堪えた。彼女と同じ顔で、ウィルのことを知らないのだ。記憶に蓋をしているのか、奪われたのか。人違いの可能性だってある。
いちいち過去に振り回されるのも馬鹿馬鹿しい。目の前の少女と真っ直ぐに向き合うべきだ。
「ウィリアム・ドレイク。みんなはウィルって呼んでるよ」
「ウィリアム……よろしく、ウィル」
「きみは名前がないんだもんね。なにか身元がわかるものは持ってる?」
「……どれが身元を証明するものなのかがわからない」
恐らく、対人関係の記憶だけではない。この世界に関するほとんどの記憶を失っている。欠片でも残っているのであれば、あの服がなによりの身分証明になるはずなのだ。
とはいえ――この世界、第六海層においては例外でもある。なぜなら第六海層は外部との交流の尽くを断たれているからだ。
“上”で当然だったことがここでは通用しない。アシュリーやハイン、カーターの反応を見るに、アークや
別の世界なのだ。一切の誇張を抜いたとしても、そう例えるのが相応しいほどに。
「私は誰なんだろう。名前のない私は、いったい何者?」
微かに目を伏せる少女。感情がわかりにくいだけであって、きちんと存在していることに安心した。
しかし名前がないのも不都合か。黙ってか、あるいは力尽くで病室を抜け出してきたのだろう。帰れば事情を根掘り葉掘り聞かれる可能性がある。
「……名前、つけようか?」
「名前をくれるの?」
「おこがましいけどね。名前がある方が都合いいからさ」
「そうなの?」
「人の世ではね。どうかな?」
納得しているかはわからないものの、頷く少女。
となれば、適当な名前を付けるわけにもいかない。名付け親になるならば、責任は持たなければならない。
どんな名前がこの少女に相応しいか――思いつくものは一つだけだった。
海を貫くような、鋭い金色の光。かつて空が存在していた頃、暗い世界に彩りをもたらした存在。
「……“星”」
ウィルはそれを知らない。当然、見たことがない。
だからこそ、この少女に相応しい気がした。
「“
「ステラ……」
噛み締めるように呟く少女。何度か繰り返した後、ウィルを見詰める。そうして――
「悪くないと思う」
どこかくすぐったそうに微笑んだ。
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