第3話:「あなたは誰?」
「あっ、ウィル兄ちゃんいた! いつまでノアと話してたのさ!」
背中側へ戻ると、小さな男の子がウィルの元へ駆け寄ってきた。ノアの背中は狭い世界、当然見知った顔だ。
「ジャン? 俺のこと探してたの?」
「そうだよ! ねえ、ぼくにも銃の撃ち方教えてよ!」
「駄目。危ないから、大きくなったらね」
「ウィル兄ちゃんだってまだ子供でしょ!」
頬を膨らませるジャン。十七歳を子供と定義づけるならばその通りだが、まだ十歳にも満たない彼に言われるとは思わなかった。
「ジャンよりは大人だよ。それに銃の撃ち方を教えてほしいんじゃなくて、銃を撃ってみたいだけだろ?」
「違うよ! ぼくだってハインさんみたいに“海獣”と戦ってノアを守るんだ!」
ジャンが胸を張って応戦する。
この船が彷徨う海――通称“第六海層”は決して安全ではなく、異形の化け物も棲みついている。
それらは海獣と呼ばれており、魚類の特徴であるヒレや鱗の他にも尖った鼻や鋭い嘴、獰猛な爪や強靭な尾を持っていることがある。
それらの身体的特徴は、かつて地上に存在していた生き物の名残だと言われているが、如何せんそれを記した絵が残っていないため事実であるかを確かめる術はない。
「その気持ちは大切に持っておくといいよ、いつかハインさんのお手伝いしてあげてね」
「またそうやって逃げようとするー!」
「ジャンくん! いい加減にしなさい!」
鋭く飛び込んできた声は少女のもの。顔を上げると、銀色の髪をした少女が血相を変えて走る姿が見えた。一直線に、ウィルたちの元へ向かってきている。ジャンの表情が強張るのも無理はなかった。
肩にかかる銀色の髪の毛は同じ長さで切り揃えられ、穏やかに垂れた眼には深みのある緑色の瞳が埋まっている。ウィルよりも拳一つ分背丈が低いが、体付きは年頃の女性らしい丸みを帯びていた。
ジャンがウィルの足に縋りつく。このくらいの子供なら彼女は第二の母親のようなものだろう。苦笑を浮かべて頭を撫でてやる。
「ウィルくん、ごめんね! またジャンくんがわがまま言ったんでしょう?」
「アシュリーが謝ることじゃないよ。あと、ジャンとは俺が話すね。とりあえずその怖い顔どうにかしよっか」
「わ、わたし、怖い顔してた……?」
「うん。いまのアシュリーを見て泣かなかったジャンが偉いなって感じたよ」
「……ウィルくんのそういうところ、良くないと思うな」
「え? そういうところ……?」
目を細めて睨む少女――アシュリー・ロット。
彼女は実母であるカーターと共に、ノアの子供たちの世話を引き受けている。ジャンはやんちゃな子供だ、彼女としても手を焼いているのかもしれない。
それにしても、なにかまずいことを言っただろうか。首を傾げるウィル。どれだけ頭を捻っても心当たりは見つからなかった。
「ま、それはいいや。ジャン、これからちょっと真面目な話をするね」
「それって銃を撃つのに必要なの?」
「うん、必要。この話を聞いた上で、銃を撃ちたいか考えてみて」
話なんてどうでもいい、早く銃を撃たせてほしい。
子供は素直だ。顔には不満が滲んでいる。こうなるのも想定済みではあった。ウィルは無垢な瞳に問いかける。
「ハインさんみたいにノアを守りたいって言ったよね。例えば海獣が五体、ジャンの前に現れました。このとき、ジャンはどうする?」
「そんなの、やっつけるに決まってるでしょ」
「どうしてやっつけるの?」
「どうしてって、海獣は悪い奴だから……」
「悪い奴ってなに? もう少し具体的に言ってみて」
「えー……わかんないよ。ぼくたちのこと襲う奴じゃないの?」
「そう。海獣は俺たちに襲い掛かってくるよね。抵抗しなかったら、ジャンは死んじゃうかもしれない。だから銃で戦うんだよね」
「うん……これ、なんの話?」
「武器を持って戦う人がすごいんだよって話。ガミガミうるさいハインさんもね」
海獣を迎え撃つ戦士。正式な名称こそないものの、戦士の団体を取り纏めているのがハインだった。そしてこの船で最も海獣の討伐実績がある人物でもある。
子供が憧れるのもわかる。わかるが、憧れだけで戦士の背中を追ってはいけない。ウィルはジャンと視線の高さを合わせて、告げる。
「銃に限った話じゃないけど、武器ってジャンが思ってる以上に怖いものなんだ」
きちんと知ってもらう必要がある。武器とはなにか、武器を持つということがなにを意味するのか。ウィルは小さなため息を漏らした。
「自分の身を守るために使うのが武器。ハインさんの槍も、俺の銃も。だけど、逆に言うなら“殺すために使うもの”なんだ」
「殺す……?」
「そう、殺す。自分が生きるために、殺そうとしてきた相手を殺すもの」
果たしてジャンにイメージが出来るだろうか。
自分の命を狙うような者が目の前に現れることを、海流のように押し寄せる殺意を、命が終わる瞬間を。
ジャンにはきっとわからない。戦うということは、殺すか殺されるか。武器を持ち戦場に立つとはそういうことなのだ。
なにも言えなくなったジャンの頭をそっと撫でる。優しく微笑んで、一番知ってほしかったことを告げた。
「武器を持っていいのは、殺されることを覚悟した人だけなんだよ。ジャンは、殺されてもいいって思う?」
「……思わない」
「だろ? だから、銃を持つのはその覚悟が出来てから。約束してくれる?」
頷くジャン。思っていたより聞き分けが良く、安心する。黙って見守っていたアシュリーが安心したような息を吐き、彼の頭をそっと撫でた。
「ジャンくん、帰ろうか」
「うん……ウィル兄ちゃん、じゃあね」
「ばいばい、ハインさんにお疲れ様って言ってあげな」
「そうする。ばいばい」
手を振ってジャンを見送る。しかしアシュリーは彼を追わない。ウィルの隣に立ったままだ。
「……さっきの話なんだけど」
「うん?」
「武器を持つのは殺されてもいい人、って言うなら……ウィルくんは殺されてもいいって思ってるってこと?」
「え?」
その問いに悪気はない。だからこそ、答えに迷った。
元々、身を守るために銃を握ったわけではなかった。結果的に身を守るためのものとなりはしたが、本来の目的は決してそこになかった。
なんにせよ、言い淀んでしまったのは良くない。なにか勘繰られるのも嫌だった。
どうしたものかと悩んでいると、それも伝わっていたらしい。アシュリーは「ごめんなさい」と頭を下げた。
「言えないならいいの」
「あ……いや、そういうわけじゃ……」
「嘘。ウィルくん、つらそうな顔してる」
アシュリーは迷いを見逃さない。ウィルの正面に立ち、真っ直ぐ目を見詰める。なんとなく居た堪れなくなり、つい目を逸らした。
「つらくなんかない、本当だよ」
銃を握っていた日々をつらいと感じることはなかった。ただの一度も。ウィルの銃は、確かな目的と絶対的な契約の下で授けられたものだ。
銃を手にしたからには、自身の役目を理解し、全うしなければならない。やるべきことが明確だった分、迷う必要なんてなかった。
――あの日までは。
ぎゅっと唇を噛むものの、なにも知らない彼女の前で見せる顔ではないと気付く。
顔を上げ、あっけらかんと笑って見せた。そこに無理が映っていたかは、わからなかった。
「バレちゃったんだ、格好つかないなぁ」
「格好つけなくたっていいよ。言いたくないんでしょ?」
「言いたくない……まあ、言いたくないかな」
「誰にだってあるもん、言いたくないこと。だから、正直に言いたくないって言っていいんだよ」
アシュリーの視線にはブレがない。本心から伝えようとしているのがわかる。
とても懐かしい感覚だった。甘えてしまってもいいのだろうか。迷いは喉に栓をする。上手く言葉に出来ない。
沈黙するウィルの肩を掴むアシュリー。目を逸らすことは、出来なかった。
「言わなくていいから、ね?」
「……はは、うん。ありがとう」
「どういたしまして。じゃあわたしも戻るね。お母さんのお手伝いしなきゃいけないし」
「そっか、もうお昼ご飯の時間? アシュリーのご飯美味しいから楽しみにしてるよ」
「調子がいいんだから。褒めたからには、たーんと食べてね。じゃあ、また後で」
呆れたように笑うアシュリー。その背中を見送り、一人。
ホルスターから銃を引き抜き、撫でる。長い年月を手入れもされずに経たからだろう、ところどころ錆びついていた。
「……武器は殺すためのもの、だってさ」
戦うことの意味を、武器を持つことの意味をわかってもらうためだったとはいえ、少し誇張し過ぎただろうか。結果的に納得はしてくれていたのだ、問題はないだろう。
戦いから離れて、ようやくわかった。戦場は人を狂わせるし、大儀は冷静な思考を奪う。正しいことをしているという熱に浮かされて、大胆にもなる。
その結果、ウィルは世界の底に沈められた。あのとき冷静に彼女を説得していれば。思考を放棄せず、言葉を交わしていれば。
もしも、なんて生産性のないことにどれだけ時間を費やす気だろう。肩を竦め、頬を叩く。
「考えない、考えない。さ、帰ろう。そろそろお昼ご飯の時間だし」
思考に区切りをつけ、歩き出そうとしたそのときだった。
「……ん? なんだ、あれ?」
なにかが落下してきているように見えた。金色の軌跡を描いて、真っ直ぐに。ノアからは離れているものの、どこから落ちてきたかなんてわからない。
だが、可能性が一つだけある。ウィル自身もまた、同じようにここに落ちてきたから。
となれば、あの光の正体は? 背筋が粟立ち、慌てて駆け出す。
住宅街は騒然としていた。突然のことに住民は不安そうな顔をしている。当然だ、なにかの攻撃かと思うだろう。海獣の襲撃かもしれない。
ウィルだけが、謎の光の輪郭を捉えていた。取り乱す住民の対応に追われるハイン。ウィルは慌てて声をかける。
「ハインさん、小型船出して!」
「手が空いとらん! 自分で出せ!」
そう告げて小型船の鍵を放り投げるハイン。それを掴み、船首へと駆け出す。
しかし、何者かに手首を掴まれた。足を止めて振り返ると、不安そうな顔をしたアシュリーがいた。
「ウィルくん、どこ行くつもり……?」
「光の正体を確かめに行く」
「危ないよ、海獣かもしれないのに」
「大丈夫、あれは危険なものじゃない。俺にはわかる」
「どういう……っ、ウィルくん!」
アシュリーの手を振り解き、再び駆け出す。
ノアの背中を覆うドームは海水の侵入を防いで入るものの、人間や物体の出入りは制限されていない。勿論、海獣も入り込めてしまう。
あの光が海獣ならば、真っ直ぐノアに向かってくるはずだ。そうでないなら、つまり――あの光は意志を持っていない。
「また棄てたのか!」
焦りが足を急がせる。ウィルが向かったのは、船首付近に建てられた背の高い設備。高い階段を上った先には、ドームの外にまで飛び出る細長いレールが十本並んでいた。
設備の最上階には十隻の小型船。それらは全てレールの上に停められている。
青い船体の上部は特殊な装甲で覆われており、下部には複数の車輪、後部にはスクリューが備えられていた。
アクセルを踏むことでレール上を滑走、そのまま外へ飛び出す仕組みだ。
そのうちの一つに鍵を差し込むと、システムエリアの台座に似た駆動音を鳴らし、上部の装甲が開く。
中には一人分の座席と、円形のハンドルがある。外の光景はシステムエリアのように映像として映し出されているようだ。
飛び込むようにして乗ると、そのままアクセルを目一杯踏む。レールの上を勢いよく滑走し、ドームの外へ。
「っ! 慣れないな、この感じ!」
こうして船の外に出るのはいつ以来だろうか。なんの音も感じない真っ暗闇。あの日の恐怖が蘇るが、それ以上に落下した光が気がかりだ。震える体に鞭を打ち、力を緩めずアクセルを踏み続ける。
小型船を操縦する機会はなかったものの、そう難しいものではない。ハンドルは補助でしかないようだ。ほとんど自動で進んでいる。
落下した光へと一直線。こうして近づくとわかる。世界の底まで沈み、いまなお輝き続ける光の正体。それは一人の、生身の少女だった。
白金の長髪は腰に届くほど長く、戦を知らないしなやかで繊細な体躯。それに、身に纏う衣装。煌びやかな装飾の施された白の詰襟、胸元には三又の槍を彷彿とさせる紋章。
見紛うこともない。かつてウィルも袖を通した服だ。
「……っ! なにも変わってないじゃないか……!」
腹の底から湧いてくる怒りに、ハンドルを握る手が震える。それよりもこの少女の保護が先決だ。
スイッチを押すと、真下にアンカーが射出される。小型船が流されないよう固定し、次。座席後部の床が開くが浸水することはない。ノアの背中に展開されるドームと同じ膜が張られている。
その膜を通り抜け、海中へ身を投じる。最下層は海流も穏やかであり、少女の下へと難なく到達した。動く気配のない少女を抱え、アンカーを伝うようにして船内へ戻る。
「大丈夫ですか!? ……っ! え……?」
間近で見て、気付く。その顔を知っていたから。人違いなんかではない。そう確信させたと同時、血の気が引くのを感じた。
ウィルの声に気が付いてか、少女が目を開ける。綺麗な、いまは存在しない空を流し込んだような青色。その瞳も、記憶に違わない。
記憶のままであることが問題なのだ。彼女は本来、ここを訪れるはずがなかったのだから。
「……どうして」
なぜここにいる?
なにかただならぬ事情があったとしか思えない。疑問が湧いては怒りに変わり、拳を握る力は増す一方。
薄く、整った唇が微かに開く。自然と、聴覚が研ぎ澄まされる。
「……あなた、は」
凛と、心を奮わせるような声音もそのまま。なにもかもが記憶と一致する。
「あなたは……誰?」
違うのは、ウィルを覚えていないことだけだった。
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