第4話 やんちゃなクロ坊ちゃん



 

 お菓子の空き箱に真新しいタオルを敷いてやると、それがクロのベッドだった。


 黒い毛糸玉のような仔犬は、赤やピンク、きれいな青の花柄のタオルにのせられ、いっときは置き物のようにおとなしく座っていたが、クスンとひとつ鼻を鳴らすと、

 

 ――ピュー、ピュー、ピュー。

 

 ふにに、はげしく鳴き始めた。(ノД`)・゜・。


 キッチンでミルクを温めていた洋子が、手を拭きながら慌ててすっとんで来る。

「おお、よしよし。ママのおっぱいが恋しいのね。どおれどれ、こっちへおいで」


 一人前にしっとり濡らせた小さな鼻先から、笛のように甲高い声を吹き上げているクロは、洋子の声がするほうへ、けんめいに向かおうとするようだったが、菓子箱の2センチほどの縁をよじのぼりかけては、ころんと他愛もなくころげ落ちてしまう。


「ねえ、あなた。見てみて。この子ったらあんなに低い縁が乗り越えられないのよ。なんというおチビさんなのかしら」「きみ、覚えていないのかい? 初代のクロも、最初のうちはそうだったじゃないか。無理もないよ、こんなに足が小さいんだから」


 あら、そうだったかしらと呟きながら、洋子は仰向けにもがいている毛糸玉をそっと手の平にのせると、真っ黒な鼻先をちょんとつつき、さも愛しげに頬ずりをする。


 黒いビー玉のような目を、これ以上は無理というほど見開いたクロは、短い4本の脚をピンピンにつっぱらせ、ぷっくり膨れた腹を見せ、されるがままになっている。


 そのあどけなさに孝夫が笑うと、洋子も楽しそうに声を合わせた。

 夫婦でお腹の底から笑い合うなんて、ほんとうに何年ぶりだろう。


 ふたりの息子たちの独立で、いわゆる空の巣症候群に陥っていたころ、末の息子として愛情を注いで来た先代のクロも、天寿を全うして犬の神さまに召され……。👼


 以来、張り合いを失った初老の夫婦の放つ、どんよりと重苦しい空気に沈んでいた田中家は、思いがけない2代目クロの登場により、花が咲いたように明るくなった。


      *

 

 ガーゼに浸した温かいミルクをチューチュー吸い、洋子の指でやさしく肛門を刺激してもらって、チューブから絞り出す絵の具のような排便をしていたクロも、日増しに腕白な男子に成長していった。風の子のように鳴いて困らせることもなくなった。


 いたずらの愉快に目覚めたクロの好奇心は、家中のあらゆるものに向けられた。


 靴、スリッパ、靴下、文房具、歯ブラシ、洗剤、シャンプー、タオル、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、カーテン、カーペット……感電の危険があるコードやコンセントも例外ではなかったし、せっかく取りこんだ洗濯ものを部屋いっぱいにまき散らし、下着やシャツと大格闘していたりするから、いっときも目が離せない。


 ――クロ坊ちゃん。🐶


 いつしかそう呼ばれるようになった仔犬の、生えかけの時期でむず痒い歯の標的を免れ得るものはなにひとつなく、古い2階建てに夫婦の歓声が満ちるようになった。

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