新しい日常に溶け込んでいく

雨宮 苺香

1

「お待たせ」


 そう言葉を落として彼は私の前に座った。


「雨降ってるもんね」


 私は春の優しい雨がやんわりと当たる窓を見ながらそう言った。いつもならテラス席に座るが、生憎の雨により店内で彼と話す。


「あまり強くならないといいけど」


 そう言いながら彼はスマホに目を落とした。


「……電車の心配?」

「うん、止まったら困るから」

「そっか……」


 なんて返したらいいか分からず、口篭りながら返事をする。


「ちょっと御手洗行ってくる」


 はーい、と返事をして私は彼の背中を見送った。






 彼の姿が見えなくなった時、私はスマホのホーム画面を開いて時間を確認する。

 ふと、ため息を落とす。さっき我慢した分、重たく大きなため息。そして俯いたまま目を伏せた。

 電車止まってくれないかな、そう彼の1番嫌なことを思う。

 だって止まってくれないと、このまま引越してしまう。離れ離れなんて嫌だよ、そう思っても決まったことは変わらない。進学先がバラバラな私たちはこれから先、会うことはきっと難しくなる。






 彼と付き合ったのは10月。そして今は3月。もっと早く付き合ってれば別れの不安は少なかったかな、でも長く付き合ってたら離れがたくて寂しい気がする、なんて頭の中はごちゃごちゃ。

 まだ高校生でいたかった。彼と高校生として一緒にいたかった。まるで叶わないことに夢を見て、現実を受け入れきれない子供みたい。

 理解できても納得できない複雑な気持ち。上手く笑えてる気がしない。

 戻ってこないで。早く戻ってきて一緒にいたい。2つの葛藤が私の心を曇らせる。

 窓の外の3月の雨はそんな私の心を映したように少し涙していた。






「ただいま」


 その声に窓の外から彼に視点を動かす。


「おかえり」

「どうかした?」


 彼が心配そうに両手で頬杖を付いて、私の話を聞こうとしてくれている。彼の癖だ。いつも話を聞く時はその体勢をして、頷きながら話を聞いてくれる。

 それも見れなくなると思うと、彼のいない日常で生きていける気がしなかった。


「んーん、大丈夫だよ」


 なんて嘘。でも本心は言えない。私は無理やり苦い思いを飲み込んで、平然そうに答えた。







「お待たせいたしました。レモンタルトです」


 店員さんがそう言ってテーブルの真ん中にタルトを置いた。


「好きだったろ?ㅤ今日会ってくれたお礼」


 彼はそう言って私の前に皿を進めてくれる。

いつ頼んだんだろ……。御手洗で立った時かな?ㅤそう思いながら私は彼を見つめた。照れくさそうに目を逸らす彼の姿は、出会った時と何も変わってない。それが尚、胸をきゅうっと締め付けた。


「……離れたくないって言ったらどうする?」


“ありがとう”の言葉が出ないほど、この時の私は歪んでいた。


「ごめん」

「分かってるよ、分かってるけど不安なの!」


 違う、そうじゃない。本当はぶつからずに気をつけてね、って送ってあげたかった。なのになんでこんな酷いことしか言えないの。自分に嫌気がさした時、彼の腕がこちらに伸びてきた。


「はい、これ」


 私は「何?」と聞きながら手を受け皿のようにして伸ばした。


「合鍵。離れるけど新幹線で1本だろ?ㅤ辛くなったら、不安になったらいつでも来ていいから。お前の食器だってもう用意してある。だから許して」


 困ったように、でも真っ直ぐな目をしながら私の手に触れた。目いっぱい私のことを考えてくれた行動に、私は「うん……ありがと」と自然と言っていた。

 瞬きをした溜まっていた涙が私の頬を流れる。


「泣くなよ、タルト食べるぞ」

「だめ!ㅤ私のなんだから。でも半分あげる」

「よかった。やっと笑った」


 ホッと優しいため息をつき微笑む彼が愛おしくて、私は彼と居れる幸せを噛み締めた。

レモンタルトのように甘酸っぱい彼との時間で、私はいつの間にか別れが少しだけ怖くなくなっていた。






 カフェから出た後、傘を差すか迷う程の雨に私たちは相合傘をする。


「この雨、6ヶ月前の俺みたい」


突然彼がそう言った。


「なにそれ」

「告白しようか迷ってて、この雨みたいに思い切りがなくてずっと悩んでたんだよ。でも毎日笑顔で話しかけてくれるから、そろそろ男を見せようと思ってあの時告白したんだ」


 恥ずかしいからなのか、足元が悪いからなのか、まっすぐ前を向いていてこちらは見てくれない。けれどその真剣な横顔にドキッとした。そして続けてこう言った。


「どうしようもなく好きだよ。あの時となんにも変わってない」


 まるで不安にならないで、と言わないばかりに私たちの始まりの時を口にした。


「うん、私も」


 私は繋いでいた手を再度ぎゅっと握りながら言葉にした。






 駅に着くと、その手は自然と解けた。


「今日は会ってくれてありがとう。離れるけどこれからもよろしくな」


 彼の言葉にじっとしてられなくなって、私は思わず彼に飛びついた。すると私は彼の腕により優しく抱き寄せられる。


「泣くなよ」

「泣いてないよ」


 彼の心配にえへへと笑って見せた。


「元気でね、行ってらっしゃい」

「おう!ㅤ行ってきます」


 言いたかったことを彼に伝えると、彼は私のおでこに軽くキスして、駅のホームへ行ってしまった。でも何度もこちらを振り返って、笑みを見せてくれた。私はその姿に手を振り、別れを飲み込む。






 こうして彼のいない日常は始まった。駅から足を踏み出すと、変わらず雨が降り続けていた。

 自分一人の傘。でも、もう寂しくないよ。

 そう思いながら、私は彼の家の鍵を握った。

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新しい日常に溶け込んでいく 雨宮 苺香 @ichika__ama

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