皇子が真備邸の門前で咒文と格闘していた丁度その頃。

 真備は大学寮の官衙棟にある自分の席で仕事に取り組んでいた。

 背もたれのある倚子に座り、多足の几に向かう。

 しかし、筆を走らせていた手を止めて筆を置くと、顎髭をしごいて考え事をし始めた。

 務めの最中に私事を持ち込むことは良くないが、あの瘟神のことが気になる。

 あの瘟神は一昨日、由利が家に来た日の晩から現れたのだった。


 昨日の夜深く。

 由利の寝静まった頃を見計らって、真備は自身の寝床を兼ねた書庫を出た。

 灯りがなくても暗闇を歩き回れるよう夜目の術をかけているため、その目は薄く紫色に輝いている。

 真備は煮炊屋へ向かうと、隣の地面に掛けられた古い筵を捲った。

 筵を捲ると塵穴(平城京の住宅跡にはゴミを捨てたらしい土坑が多数見つかっている)が現れた。

「ない……まさか?」

 その中には、木簡の削り屑などのゴミが捨てられていたが、目的の物はない。

「……確認するしかないか!」

 真備は筵をかけると、煮炊屋の隣にある主殿へ向かった。

 主殿にある寝所の板蔀いたじとみ(開閉できる板製の戸)をそっと開け、中を覗き見る。

 由利は寝所で寝具に包まり眠っていた。

 寝所は土間で、筵を敷いている。

 束ねた藁の上に菰筵をかけた敷布団と木を削って作った枕、太布たふ(楮で織られた布)のふすま(掛布団)という当時の一般的な布団一式だ。

 真備は、由利が自分の用意した寝具を使ってくれたことに安堵したが、

「!!……郎女の寝所を黙って覗き見るなんて、恥ずべき行為だぞ!情けない、他に方法を思いつけないとは!」

 と、頭を抱えてうずくまった。

 しばらく落ち込んだが、なんとか立ち上がって再び様子を窺う。

「……あった!」

 よく見ると、由利はこの家を訪ねて来た時に着ていた衣を抱きしめ、頬を寄せて眠っている。

 昨日由利に新しい衣を用意して、今まで来ていた衣は塵穴に捨てて処分したのだった。

「……そうだ。由利殿にとって大切な品なのだ、あれは!死に別れた家人との思い出が詰まった……」

 真備は呻いた。

 あの衣が塵穴に捨てられていたのを見た時、どのような気持ちだったろうか。

 新しい衣の方が喜ばれるだろうと思ってのことだったが、結局裏目に出てしまっている。

 真備はますます自責の念に駆られ、泣きそうな顔になった。

 その時。

 由利の持つ衣から、あの瘟神が頭を出した。

「!?」

 瘟神は衣から抜け出ると、由利の方を振り向きもせず、辺りを見回す。

「クウ!」

 そして、真備に駆け寄ろうとした。

「!」

 土間から銀の糸が数本現れると、瘟神を縛り上げ、そのままきつく締め付ける。

「ギッ!」

 糸に裂かれた瘟神は消滅した。

「……あの衣が瘟神達の住処なのか!ということは?……」

 真備は板蔀を閉じると、顎髭をしごいて考え込んだ。


「……危ない所だった。あの時燃やしてしまおうと思っていた……」

 真備は木簡に書きかけの文章を眺めながらつぶやいた。

 外からの侵入はあり得ないと思ってはいたが、由利殿の衣が住処とは。

 瘟神が由利殿を無視したのは、既に喰われたことがあるからだ。

 瘟神は既に喰われた者を襲わない。

 由利殿が病に罹らないことが分かったのは良かった。

 しかし、あの衣を何とかしなければ瘟神はいつまでも湧き続け、いつか家の外に漏れ出すかもしれない。

 結界は張ってあるが、万が一ということもある、他の住民に被害が及ぶ前にあの衣を何とかしなければならない。

 真備は倚子の背にもたれて思考を巡らせる。

 どうすればあの衣から瘟神だけを取り除くことができる?

 衣ごと焼いて灰にしてしまえば簡単なのだが、由利殿が大事にしていると分かれば燃やすことは絶対にできない。

 道術では、瘟神を追い払う術はあっても根絶する術は生み出されていない。

 典薬頭殿に尋ねるしかないか?

 だが昨日の今日だ、相当に機嫌を損ねた状態で質問に答えてくれるとは到底思えない。

「……殿!大学助殿!」

 しかしあの見たことのない瘟神。

 大宰府で猛威を振るっているという豌豆瘡わんずかさ(天然痘)の瘟神ではないか?

 豌豆瘡は、二百年以上前に初めて中国で流行し、その後何度も猛威を振るって百姓ひゃくせい(ここでは万民のこと)を死に至らしめたと長安で学んだ。

 だが、豌豆瘡の瘟神をこの目で見たことはなかった。

 確証は――

「……殿!真備!!」

「ぉわっ!!」

 耳元で名前を呼ばれ、真備は飛び上がって驚いた。

「あーっ……あー、驚いた……大允殿でしたか!申し訳ありません。務めの最中にボーっとしてしまって」

 真備は倚子に座り直すと、古慈悲に詫びた。

「いや、違う。責めているわけではない。その……やはり身体を痛めているのではないかと気になってな」

 古慈悲は真備の席の前に立ち、心配そうな顔で真備の顔をのぞき込んでいた。

「身体?身体はいたって元気です。問題ありませんよ?」

「そうか、ならいいのだが……」

「大允殿の方こそ、顔色が優れません。もうお帰りになられた方が」

 同僚達は既に帰り、室内には真備と古慈斐しか残っていなかった。

「今は古慈悲でかまわんよ。大学頭殿もお帰りだし……もう少しここに居たい」

「!?」

「……実は、今宵も氏族を集めて宴があってな……」

 古慈斐はげんなりしきった顔で打ち明けた。

「あー……」

 真備は古慈斐の気持ちが理解できた。

 迷惑にならぬよう周囲に気を使いながら長時間酒を飲むだけでも心が疲れるのに、その上苦手な歌を詠んで披露し、講評されなければならない。

 その時間で漢書を読み習学に努めた方が、ずっと己のためになるというものだ。

「昨日は池主のことでかなり紛糾してな……古麻呂がけしかけたそうだな。本当に迷惑をかけた。古麻呂は気難しい男で、氏上殿にやる気がないなら、己が氏上をやると息巻いてはいるが」

「あのぉ!常食食べるって人ここにいるかい?」

 古慈悲の愚痴を遮って、無位の黄の袍を着た直丁の男が室内に入ってきた。

 食事の載った膳を持っている。

「あ、はい!吾ですっ!」

 真備が勢い良く立ち上がって合図した。

「そうか、今日は宿直の日だものな」

「はい」

 真備は慌てて几の上を片付ける。

 直丁は食膳を几の上に置くと、

「じゃ、後で片付けに来ます」

 そう言って室を出て行った。

「うわああああ……」

 真備は座り直すと、嬉しそうな顔で食膳を見た。

 山盛りの玄米の飯に茄子のひしお漬と和太太備またたびの実の塩漬、年魚あゆの煮つけが二尾。

 須恵器製のわんの蓋を開けると、中には滑海藻あらめ羹汁あつものじる(スープ)が入れられている。

 出来上がってからここまで運ばれる間に時間が経って冷めたのか、料理から湯気は見られなかった。

 古慈斐は自分の席から倚子を引き寄せてくると、真備の向かいに座った。

「おっ、年魚か!今年は早いな」

「国に帰って初めて食べますね」

「そうか!ならば尚更味わって食べないとな」

 古慈斐の言葉に、真備は童のように無垢な笑顔を見せた。

 そして、手に取った箸を猛スピードで動かしてガツガツ食べ始めた。

「……ゆっくり食べていいのだよ。吾のことは気にしなくていいのだから」

「!!あ……申し訳ありません。これでもゆっくり食べたつもりだったのですが」

「これで!?」

 驚く古慈斐に、真備は申し訳なさそうな顔で箸を動かす手を止めた。

「まぁいい、食べなさいよ。しかし、幸せそうな顔をして食べるもんだ。常食なんて旨いと思って食べたことはないが」

「美味しいですよ。煮た年魚は、身が柔らかくて格別です」

「そうか?吾はなます(魚や獣の肉を細かく刻み調味料で食べる、刺身)がいいね」

「川魚の膾はいけません!腹に虫が湧きますよ。病に罹ることもありますし、このように煮るか炙るかしないと」

 と年魚の最後の一切れを口に放り込んだ。

「!!」

 急に真備の動きが止まった。

「どうした?何か変な物でも入っていたか?」

 古慈斐が心配そうな顔をする。

 真備は咀嚼して飲み込むと、

「煮るか、炙るか……そうか!炙ると虫が死ぬように、煮ても虫は死にますよね」

「……まぁ、そうだな」

「そうか!その手があった!」

 真備は叫ぶと、あっという間に残りの料理を平らげた。

「何かわかったのか?」

「はい!古慈斐殿のおかげで問題が解決しそうです!家に帰ったら早速やってみます」

「え?あ……いましの役に立てたのなら、良かったよ?」

 古慈斐は返事をしたものの、よく分かっていないという顔だ。

 真備が満足そうな顔で箸を置こうとしたその時。

 バキィ!

 何もしていないのに、箸の一本が折れ飛んだ。

「!」

「!?どうした!?なにがあったんだ!!」

 古慈斐は目を丸くして驚く。

「……これは知らせです。良くない者が……おそらく賊が侵入したのです」

 真備は平然とした顔で、飛んで土間の床に落ちた箸の欠片を拾った。

「賊が!?寮にか!!」

「いいえ、吾家です」

「何だって!?待て、どうしてわかる!」

「あぁ、誰かが家にかけた術を破ろうとしたのです。ですが、この様子だと賊は負傷したはず。侵入は許していないと思います」

「冷静に話しているが、汝の家に賊が入るのはマズいだろう!唐から持ち帰った貴重な品があるはずだ。家人だっているだろう?」

「書庫の方は心配していませんが……家人!そうだ、由利殿!!」

 真備の顔にやっと焦りの色が見えた。

「……今すぐ帰るんだ、真備」

「しかし宿直の務めが!」

「これはいい機会だ。吾と替わってくれ!助かるよ、これで宴に参加せずに済む」

「ですが、常食を食べてしまいました」

「フフッ。飯のことは気にするな。家に帰らないと伝えるついでに、家から何か持って来させるさ。手続きはしておく」

「!……ありがとうございます!古慈斐殿の次の宿直、吾が引き受けます」

「いやいや、汝今まで吾等の分まで宿直をやって、一晩中働いていただろう」

「!?……ご存知でしたか」

「真備の言は正しいことが多い。大したことにはなっていないと思うが、とりあえずな。なにもなかったら、そのまま今日は休め」

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 真備はそう言って拱手をすると、荷物をまとめ大急ぎで官衙棟を出て行った。


 門扉を開けた皇子の目の前に、瘟神が立っていた。

 小さな角を生やした、頭の大きな赤い嬰児。

 丸く口を開けると、アノマロカリスのような円盤状の歯が見える。

「クウ……」

 瘟神は皇子の臑に齧りつこうと近づいたが、急に躊躇して離れた。

「!!……グギギ!」

 四つん這いになり、警戒しているのか今までとは違う声を上げる。

 黒麻呂や真備が正体を知り得なかったのと同じく、皇子も初めて見る神だったが、瘟神であることは分かった。

「吾を人と思ったか。残念だが、吾を食っても病には罹らんぞ」

 皇子は瘟神に向かって手を振ると、雷撃が走って瘟神に当たった。

「キ……」

 叫び声をあげる間もなく瘟神は弾けて消滅した。

「結界陣が張ってあるのに妖厲が中にいるのか!?なぜだ?」

 皇子は不思議そうに邸内を見回す。

 もうあの瘟神は見当たらない。

 改めて邸内を見回すと、地面に莱草しばくさ(雑草)が一本も生えていないことに気づいた。

 来客の予定がないような平時でも美しく手入れされているということは、やはり真備の家には女奴がいるのだろうか?

 それとも――

「!?」

 皇子は息苦しさを感じて、思わず胸を押さえた。

 そのためにここへ来たのだ。

 その郎女が真備に相応しいか、否、必要なのかを吾が見極めなければ。

「……誰?」

 か細い声が皇子の耳に入った。

「!?」

 見ると、煮炊屋の陰から由利が皇子の様子を窺っていた。

 痩せこけた顔に、無造作に束ねた赤く傷んだ髪。

 日に焼けた肌は清潔に見えるが、身につけている衣はボロボロに汚れ傷んでいる。

 人をこのような姿にして吾家に住まわせているのか、あの真備が?

 だから吾を招き入れたくなかったのか?

 皇子は困惑した。

 ――いや、そうではない。

 皇子は首を横に振った。

 下道真備という男は、実は人をぞんざいに使役するような男だった。

 と、断ずるよりもこの処女おとめ(年若い女性)に何か事情があるに違いないと推察する方が妥当だ。

 皇子は真備の篤実さはうわべではないと信じ、由利に向かって声を掛けた。

「……いましは女奴なのか?」

「!!」

 由利は声を掛けられたことに驚いたのか、ピュッと姿を隠してしまった。

「待ちなさい!」

 皇子は走って逃げる由利を歩いて追い、塀に囲まれた敷地の角に追い詰めた。

「答えよ」

「!……っ!」

 由利は突然現れて詰問してくる皇子に怯え、震えて答えるどころではなかった。

 皇子の眉が苛立ちでピクリと動く。

 幼い頃から皇族として培ってきた威圧感プレッシャーと歓待の技を駆使し、先程の加丹麻呂と同じように術なしで情報を聞き出さなければならない。

 早くしなければ真備が帰ってきて――

 そこまで考えて、皇子はふと疑問が湧いた。

 もし術なしで吾に情報を提供すれば、この者の立場が悪くなるのではないか?

 真備ならば顎髭をしごきたくなるところだろうが、皇子にはそのような癖も髭もない。

 皇子は袖手して考えた。

 まさかあの真備が詰ったり虐げたりといったことはしないだろうが、この処女の姿を見ていると……いや、真備を疑いたくはないが、どちらにせよ心証に何らかの影響が出ることは確かだ。

 そもそも、もう己がここに来ていることを真備に知られているかもしれず、もしそうなら今更隠し立てをして何の意味があろう。

 皇子は大きくため息をついた。

「吾の眼を見るがいい」

「!!」

 皇子は由利に己の顔を寄せると、顔を背ける由利の顎に手を添えて、自分の方に向かせた。

 瞳が赤く光る。

「!……」

 すると、由利の眼が一瞬赤く光った。

 同時に顔から怯える表情は消え、無表情になった。

「今一度問う。汝はここの女奴か?」

「……ち、違う」

「何!?では妻か!?」

 由利は首を力弱く横に振った。

「なんだそうか……ってなにぃ!?では、娘か!」

 由利は再び首を横に振った。

「汝は真備の何なのだ!」

「……」

「早く答えよ!もたもたしていると真備が帰ってきてしまうぞ!」

「!……兄様は、今日は帰って、きません」

「何!?兄様!帰ってこない!?……兄様、兄様……って妹!?それならなぜ妹と答えない!?」

「……」

 由利は黙ったままだ。

 魅了の術をかけていてもなお答えないのは、心の中で無意識に「決して人に言わない」という錠をかけているからだ。

 これは開錠に時間がかかる。

 しかし――

「……帰ってこないということは、真備は宿直とのいなのか?これは好都合」

 皇子は左の口の端を上げてニヤリと笑った。

 真備が一晩帰ってこないのであればいくらでもやりようはある。

 由利にかけた術も、時間をかければ術の痕跡を消すことだってできる。

 この者を手懐けてこちらに引き入れれば、真備を介さず真備について有益な情報を得られるし、今日のように無用に心を乱す必要もなくなる。

 上手く行けば、滾っていた身体を鎮めることもできるだろう。

 魅了の術を使えるようになったのは厲鬼となってからだが、人を懐柔して己の下に引き入れ情報を得るのは、生前からのやり方だった。

「そうだな……話の続きは後にしよう。こんなところに一人きりで夜を過ごすのは恐ろしいだろう?吾が傍に来なさい。一刻(三十分)経てばこの家の門がひとりでに開く。開いた門を潜ればそれでよい。それまでここで待っているのだ。良いな?」

「……はい」

 由利は素直に返事をした。


 皇子が真備邸を出て行った後、由利は皇子に指示された通り門扉の前に座り込んで、一人じっと待ち続けていた。

 由利には、まだ「一刻」がどれ位の時間を指すのか分からない。

 キイイ……

 門扉が開いた。

 由利はフラフラと立ち上がり、門扉に近寄る。

 しかし、その足が止まった。

「あ……!?」

 門扉を開けて立っていたのは真備だった。

 全力で走ってきたために息が荒い。

 真備が門を潜ると、由利は威圧感に気圧され思わず数歩下がる。

 真備の顔はとても険しいものだった。

「術をかけられている!」

 眉根を寄せてつぶやく。

 由利の瞳の奥が微かに赤く光っているのを真備は確認した。

「誰が来たのです?」

「……」

「どうして門の前に?」

「……扉が開くまで、待つようにって」

「なんと!?」

 真備の予想に反し、賊は邸内に侵入したうえ由利に手を出したのだ。

 真備は振り返り、門を見た。

「!?」

 隠蔽の咒文が解除されて組み上げた咒文が浮かび上がり、呪師ならば誰でも見えるようになっている。

 指を差しつつ確認すると、咒文が三つ消されていた。

「身代わりを立てたか?それともかなり熟達した方士の仕業か……長安に劣ると高を括っていたか、愚か!!……待て、扉が開くまで待て、と?」

 真備が門扉をよく見ると、本柱の根元に小さな斎串が二本刺さっていた。

「!?隠しもせずに堂々と……それに、あの痕跡……」

 真備は虚ろな顔で立ったままの由利に、腕を伸ばせば何とか触れられるぐらいの距離までにじり寄った。

「失礼」

 由利の額に向かって手をかざす。

「解」

 真備がつぶやくと、かざした掌から薄紫色の光が一瞬閃いた。

「!!」

 由利の瞳から赤い輝きが消え、顔に表情が戻った。

「あ、兄様!」

 由利は、目の前の人物が真備と気づくと、自分が着ている衣を見た。

「あ……ご、ごめんなさ……」

 由利の顔はみるみる曇り、今にも泣きそうになった。

「き……着替え、ます」

「え?……あ、違います!みましを責めているわけでは!!由利殿!!」

 真備は慌てて止めようとしたが、由利はピュッと走って主殿の中に入っていってしまった。

「あ、あの!その衣についてお話がっ!あっあっ!どうしよう、あっあっ!!」

 真備は衣について説明するため主殿に向かおうと足を向けたが、郎女の着替えの最中の場所に行くなんて、と躊躇し困惑しきった顔でオロオロした。

 すると、

 バタン!

 ギキイ……

 背後の門扉が一旦閉まり、そして再び開いた。

「!……迎えの時が来たか」

 真備は再び厳しい顔に戻る。

 急いで書庫へ向かうと、戸を開けて中に入り荷物を置いて出る。

「由利殿!一時出かけて参ります。すぐ戻りますので、しばしお待ちください!」

 真備は主殿に向かって声を掛けると、ひとりでに開いた門を潜った。


 しばらくして、新しい衣に着替えた由利が、主殿の戸を開けて顔を出した。

「?……兄様、いない?」

 不思議そうな顔で辺りを見回す。

 すると、門の方から黄色い袍を身に纏った若い男がやってきた。

「?さっきの……?」

 由利は男をつい先ほど見たことがあるように思ったが、何となく違うような気もして首をかしげる。

 男は顔に柔らかな微笑みを浮かべて由利に近づくと、

「お待たせしました。どうぞ、吾等の宮へお越しください」

 そう言って手を差し伸べた。

「……」

 由利は突然、その場に崩れるように倒れ込む。

 男は分かっていたかのように優雅に由利を受け止めると、ぐったりして意識のない由利を抱えて真備邸を後にした。

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