真備の自宅がある左京八条三坊は京師の南東、平城宮から遠く離れた場所にある。

 朱雀大路からは少し離れているが、坊内には東市があるために、どの路も人の行き来が多く、いつも喧騒に包まれている。

 また、少し離れた所に四大寺の一つ大官大寺(現在の大安寺のこと)があり、その周辺に寺院が幾つかあるために、僧侶の姿も多く見受けられた。

 平城宮に近い公卿の邸宅や、朱雀大路に面する坪(平城京での住宅の区画のことで、一辺約百九メートル)には敷地を囲むように瓦葺の築地塀が作られ、整然としている。

 しかし、宮城と朱雀大路から離れていくにつれ、塀の屋根は当時格式の高かった瓦葺から檜皮葺になり、中には去年京師を襲った大地震で崩れたまま修復されていないものもあった。

 市あたりから南の下級官人や白丁が住む地域になると、築地塀がなくなって粗雑な掘立柱塀に変わる。

 しかし真備の住む坪の築地塀は、檜皮葺ではあるものの塀にヒビなど痛みはなく、この辺りにしては整えられている方だった。

 皇子は雑踏を苦も無く進み、坪の出入口である北の棟門の前に立った。

 大学で持ち歩いていた包みはなく、代わりに麻のかぶせつき鞄を首から下げている。

「……一昨日は、ここで足止めされたんだよなぁ」

 皇子は門前で袖手し、思案した。

 一昨昨日の晩、真備と皇子は宴席で酔い潰れ、平城宮内にあるいつもの庭園で夜を明かした。

 そして翌朝、目が覚めた真備が、藤原麻呂邸へ向かう前に荷物を置いて着替えをしたいと申し出た。

 皇子は家があるこの坪まで真備を抱え飛んで送ったのだが、

吾家わぎえは皇子のような高貴なお方が立ち寄るような場所ではありません。門前でお待たせすることも失礼にあたることは重々承知しております。ですが何卒、何卒お許しいただきたい」

 そう言って、真備は坪内へ立ち入ることを頑なに拒んだ。

 そのために皇子は、坪の中にある家のどれが真備邸なのか分からないのだった。

「……それもそうだが、果たして何の用意もなしにこの門をくぐれるのか……」

 初めて大学寮に侵入した際、何重にも同じような結界陣が張られており、かけた呪師に気づかれないよう術を解除するのにかなりの労力を要した。

「おかげで真備をびっくりさせることができたのだがな……フフッ、吾ながらあれは上手く行った!!」

 皇子が一人一昨昨日の功績を自画自賛して喜んでいると、

「おぅ!いまし、この坪内のモンに何か用かぁ!?」

「!?」

 後ろから急に声を掛けられ振り向くと、同じ黄色の袍を着た直丁(中央諸官司で雑用を行う庶人)の男、大洲加丹麻呂おおずのかにまろが立っていた。

 市で買ってきたのか、長芋を一本手に持っている。

 皇子は一瞬しまったという顔をしたが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。

 ある程度気配を消して行動していたつもりだったが、方術や妖術を使って姿を見えなくしていた訳ではなかった。

 この男は人よりも勘が鋭い男だったのだろう、仕方がないが相変わらず己は詰めが甘い。

 穏やかな笑顔は、己への苦笑だった。

「……そうなのです。実は真備博士のご自宅に伺おうと思ってここまでやって来たのですが、どの邸宅がそうなのか分からず困っていたのです」

「ま……?知らんな」

「あの、下道真備殿ですが。正六位下で、大学助の」

「六位?」

「そうです。深緑の衣です」

「緑?」

「はい。はるか遠い唐の国で留学生として長年学ばれた」

「あーあー!!けんとーし様のことかい!?」

「正確には遣唐使ではなく留学生です」

「そーかそーか!けんとーし様の!」

 やっと理解した加丹麻呂は笑顔を皇子に見せると、ガッシと皇子の腕を取った。

「……で、ましはドコのモンだ」

 加丹麻呂は真顔になり、声がワントーン下がる。

 明らかに疑われている。

 一刻も早く男に立ち去ってもらいたかったが、邪険に扱って拗らせるよりも、相手が納得するまで根気よく説明した方が良い、と皇子は考えた。

 真備の教え子が庶人に対して高圧的では、真備の方の評価を下げてしまう。

「……真備博士の下で昔あったことを教えてもらっております。大学寮という所で、式部省の一つですよ」

「へぇ、式部省!?」

 加丹麻呂はまだ胡散臭そうな顔で皇子を見ている。

「汝、式部省の人かい!?式部省は知っとるよぉ。でもよ、官人ってのは、もっときれぇな色の衣を着てるもんだ。何で汝は官人なのに、吾と同じ衣なんだあ?」

 そう言って、加丹麻呂は皇子の腹を長芋の先でグリグリした。

「!!……吾は学生として、将来官人になるべく日々学んでいる者です。官位はまだありません」

「嘘ついてんじゃねぇだろぉなぁ?」

「本当です」

 加丹麻呂は皇子の顔をしばらく睨んでいたが、突然目を丸くした。

「!!……学生!?あー学生ね、そうかい!それは知っとるよぉ。思い出した!官人になるには聡くねぇといけねぇって聞いたな。鳥養とりかいからだったか?」

 加丹麻呂は声のトーンが元に戻り、ニッコリ明るい笑顔を皇子に見せた。

「なんだー。吾、賊かと思ってよ。何とかしねーと、って思って焦った焦った!そんなら案内してやるよ、さあさあ!」

 ようやく納得した加丹麻呂は、皇子の腕を力一杯ぐいと引っ張り、無理やり門の中に引き入れた。

「!?しまっ……!!」

 皇子はいきなりの強い力に負けて思わず門を潜ってしまった。

「……!?……何ともない!?」

 皇子は驚いて、自分の体に異常がないか確認した。

「何もなってない……のか。何故だ?」

 坪内は中央を縦断する小路で左右に分けられ、掘立柱塀で横長に仕切られた敷地に家々が並んでいる。

「……どおしたぁ?けんとーし様の家行くんだろ?」

「わっ、ちょっと待って下さい!」

 加丹麻呂は立ち止まった皇子の腕を再びぐいと引っ張り、引きずるように進む。

「すぐそこなんだ、ほれ」

 そして門を潜ってすぐ、右側にある家の門を指差した。

「!……そうでしたか!ありがとうございます。助かりました」

 皇子は拱手して言った。

「いいって気にすんな!じゃな!」

 加丹麻呂はまた坪の門を潜って、あっさり出て行った。

「……意外だ。妖厲がくぐれないよう、結界陣を張られていると思ったのだが。しかし……」

 何か違和感がある。

 皇子は辺りを見回した。

 午後ではあるがまだ日は高い。

 住民達は働いているのか人影は見られず閑散としている。

「!?……そうだ。外からの音がまるで聞こえない!」

 耳を澄ますと外の喧騒は聞こえてくるが、それは開けられた門からのものだった。

 皇子は再び注意深く周囲を観察する。

「……あった」

 小路の両脇に、外の大路沿いに流れる排水溝から水を引き入れた細い溝がある。

 溝は築地塀の下を潜って坪内に流れ込んでいるが丁度その塀の下、水が流れ出る場所に、小さな斎串が刺さっていた。

 斎串は流されないよう、そして人に気づかれないよう溝の側面にへばりついている。

 よく見ると、流れ出る水は清水の様に澄んでおり、臭気はない。

 水だけでなく空気も清浄で、静けさも併せて坪内はまるで山里のようだった。

 皇子は小路の反対側にある溝にも、同じように斎串が刺さっているのを見つけた。

「方術でこの場を清めているのか。不要な音も除けているようだ……己の敷地ではないから、余計な事はできなかったか?家の外では、人々の暮らしに関わる術のみを施していると見ていいだろう」

 皇子は首から下げた鞄のかぶせを捲って、中を探った。

 引き出した手には、木簡を加工して作られた人形ひとがたの束が握られている。

 人形の胴体には『下道朝臣真備』と墨書されていた。

「攻城戦だ、やるぞ!」

 皇子は真備邸の門前で仁王立ちした。


 門前からは物音ひとつ漏れてこず、人の気配も感じ取れなかった。

 超常の才がない者が見れば、何の変哲もない下級官人の家だ。

 才ある皇子が目を凝らしても、何か術が施されているようには見えない。

 塀の上から邸内を覗くことができれば簡単なのだが、あの真備が何の術も施さない訳がない。

 迂闊に触ると、昨日のような危害を加える術が発動するだろう。

「広足のように、術を暴く必要があるな」

 皇子は門のすぐ前ではなく、門から少し距離を取った小路に胡坐をかいた。

 長期戦の構えだ。

 たとえ清水の様に澄んだ水が流れていたとしても、溝を跨いで排泄している可能性は大だからでもある。

 皇子は首から下げた鞄を下ろすと中を探り、地面に並べ始めた。

 既に取り出した真備の名が書かれた人形の束に、何も書かれていない人形の束。

 呪符木簡の束と、木簡を加工して作られた刀呪具。

 そして、紅い綾絹の小袋を手に取った。

 皇子は、小袋の中の物を取り出すと、首に掛ける。

 それは、大きな翡翠の勾玉が緋色の組紐で括られたペンダントだった。

 姉大来皇女の形見であり、元々は高志の国の巫女王が所有していたものだ。

 首に掛けた者の霊力を増強し、術の練度を高める神器、今となっては存在を忘れられた八尺瓊勾玉だった。

「姉様、どうかお力をお貸し下さい!」

 皇子は目を瞑って勾玉を握りしめると、そうつぶやいた。

 大きく深呼吸をすると、真備の名が書かれた人形を一枚取って、自分の目の前の地面に置く。

 次に何も書かれていない人形を一枚取り、それで自分の左腕を撫で、真備の名が書かれた人形の隣に置いた。

 呪符木簡の束の中から一枚を抜き出すと、そこには沢山の眼と漢字が組み合わさった咒文が描かれている。

 その呪符木簡を門に向かって投げると、それは真っ直ぐ門まで飛んでいき、扉にピタリと貼り付いた。

 皇子は右手に刀呪具を手に持ち、鋒を呪符木簡に向けると、

「觀!」

 と叫んだ。

 ――ガン!!

「!?」

 呪符木簡が弾かれるように飛んで外れ、地面に落ちると粉々に砕けて消えた。

 と同時に、地面に置いた真備の名が書かれた人形がパンっと跳ね飛んだ。

「むう!?失敗か!!」

 人形の右腕が千切れている。

 呪師の名を書いた人形を傍に置くことで、術を解除されたり強引に破られたりした際呪師本人に行くはずの知らせを、その人形の所に行かせて本人に気付かせないようにする技巧テクニックだ。

 昨日の場合は呪師の名が不明だったためにできなかったが、今日は可能だ。

 このおかげで、解析の術が失敗したことを真備に知られずに済んだのだった。

「姉様!どうかそのお力を吾にお貸しください!お願いします!!」

 皇子は勾玉を握りしめて念ずると、もう一度呪符木簡を門に向かって投げた。

 呪符木簡は先程と同じように門扉に貼り付く。

 左手に勾玉を握りしめ、右手に刀呪具を持って目を瞑り、集中した。

 刀身が薄緑色の妖気を纏う。

 皇子はカッと目を見開くと、鋒を門扉の呪符木簡に向けた。

 すると妖気は稲妻のように閃き、バチバチッと呪符木簡に向かって飛んでいく。

 妖気が当たった呪符木簡は薄緑色に発光した。

 グオン――

 すると、門の前に紫色で描かれた咒文が十五個、整列して浮かび上がった。

「やったか!」

「何をやったんだ?」

「!?」

 喜んで立ち上がった皇子の後ろにいた加丹麻呂が声を掛けた。

「な!!……いつの間にここに!?」

 驚いた皇子は思わず声が上ずった。

「汝が地べたに座っとった時からおったよぉ。汝って変わっとるな、一人で座り込んで何叫んどるの?酔うとるのかね?」

 加丹麻呂はそう言うと、盃で酒を飲むジェスチャーをしてみせた。

「……いえ、酒は飲んでおりません」

「そうかぁ残念。持っとらんの?酒」

「ないですね」

 加丹麻呂は残念そうな顔をした。

 見鬼の才は持っていないのか、門前の咒文の方には見向きもしない。

「まずい、顔を覚えられたか?……どうする?」

 皇子は加丹麻呂に聞こえないよう小声でつぶやいた。

 目的が目的なだけに、真備にはここに来たこと自体知られたくない。

 既に手遅れの感はあるが、これ以上絡み続けると、この男の記憶に己のことが深く刻み込まれてしまう。

「……かけるしかないか」

 渋い顔の皇子の目が赤く光った。

「!?……いや待て!!」

 皇子は慌てて自分の顔を両手で隠した。

 魅了の術をかけたとして、この男に真備が出会った時に術をかけられていることに真備が気づかないはずはなく、己がここへ来たことが明白になってしまう。

 ……どうやって切り抜ける?

 皇子は顔を隠したまま暫し思案した。

「……どしたの汝?具合悪い?けんとーし様呼ぶ?」

 加丹麻呂は身動きしない皇子を本気で心配しているのか、背中を擦って言った。

「いえ、大丈夫です。ところでみましは何用で吾の所に?」

「みましなんてよそよそしいなぁ。気軽に加丹麻呂でええよ」

「承知しました」

「で、えーと汝の名は」

「名ですか?吾の名はかn……!!そうか!?その手があった!」

 皇子はガバッと顔を上げた。

 目は赤い輝きを失くしている。

「!?どしたぁ!?」

「いえ、何でもありません。吾の名は伯麻呂。大伴伯麻呂と申します」

 皇子は口の左端を持ち上げてニヤッと笑った。

「?……そうかい。伯麻呂って呼んでええのかい?」

「勿論です」

「そうかい。で、えーっとだ。伯麻呂に教えてやろうと思って」

「何です?」

「けんとーし様の家には入れねぇよ」

「!?」

「何か中からつっかえかなんかしてあってな、中に入れんようになっとるのよ。まるで宮城の門みたいにな。どんだけ強く蹴っても、びくともせん」

「そうでしたか!」

「この時間ならけんとーし様はまだ帰らんよ?出直した方がええと思うよ」

「ありがとうございます。もうしばらく待とうと思います」

「そうしなぁ。けんとーし様、最近お客が多いな。人気者なんだな」

 言いたいことを言って気が済んだのか、加丹麻呂は再び坪の外へ出て行った。

 皇子は加丹麻呂が見えなくなるまで見送ると、大きくため息をついた。

「……結界陣を張ろう。また来られると困るし、最初からそうすれば良かった」

 渋い顔の皇子は鞄の中から小さな斎串を四本取り出すと、撒くように投げた。

 宙に浮いた斎串はキュッとひとりでに向きを変えて四方に散らばり、真備邸の門前とその前の小路を囲むように刺さる。

 人がいるのに気づけない、人払いの結界陣だ。

「他人の家の門扉を蹴ったのか?粗忽だな……しかしそうだろう。閂錠かんぬきの術がかかっている」

 皇子は門に近づき、咒文を解読し始めた。

「隠匿と防御の咒文は昨日も見た。防御には遅発の術が紐づけされている。が……何の術が発動するのか、これは分からないな……何?連動して他の術も発動するのか!何らかの方法で傷を負う術を飛ばすようにできている。逃げても背中に喰らってしまうな」

 皇子は咒文を指差しながら嬉しそうにつぶやく。

「……これはこれは!転移阻止と感知防御の結界は良いとして、妖厲を弾く結界が厄介だ。まぁ、これは大学寮で突破した。後は……中に敵が侵入すると呪師に知らせがいく歩哨の術は、吾に敵意はない故無視してかまわん。鬼道の攻撃を返す術も触らないで良いだろう。解く術は結界一つに閂錠と防御の術か。気を引き締めてかからんとな。それにしても……」

 皇子は涎を流さんばかりに顔を輝かせ、真備の描いた咒文に見入った。

「……何と美しい咒文だろう!書博士の字よりもずっと素晴らしい!一つとして乱れがなく最後の一字まで丁寧、線は繊細だが鞏固、それでいて伸びやかで……まるで唐錦のあや(文様)のようではないか!崩すのが惜しい!!」

 もう誰の眼も気にしなくても良くなった皇子は、思う存分賛美の言葉を叫んだ。

「……さて、やるか」

 真備はいつも日暮れまで家に帰らないが、先程のような不測の事態がまた起きるかもしれない。

 ひと通り叫んで落ち着いた皇子は元の位置に座ると、真備の名が書かれた人形を束から一つ取り、地面の上に置いた。

「まずは防御の咒文から解く。慎重にな、慎重に……」

 そう自分に言い聞かせると、咒文の一つに刀呪具の鋒を向けた。

 集中すると、再び刀身が妖気を纏う。

 皇子は、鋒を筆のように動かすと、妖気はまるで墨のように空に残り、真備が描いた防御の咒文と同じ形の咒文が浮かび上がった。

「除」

 皇子が言うと、薄緑色の咒文はスッと真備の咒文の方に飛んでいき、ピタリと貼り付いた。

 しかし、貼り付いた皇子の咒文は砂が落ちるようにサラサラと消え去り、真備の咒文は変わらず同じ場所に残っている。

 バキバキッ!!

 パンパンッ!

 消えると同時に、あたりに爆竹が爆ぜるような音が響いた。

「ンンッ!!」

 皇子が左の腕を拭って地面に置いた人形が何度も跳ねながらバキバキと砕け散り、隣の真備の名が書かれた人形も大きく跳ねると、胴体から真っ二つに折れた。

 己の身を拭って身代わりとした人形が、替わりに攻撃を受けて砕けたのだ。

 その上真備に通知が飛んだので、術の解除は完全に失敗したのだった。

「あああ――!!この前はこれで成功したのに……」

 皇子はガックリとその場にうずくまったが、

「……いや待て、姉様のお力を借りていないではないか!?何をやっているのだ吾は!!」

 そう叫ぶと、またも勾玉を握りしめて体を起こした。

「……今度こそ、上手くやる!!」

 何も書かれていない人形で左腕を拭って地面に置き、その隣に真備の名が書かれた人形を一枚置く。

 妖気を纏わせた刀呪具の鋒で同じ咒文を空に描き、

「除」

 の言葉と共に門に向かって飛ばした。

 咒文は前回と同じように真備の呪文に貼り付く。

 すると、皇子の咒文も真備の咒文も砂が風で吹き飛ばされるように消え去った。

 皇子は地面の上の二枚の人形に見入る。

 しばらく見ていたが、何も変化は無い。

「よし成功!!姉様、ありがとうございます!!」

 皇子はその場で天を仰いだ。

 皇子は引き続き左手で勾玉を握りしめ、妖気を溜めた右手の刀呪具で空に違う形の咒文を描き上げると、「除」の言葉と共に門に飛ばした。

 皇子の咒文は真備の同じ咒文に貼り付く。

 皇子は固唾を飲んで咒文を見つめている。

 咒文は吹き飛ばされるように消えた。

「よっし!よっし!!妖厲を弾く結界もこれで崩した。後は閂錠の術を解くだけ、感謝です姉様ぁ!!」

 皇子は姉への感謝を忘れずに叫ぶと、三度同じルーティンで違う形の咒文を飛ばした。

「行けるか!?」

 期待のこもった顔で咒文の行方を凝視する。

 咒文が真備の咒文に貼り付こうとしたその時、

 パキン――

 薄い玻璃はり(ガラス)が砕けたような音が微かに響いて、皇子の咒文が砕け散った。

「!?何かおかしい!!」

 異変に気付いた皇子は咄嗟に立ち上がる。

 すると、身代わりの人形を置いた地面から鎗の穂先が突き出た。

 勢いよく飛び出た穂先は人形を真っ二つに割って空高く上がり、今度は皇子の頭上に落下する。

「疾ッ!!」

 皇子が穂先に向かって左手をかざすと、掌から稲妻が放たれ、穂先に命中する。

「真備の必殺の技ではないか!?」

 当たる寸前で弾かれた穂先は、ガゴンガゴンと大きな音を立てて地面に転がると、パキパキと粉々に砕けて消えた。

「やるな真備!系統の違う鬼道の術を方術で封じるとは。見たことも聞いたこともなかったぞ!素晴らしい!!」

 皇子は口の左端を上げてニヤリと笑い、余裕を見せる。

「他にも隠蔽していた術があったか、迂闊!……しかし鬼道は発動すると呪師に知らせが行くのか!?真備の人形には何の反応もなかったが……」

 本当は真備が施した術をすべて解除して、真備の組み上げた方術を心ゆくまで堪能したかった。

 しかし、今日ここへ来た目的は腕比べではない。

 己の知らない術である以上、人形に反応がなかったからといって、知らせが行かなかったと断言することは不可能だ。

 宮城からここまで距離はあるが、転移の術を使えば何の障害にもならない。

 人形の数に不安はあるが、一刻も早く終わらせるには他に打つ手はなかった。

「また強引に砕くしかないか!」

 皇子は覚悟を決めた。

 門扉の前に立ち、右手で刀呪具を、左手で勾玉を握りしめると、閂錠の咒文に向かって刀呪具の鋒を向けた。

 刀身に妖気が集まり薄緑色に輝く。

 そして、咒文に向かって突き刺した。

 刺した咒文から稲光が走り、辺りはフラッシュが焚かれたように白くなる。

 ドオン――

 雷が落ちたような轟音が響き渡った。

「クッ!!」

 衝撃で手が痺れ、思わず刀呪具を地面に落とす。

 バキバキバキ!!

 後ろで真備の名が書かれた人形と身代わりの人形が、何枚も跳ね飛びながら粉々に砕けた。

「やったか!?」

 皇子は咒文を確認する。

 咒文は消えてなくなっていた。

「!!」

 皇子は地面に広げた荷物をかき集めて鞄に押し込むと、期待を込めて門扉に手をかけ、グイと押す。

 ギギィ……

 微かに軋んだ音を響かせて、扉は開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る