十二
「玉……いや長者様か!?来てくださったのか!」
信太が唸ったその時。
ビン、と撥が弦をはじいて曲が終わった。
一同は息を飲んで真備を見つめる。
真備は傍らに琵琶を置くと、静かに立ち上がった。
そして、右足でタンと地面を踏み鳴らした。
「まずい!!」
耳栓を外していた皇子が動きに気づいて叫ぶ。
と同時に、庭にいた男のうち数人の足元から鎗の穂先が飛び出した。
「!?」
穂先が男達の身体に刺さろうとする寸前。
庭中が光に包まれたかと思うとバチイッという音が鳴り響き、稲妻が庭を蹂躙した。
穂先は雷撃に当たって弾かれ、それぞれあらぬ方向に飛んでいく。
穂先に貫かれそうになった男達は、驚きのあまりその場にへたり込んだ。
「!!あの男の術か!?」
我に返った玉藻は、大刀を持った右腕を真備に向かって振った。
右腕がろくろ首のように長く伸び、うねりながら真備に向かって飛んでいく。
バギッ!!
手に持った大刀の刃が真備の頭に激突した。
伎楽面が砕け散り、髻を結っていない白髪混じりの髪が衝撃でなびく。
そして、真備の顔が露わになった。
その顔は普段の穏やかで少し気弱なものとは全く違う、冷徹で酷薄な無表情だった。
厚みのあった木製の伎楽面が砕けるほどの衝撃だったはずなのに、その顔に傷はない。
「吾に刃は届かない」
真備は平然として言い放った。
「!?やはり方士!!『知らない』か?それとも『分からない』なのか!?」
腕を元に戻した玉藻の顔がますます険しくなる。
「真備!大丈夫か?」
「話が違うではありませんか」
「うっ」
「弾き終わるまでに正体を暴くと申されたはずです。それなのに、暴くどころか庇いだてなさるとは」
真備は皇子を睨んで言った。
「やはり
「落ち着けそうじゃない!吾は……待て!話を聞け!」
真備はもう一度右足で地面を踏み鳴らした。
ズズッ……
地面から、柄頭の部分が輪になった白く輝く黒金の刀がせり上がってきた。
真備は環頭刀の柄の部分を握りしめると地面から引き抜き、鋒で玉藻を指す。
「しかし、まずは
「!長者様!!」
信太は玉藻の所へ駆け出した。
走りながら懐に手を入れ、呪符木簡を取り出す。
そして、真備に向かって呪符を投げようとした。
「汝の敵は吾よ!」
広足が信太に駆け寄り、脇腹を横刀で斬った。
「!!……この程度!!」
信太は広足を突き飛ばすと、手に握った呪符を広足に向かって投げつける。
「何!?」
呪符が地面に突き刺さると、地面から広足の四方を囲むように土の壁がせり上がってきた。
壁は一瞬にして広足の背の高さまで高くなる。
そして、天井が上を塞いで四角い土の箱が出来あがった。
「!?ちょっと!これ、息が出来なくなる奴じゃない!出さんかいコラー!!」
閉じ込められた広足が土壁を殴る。
信太が術の成功を確認し、再び走り出したその時。
踏み出した爪先の地面から、鎗の穂先が飛び出した。
ドスッ!
穂先が信太の胸に突き刺さる。
「ぐっ!?」
当たった衝撃で跳ね飛ばされ、信太は仰向けになって倒れた。
「信太!」
皇子は思わず玉藻を突き飛ばして素早く信太に駆け寄り、抱き上げる。
「おい死ぬな!……まずい、人のまま死なれると真備に罪が!」
信太はニヤッと笑った。
「人のまま、死んでやる!」
「!あぁもう仕方がない!
信太は固く目を瞑り、
「吾に、まやかしの術など、効かぬ!」
と声を絞り出した。
「ではこうだ!」
皇子は頭巾を取り、横刀で紫の元結を切った。
バサッと広がった黒髪がみるみる長く白緑色になっていく。
頭に金色の竜の角が二本、芽吹くように生える。
黒かった瞳は血溜まりのような赤に染まった。
そして、袍の腰の部分の縫い目から、金色の
皇子はいつもの
「わあっ!!なんだ彼奴は!!」
「人ではなかったのか!?」
人も狐も皆皇子の急激な変化に動揺し、口々に騒ぎ出した。
「これならば目を見ずとも術はかけられるぞ!」
「な、にっ!?」
信太は思わず目を開ける。
「!?な……んだ、汝、は!」
「かかった!」
皇子がニヤリと笑う。
目が合った。
「!!」
衣から見えている皮膚があっという間に黒い毛で覆われた。
顔の眼から下が大きく前に伸びて狐の口になる。
耳は消えて頭から狐の耳が二つ現れ、腰の下からふさふさの尾が二本生えた。
黒く大きな狐の獣人の姿に変化した信太は、皇子の腕の中でだらんとして動かなくなってしまった。
皆呆然として信太の有様を凝視する。
「狐だ……黒狐」
資人の男の一人がつぶやいた。
「!?
玉藻が悔しそうに言葉を吐き出した。
「何故殺したのだ!」
皇子が真備を振り返って叫ぶ。
「?……参議殿のそばの狐を暴けば、それで済みますので」
一人だけ終始表情を変えなかった真備が平然と答える。
「違う、そうではない!それでは……」
「え?……殺した……?」
今まで呆然として成り行きを見ていた若藻が、やっと正気を取り戻したのか皇子の言葉に反応した。
廂の欄干で身を乗り出し、信太の姿を確認する。
鎗の穂先が刺さった胸が、血で真っ赤に染まっていた。
「……信太……死んだのか?嘘……嘘だ!」
若藻は階段を降りて信太に駆け寄ろうとする。
『落ち着け若藻!』
若藻はハッとして玉藻の方を見た。
房前の野太い男の声ではなく、いつもの玉藻の涼やかな声だ。
人達に聞かれないよう、思念を飛ばして語りかけていた。
『姉様!!』
『こちらを見るな!吾等は何だ?狐なら狐らしく、最後まで狡猾に生きるのだ!信太の死を利用しろ!!』
「……」
若藻は信太の方を見て小さくうなずく。
「……姉様?ふーん、なるほど。困ったな!」
皇子は小さくつぶやくと、信太をその場に寝かせて立ち上がった。
「丁度いい。一匹が正体を現したわけですし、後二匹もまとめて処分しましょう。残りの小物は問題なく片付けられます」
「違う!話を聞け真備!吾等の目的はなんだ?麻呂の説得だろうが!」
「それが狐を逃す理由なのですか?」
「わ……吾、吾は狐ではない!その男だけが狐だったのです!吾、何も知りません!」
若藻は声を振り絞って叫んだ。
そして、麻呂の所まで戻ると、
「何もしていないのに!何も悪いことをしていないのに殺すだなんて!主様怖い!」
と言ってその腕にしがみついた。
「吾を狐だと?ふざけるな!下人の分際でこの
玉藻は真備を指さして叫ぶ。
玉藻の瞳が赤く光った。
すると、それに呼応するかのようにその場にいた男達の目が赤く光る。
男達は抜刀すると、入り乱れて真備と皇子に襲い掛かった。
ドガッ!
土壁に穴が開いて、中から息の荒い広足が顔を出す。
「ハーッ、ハーッ……死ぬかと思った!」
その広足に向かって男達が向かってきた。
「おわっ!」
広足は思わず中に入り直した。
「って駄目駄目!ここに籠ったら袋の鼠じゃないのよー!こっちくんなってば!!」
広足は穴から横刀を振るって必死に応戦する。
「何人も同時に操るのか!?才が頭一つとびぬけているな。気をつけろ!」
皇子は真備に向かって襲い掛かる者達の刃を受けながら、声を掛けた。
「茶番だな」
真備は動じることなく環頭刀の柄に
「茶番だと!?」
玉藻が反応する。
「あちらのお方を下人だと?名にし負うあのお方を民部卿がご存じないはずがない。どうやらこの狐は辺境の出のようだな」
「何!?」
「では、あのお方の名を言ってみるがいい」
「どこまでも無礼な奴だ!その口」
真備は玉藻の言葉を遮るように左手を振った。
「!いッ!……!?血が!」
玉藻は大刀を落とし、痛がって右の手の甲を押さえる。
押さえた左手から血が滴った。
「……なん、何の術だ!?」
「術を使って腹を探るな。口を使わずにやりとりしていることも知っている」
「!!」
「高貴な浅紫の衣を纏った藤原氏の房前殿が、衛士が持つような大刀を使うものか。金の装飾は必須だ。しかも、飾り紐も色褪せて汚れている。あり得ない」
「くっ……」
真備は刀を持ったまま、まだ呆然として成り行きを見ている麻呂に向かって拱手する。
「参議殿、出過ぎた真似をしていることは重々承知しております。後の処分、たとえいかなるものであっても謹んで受け入れましょう。その代わり、狐達は今ここで処分させていただく」
「?狐だと?」
麻呂が口を開いた。
「!」
地面から槍の穂先が飛び出る。
穂先はそれぞれ玉藻と若藻に向かって飛んでいく。
皇子は玉藻に駆け寄って突き飛ばした。
「イダーッ!?」
「!なぜ庇うのだ、吾を!」
穂先は皇子の左腿に刺さっていた。
「んもー!今度は足か!……ま、そう何度も見たくないだけだ。『姉様』が死ぬところをな」
皇子、腿に刺さった穂先を抜いて言った。
「何故それを!?
「……ぐうぅっ……」
「参議殿!?」
冷静だった真備が叫び声をあげた。
「そっちは何だって!?」
皇子が慌てて麻呂の方を見る。
「主様!!どうして!?」
うずくまる麻呂に向かって若藻が叫ぶ。
麻呂の右腕に穂先が刺さっていた。
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