「ちょっとぉ!厄介な結界陣張ってくれちゃってんじゃないのよぉ~」

 皇子と真備が呼ばれる少し前、麻呂邸の正門の反対側にある小路。

 広足は土塀を見上げて唸った。

 昨夕皇子に言われたどじょう髭は剃られ、頭巾はかぶらず髻もほどき、傷んだ草履に汚れたボロボロの麻の衣を何枚も纏って、顔にも身体にも泥を塗りたくっている。

 鼻のきく狐達には通用しないが、真備と同じく人に自分が一目で誰とわからせないための変装だった。

 広足が目を凝らすと、高さは五メートル程、シャボン玉の膜のような壁が土塀を囲むように立っているのが見える。

「これ、塀を乗り越えたら当然呪師に知らせが行くわよねぇ。下手したら攻撃されるかも……仕方がない、門から行くか!」

 広足は裏門までやってくると、扉をドンドン叩いた。

 返事はない。

「早く出ろおおおおおおお!」

 広足がしつこく扉を叩くと、扉が開いて正門の時と同じように資人の男が顔をのぞかせた。

「!!」

 扉が開いた瞬間、広足は扉に体当たりして扉ごと男を突き飛ばすと、屋敷の中に飛び込んだ。

まし!な……!」

 叫ぼうとする男の胸に素早く手を置く。

 すると、男の身体は電気ショックでも受けたかのように跳ね上がり、その場に倒れた。

 広足はぐったりした男を塀にもたれるように座らせると、男の腰に佩いた横刀を奪い、辺りを見回す。

 左手に畑、右手に板葺屋根の掘立柱建物、敷地は板塀で仕切られている。

「!あちらか!」

 広足は畑の横を駆け抜け、出入り口を抜けて隣の敷地に侵入する。

 次の敷地には、校倉造の倉や藁葺・板葺屋根の建物が密集していた。

 広足は目を凝らして狐達の居場所を探した。

「来たぞー!!」

「もう気付かれたか!」

 男の叫び声が聞こえると同時に、出入り口の方から抜刀した資人の男達が数人駆け寄ってきた。

「いたぞ!……!!」

 広足は横刀を振り上げる男の懐に飛び込むと、素早く胸に手を置く。

 男が意識を失い崩れるように倒れる前に、広足は素早い動きで次の男の懐に入り込み、男達を行動不能にしていった。

「本当に全部人ねぇ。下道に指摘されなきゃうっかり手にかけてたわ」

 広足は男達が全員昏倒したのを確認すると、敷地の奥にある他より大きな建物の方に走りだす。

 建物にたどり着き、妻戸を引くと抵抗なく開いた。

 中の様子をうかがう。

 板敷きの室内に、赤い毛色の狐が十数匹いびきをかいて眠っていた。

「昼は人に警固させて狐達は高鼾たかいびきか。全部彼奴の言うとおりになるとか、ムカつくわね」

 室内に足を二歩ほど踏み入れた広足は、立ち止まって目を凝らした。

「!?いや待て!」

 よく見ると、術で隠され透けて見える小さな斎串が四本、寝ている狐達を囲むようにして刺さっている。

 広足は舌打ちをすると、自分の近い位置にある斎串に向かってフッと息を吹いた。

 息は炎の塊となって飛んでいき、一瞬にして斎串を燃やす。

 パンッと弾けるような音がすると、眠っていたはずの狐達の姿が消え、代わりに資人の男が五人控えていた。

「やらしい罠ね!狐と思って殺したら人殺しになってたわよ!」

 広足は懐に手を入れたその時。

「!?」

 気配を感じた広足は振り返って横刀を構えた。

「残念ですな。人の一人でも斬ってくれると良かったんだが」

 広足の後ろに信太が仁王立ちしていた。

 両腰に大刀を下げている。

「驚きましたよ。昨日の風格あるお姿とは真逆ですな」

ましは潰す!」

「かかれっ!」

 広足が信太に立ち向かおうとした瞬間、室内の男達が後ろから飛びかかった。

「うわぉ!」

 広足は沢山の男に乗っかられて、床に押し付けられてしまった。

「よしよし、そのお方は外従五位下の典薬頭殿だ。丁重に扱って、傷などつけるんじゃないぞ」

「何すんの!いまし達全員吹っ飛ばすわよ!!」

「やれやれ、本気で何とかしなさるのかなぁ若は」

 信太がため息をつく。

 その時、外から微かに真備の琵琶の音が聞こえ始めた。

「!?」

 広足を押さえつけていた男達が、琵琶の音に気をとられて顔を上げる。

「音に気をとられるな!意識をこちらに集中させろ!」

 信太が男達に指示を出した。


「……あら駄目よ!血がいっぱいいっぱい出てるじゃない!!」

「!!……いえ、これも務めですので。媛様はお、お気になさらず」

 広足は困惑しきった顔で答えた。

 雨は二人に容赦なく降り注ぐ。

 今より若く、痩せこけた伺見うかみ(密偵)だった頃の自分と、首親王と結ばれる前の幼い安宿媛。

「大丈夫です、本当に!媛様のお手を煩わせるようなことは!こんなもの、すぐ方術で治せますので!あの!」

 そう言ったつもりだったが、痛みで意識がもうろうとして言葉にならない。

 安宿媛は広足を無理矢理大樹の下に引っ張り込むと、自分の肩にかけていた領巾を血の流れる胴体にぐるぐると巻き付けた。

 媛様の何と悲しそうな顔!

 情けない、自分にもっと方術の才があれば――


「……だぁあ!!」

 広足は首を激しく横に振った。

 昨晩の宴の時も、真備の琵琶の音を聞いて同じことを思い出させられたのだった。

「耳に栓しててもちょっと聞こえてくるじゃない!とことんムカつくわね!」

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