程なくして二人は藤原麻呂邸にたどり着いた。

「……結界陣は張ってあるが問題はない。よし、予定通り正面から行くか」

 皇子がドンドンと正門の扉を叩く。

 暫くすると扉が開き、資人らしき中年の男が姿を現した。

 腰に横刀たち(大刀よりも短い直刀)を佩いている。

「!」

 皇子は目を凝らすと一瞬険しい顔になったが、すぐに柔和な笑顔を見せた。

「人だ。しかし術中にある」

 と小声で後ろの真備に教える。

「!」

「案ずるな。ちゃんと策はあるぞ」

 皇子は真備にそう声を掛けた。

「何用だ!」

 皇子は男に向かって拱手すると、

「吾等、是非ともこの屋敷の主殿に披露したい芸がございます。主殿にお目通りをお願いしたいのですが」

 と笑顔で話し始めた。

 しかし、

「主殿はまし達のような卑しい者共とはお話にならん」

 男は虚ろな顔でそう言って、皇子の話を遮った。

 そして、

「しかも裏門ではなく正門にやってきて戸を叩くとは、物を知らんにも程がある。さっさと帰れ」

 と皇子を突き飛ばし、門を閉めようとした。

「お待ちを!」

 皇子は閉まろうとする扉を素早くがっちり掴んで阻止すると、

「唐の国の文物に理解があると評判の主殿に、是非ともこの者の琵琶の音をお聞かせしたいのです。顔にひどい傷がある故面で隠しておりますが、腕前は唐国仕込みの本物。すぐそこの朱雀門の前で適当に奏でている者達とはわけが違いますよ!一度ビンと絃を弾けば、聡明な主殿なら違いがすぐにお判りになることでしょう」

「胡散臭い祝言人ほかいびと(神を装い戸口に立って祝福の言葉を述べることで金銭を貰う者のこと)め、銭はやらんぞ」

「銭!そう、むしろ渡すのはこちらの方です」

「はぁ?」

 男の言葉に皇子はにやっと口の左端を曲げた。

 そして、腰に下げた小さな黒い革袋(留め金のついたポシェット)から絁の小袋を取り出すと、男の手を取りその手のひらにザラザラと小袋から何かを置いた。

「!?」

 虚ろだった男の目が、急にキラキラと輝きだす。

 手のひらの上で、一センチほどの大きさの砂金が五粒、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

「なんで!?」

 皇子は砂金を小袋にしまうと、呆然とした顔で砂金の行方を見ていた男の手に小袋を握らせた。

「どうしても主殿の前で芸を披露したい。吾等の熱意、ご理解していただけますでしょうか?」

「……だ、騙されんぞ」

「ほぉ?」

「吾の知り合いに典鋳司いもののつかさ(金属の鋳造や金工の製作などを行う官司)の雑工戸ざっこうこ(金属製品の生産を専門に行う人)がおるんだ。だから、くがねとそうでないものの区別ぐらいわかっとる!」

「それは好都合ですね!是非ともこの場で本物か否かをお確かめ下さい」

 皇子は全く笑顔を崩さない。

「……よ、よし!やってみるぞ!いいな、見てろ!!」

 男はあたりを探して片手で持てるほどの大きさの平たい石を持ってくると、地面に置いた。

 その上に砂金を一粒置き、横刀の柄頭でガンと叩く。

「!!」

「ご納得していただけましたか?」

 砂金は少し平たくなっていた。

「本物ならば薄く伸び、偽物ならば砕け散る。そうでしょう?」

「そ、そうだ!よく知ってたな。いまし、物知ってるな」

「もちろんです。本物を扱っているわけですから」

「良いのか!?全部貰って」

「シッ!声が大きいですよ。他の方々に知られたら横取りされてしまうのでは?早くおしまい下さい……おっと、風で飛んでいきますよ!」

 男は慌てて伸ばした砂金を大事そうにつまんで小袋にしまう。

 皇子は男の腕を掴むとにっこり微笑んだ。

「……主殿に会わせて頂けますか?」

「分かった。家令いえのかみ(家の事務を取り仕切る職員)様に知らせる。待っていろ」

 男は何度もうなずいて、扉を開けたまま建物の方に駆けて行った。

 皇子は門を跨いで敷地内に入った。

 何も起こらない。

「扉が開けば入れる仕組みか。便利だな」

 皇子は真備の手を引いて、中に入れてあげた。

「金をお使いになったのですか?本物の?」

 真備が大きな声を出して言った。

「そうだ。こっちで誑かしの術を解けば、かけた呪師に気づかれる。だが、あの男が己の意思で己にかけられた術をはね返せば、吾等のことは気付かれない。どうすればはね返させられるか、わかるか?」

「!」

「流石に分かるか。それはな、欲だ。つまらない術程欲の力に弱い。そして、人の欲をかきたてる時は、絶対にケチってはいけない。浄大弐(天武朝での実質的な諸王第二位)の財力を舐めるなよ。フハハハハ!」

「そろそろこれをつけた方がよろしいですよ」

 真備が布作面ふさくめん(墨で胡人の顔が描かれた白い麻布製の仮面)を差し出す。

「……真備よ、吾等友垣なのだから、こういう時は遠慮なく「そんな嫌味なことを言っては駄目ですよ!」位言っても構わんのだぞ!そうでないと吾、感じの悪い人になってしまう」

「!そうでしたか、吾は実にその通りだと思いましたので」

「何!?吾そんなに感じの悪い人かぁ!?酷いぞ真備!」

 伎楽面の近くで耳を澄ましていた皇子は、真備の両肩を掴んで揺すぶった。

「え!?あ、違います!浄大弐の財力の方で……ぐえぇ!」


「若藻様、件の者達が参りました。琵琶の音を披露したいそうで」

 正殿の居室に入ってきた老齢の家令が、絹の几帳で仕切られた隣の寝室に向かってひざまずくと、そう声を掛けた。

「……真っ昼間じゃない!!誰よ、夜中に襲撃するって言った奴~!!」

 この上なく不機嫌そうな若藻の声が聞こえてくる。

 しばらくすると、几帳に裸体の少女のシルエットが浮かび上がった。

「信太には知らせた?」

「はい」

「昨日の連中か……よし、年寄りの方は生き胆を食おう。若い方は慰み者にしてやる。吾等一族がそうされてきたようにな……ここに案内して!あと朝餉食べるから」

「かしこまりました」

 家令は表情を変えることなく一礼すると、本殿を出て行った。

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