馬上の男女と供回りの男達は、朱雀門の前を過ぎ、二条大路を東に向かって進んでいく。

 女は薄い絹の張られた団扇で顔を隠し楽しそうに何か話しているが、男の方は暗くなってきた中であっても気付けるほどに無気力で、女の話を聞いているのかどうかの判別が難しかった。

「藤原麻呂殿のこと、よくご存じですね。兵部卿にして参議にも任ぜられたとのこと。お会いしたことがあるのですか?」

「面識はない。ただ、調子が良い時はしょっちゅう朝政あさまつりごと(朝、天皇が政務を見ること)を見に行くからな。顔を見たことがあったのだ」

 真備と皇子は前と変わらぬ調子で話をしながら後をつけていく。

「真備はどうして行き先の見当がついたのだ?」

「五日前のことです。たまたま東二坊の大路を通って帰ろうと思ってこの道を進んでおりましたところ、麻呂殿の御屋敷から微かに妖気の柱が立っていることに気づきました。それから毎日帰りに立ち寄ったのですが、変わらず柱が見えるため、明日の休假の日にお伺いしてみようかと思っていた所だったのです」

「麻呂の屋敷といえば流觴亭りゅうしょうてい(東宮(皇太子の居住区域)にある庭園で、皇子が勝手に命名したもの)の真裏ではないか!全然気づかなかったぞ」

 皇子はしまったという顔をして言った。

「しかし真備はよく気がついたなぁ」

「いつも道端にいる雑多な妖厲を駆除しながら帰っております。座ってばかりだと体がなまりますので」

「……余程やりたいようだな、アラガミ退治を」

 皇子は鼻白んだ。

 しばらくすると宮城の大垣が途切れ、一行は高官達が住む大きな邸宅が立ち並ぶ区画にやってきた。

 そして、大路の北側に位置する邸宅のひとつの正門をくぐっていった。

 二人は麻呂邸から少し離れた別の邸宅の角に隠れて様子をうかがう。

「入っていったな。ここが麻呂の屋敷か」

「皇子ご覧になれますか?妖気の柱を」

「もちろんだ。が……あの獣らしき妖気の他に、もう一匹大物がいるようだな」

「はい、主なものは二本です。後はもっと弱くか細いものが十本ほど。朝夕しか確認できておりませんが、か細い方は日によって増減がありました。何匹か代わる代わる出入りしているようです。残念ながら妖狐とまでは気づけませんでしたが……ん!?」

 真備が話をしていると、麻呂邸の方から騒ぎ声がし始めた。

「何かあったか!?」

 正門が開いた。

 すると、浅緋あさあけ色の袍を着た小柄でがっしりした体形の男が、資人とねり(従者)達によって大路に向かって投げだされた。

「!?あの厳ついどじょう髭は……」

「……典薬頭てんやくのかみ(疾病の治療と薬の管理を担当する典薬寮の長官)殿ですね」

 二人は顔を見合わせた。

「何よこの対応!吾だって一応頭なのよ頭!もっと丁重に扱いなさいよ!!」

 地面に転がった典薬頭の韓国連広足からくにのむらじひろたりがそう怒鳴ると、投げられた笏が頭に当たった。

「イテッ!やったわねこのォ!!」

 怒り心頭の広足は起き上がって正門に突進するが、鼻先で門扉は閉められてしまった。

 広足は腹いせに閉められた扉をガンガン足で蹴っていたが、気配に気づいたのか突然ギュッと真備達の方を振り向いた。

「!?……ましは下道真備!!そ・こ・で・な・に・を・している~!!」

「!いえそのたまたまです!失礼いたし……うわっ!」

 真備は思わず踵を返して朱雀大路に向かって走りだそうとした。

 方術の腕前は確かで一目置いているし別段好きでも嫌いではないが、事あるごとに嫌味を言われ続けると流石に滅入る。

 今日は朝から立て続けに失態を繰り返してしまったので、もうこれ以上誰かと絡んで自分の駄目さ加減を晒したくはなかった。

 しかし、広足は年齢と体躯に似合わぬ素早さで真備に駆け寄ると、がっちり肩を掴んで引き倒した。

「わぁ!」

 真備も広足と同じように地面に転がる。

「吾が惨めに地面を舐める様を見て楽しいか!楽しいか!?え!?頭がいいか知らないが、吾を見下すのもたいがいにしろ!!」

「滅相もございません!楽しくもありませんし見下してもおりません!!」

 失態を見られてバツが悪いのか、広足の機嫌はことさら悪い。

 真備の胸ぐらをつかんで、顔を殴ろうと拳を振り上げる。

「おやめください典薬頭様!衆目を集めておりますよ!」

 皇子は広足の手首をつかんで止めつつ、真備から引きはがして言った。

 広足が首を回して辺りを睨みつけると、見物人はあっという間にいなくなる。

 広足は皇子の手を振り払い、

「誰だ汝は!?学生かぁ!?無位の分際で偉そうなことを抜かすんじゃないわよぉ!」

「学生!そう、吾今日から学生になったのだ!掃守宿祢大津という。吾のことは大津と呼べ。よろしくな!」

「ハァ!?……何よ、急に馴れ馴れしいわね!吾が何で学生ごt……き……」

 広足は会話を途中で止めた。

 そして、陸に上がった鮒のように口をパクパクさせ始めた。

「……あ……あ……の……」

「何だどうした!毒でも飲まされたのか!?」

 皇子が驚いて声を掛ける。

 皇子は麻呂邸の狐よりも変化の術が数段上手く、見鬼が少し目を凝らした程度では正体を暴くことなど不可能だ。

 だが、自分や典薬頭殿のように本来の姿を見知っているものなら、しばらく観察すれば正体に気づけるだろう。

 きっと自分と同じ過程を経て今、気づいたのだと真備は冷静に分析した。

「!!」

 今度は広足が急に踵を返した。

 返すと、二条大路を東に向かって一目散に逃げだした。

「逃すか!!」

 全力で走る広足の足は速い。

 皇子も全速力で広足を追いかける。

「ひっ……ひ――!!こっち来る!!……ぎゃっ!!」

 ドスッ!

 皇子はあっという間に広足に追いつくと、その体にタックルした。

 ズザザザザ――ッ!

 広足は地面に頭から突っ込み、皇子も地面に倒れ込む。

「どうだ!方術以外の方法で捕まるとは思わなかっただろう!この吾から逃げられると思うなよ!」

 皇子が起き上がって勝ち誇った。

「そっ!……みっ、ごっ、ご機嫌麗しく……あ、笏がない」

「大津殿!?ご無事ですか……典薬頭殿も」

 真備も全速力で走ったが、今になってやっと追いつく。

 上手いこと受け身を取って倒れたのか、それとも方術の守りによるものか、二人とも地面に突っ込んだわりに派手な怪我はしていなかった。

 真備は広足に拾った笏を差し出した。

 広足は息を整えると、差し出された笏をぶん捕り、

「……今日はどういった気まぐれでこちらへ?」

 恐る恐る皇子に質問した。

「気まぐれではない。たまたま妖孼を見かけたので後を追ったまでだ。いましこそ何を……いや、愚問だな」

 皇子は口の左端を曲げてにやりとした。

「一枚噛ませろ」

「!?」

「!あっあっあの、是非吾も協力させて下さい!」

「えぇ!?何なのよもう!」

「汝が直々に足を向けたってことは、どうせ安宿あすかべ(光明皇后)に頼まれたのだろう。で、麻呂を説得しようとして体よく追い払われた、と」

 皇子は広足の肩を抱くと、その肩を揺すって小声で言った。

「心を読まなくとも分かっているぞ。安宿が汝の吉祥天であることを」

「な!?そ、そのような無礼なこと、あ、ありません!」

 あたりは大分暗くなったが、真備には広足の顔が赤くなったのがよく分かった。

 分かったので、即顔を背けた。

「失敗したくないだろう?私的な依頼なら典薬寮の手の者は使えまい。代わりに吾等と手を組まないか?吾は無礼を働いた狐に目にもの見せてやりたいし、真備は駆除できないかずっと狙っていたのだ。どうだ?」

「う……しかし……」

「褒美は要求しない。真備はどうだ?」

 真備は首を戻して、

「協力させていただけるなら、報酬などいりません。ちなみに先程の銭の件は長安での話でして」

「わかった!わかりました!じゃあ、よろしくお願いいたします!!」

 広足は真備の説明を遮り、観念して受け入れた。

「じゃ、具体的にどうするか相談せねばな」

 皇子は立ち上がると衣についた砂を払いながら言った。

「相談?やはり日を改めましょう。もう真っ暗です」

「嫌よ!吾今晩中には片付けたいんだから!」

「晩は無理ですよ。これだけ騒ぎを起こしてしまったのですから、敵も十分警戒しているはずです」

「じゃあどうするのよ!?吾はさっさと片付けて、媛に毛皮を献上したいのにー!」

 広足は立ち上がると、イラついて真備を蹴飛ばそうとする。

「いつ襲撃するかも含めて、まずは軍議をすべきだ」

「!軍議!?……い、いいですね!軍議!やりましょう!」

 真備は軍議という言葉に心が動いた。

いまし急に乗り気になったわね」

「では真備の家で軍議ということで」

「!典薬頭殿もですか!?それはちょっと」

「何で吾が下っ端役人の狭くてきったない家に行かないといけないのよ!」

 広足は吐き捨てるように言った。

「じゃあ、広足の家にするか」

「滅相もございません!」

「!……お静かに。こちらを窺っているモノがおります」

 真備が声をひそめて二人を制した。

「!?」

 麻呂邸の方を見たが、人影は見えない。

 しかし、三人は確かに気配を感じ取った。

「……いるわね。狐かしら」

「そうだと思います」

「……宮城に戻ろう」

「?戻ってどうなさるんです?」

「もちろん、軍議だ」

「これから?」

「これから!」

「はっはーん。分かりました。軍議という名の宴ですな」

「え!?宴!!吾もう帰らせて下さい!失礼いたしあ……!?」

 真備は慌てて逃げるようにその場を去ろうとしたが、皇子にがっしり腕を掴まれてしまった。

「駄目だ!」

「もうお許しください、お願いいたします!」

 真備は涙目になって訴えた。

「なんだ、また泣いているのか?……うーん。ま、吾としては一人で飲むんじゃなかったら、広足だけでもいいんだが」

「!?お待ちを!吾等仇敵の間柄ですぞ!!どうして二人きりで酒など飲み交わせましょうか!」

 今度は広足が慌てた。

「吾は広足に恨みなどないぞ」

「大君の敵は官吏の敵です!」

「もう、細かいこと言うな!二人とも行くぞほら!」

 皇子は広足の腕もつかんで、二人を引き摺って歩き始めた。

「嫌です!帰らせて下さい!吾、これ以上醜態を晒すわけにはいかないのです!」

「大丈夫大丈夫。汝が酔っぱらったら、吾がやさしーく介抱してあげるよ」

「後で酔い覚ましくれてやるから、汝もつき合いなさいよ!帰ったら承知しないからね!!」

「ひ~!!」

 と騒ぎながら、三人は二条大路から姿を消した。

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