十二

 時は戌の初刻(午後七時)を過ぎ、辺りは真っ暗になっていた。

 真備が立ち入った門の扉がひとりでに開いた。

「おい、門が開いたぞ!」

 学生の一人の叫び声と共に、玄昉と得業生、学生達が園内になだれ込んできた。

「真備!真備生きてるか!?真備ぃー!」

 玄昉は必死の形相で叫びながら辺りを駆けまわる。

「いらっしゃいましたよ!あそこ!」

 得業生が指差した先には、皇子が流觴亭と呼んだ建物があった。

「!!」

 廂の板間の上に、灯明が一つだけ灯されている。

 真備はそのそばに寝かされていた。

「真備!」

 玄昉は廂の欄干を乗り越え、真備の下に駆け寄る。

「真備、真備大丈夫か?生きてるか!?」

 玄昉が真備を揺さぶる。

「……駄目だ……勾陳を何とかしないと……友垣となったのなら尚更……」

 今までのほわほわっとした顔に戻った真備は、薄目を開けてうなされているかのようにつぶやいた。

「!?生きてはいるが……どうした!?大丈夫か、何があった!?」

「う……き、き、気持ち悪……」

 青い顔の真備は少し体を起こすと、玄昉の胸元でえずき始めた。

 玄昉は自分が纏っていた袈裟で受け止め、むせる真備の背中をさする。

「どうした!?毒でも盛られたのか!いや違うな、酒か!」

「す、空きっ腹に酒を入れたので……すいません……」

 真備はぐったりしてまた倒れ込む。

「戦ってたんじゃないのか!?」

「うわ!コレ凄い宝物じゃない!?キラキラしてる」

 真備の様子を見ていた学生の一人が、真備のそばに置かれていた五弦の琵琶を指さす。

 螺鈿の琵琶は灯明の光を受けて、仄かに輝いていた。

「!?これが盗まれた宝物か!?退治したのか真備!」

「……退治できませんでした」

「!ではこの琵琶は!?」

「皇子が……返す代わりに、吾と麗しき友になれと」

「!!!!」

 その場にいた一同は皆のけぞった。

 『麗しい』とは確かに親密な仲のことではあるが、この場合は男性同士の同性愛的な親密さのことを指す。

「……で、う、受けたのか!?その申し出を!」

 動揺した玄昉が恐る恐る聞く。

「……いきなり親友となるのは時期尚早なので、まずは普通の友垣になりましょう、と……」

 真備はそう言うと、再び意識失くしてぐったりした。

 一同は安堵のため息をついた。

「そ……それは良かった……上手く回避したな。色恋事情の無知さ加減が逆に命を救ったぞ」

「当座しのぎじゃないのぉ?」

 後からやってきた広足が呆れた顔で横槍を入れた。

「皆、死にたくなかったらここで迂闊なこと口にするんじゃないわよ。あのお方、全部聞いてんだからねぇ」

「ヒエ――――!!」

 広足の言葉にその場の全員がおののく。

 広足は廂に上がると床に置かれた琵琶と撥、そして黒作大刀を手に取り、

「典薬寮を使っていいわよ。今晩はあそこで寝かせて、朝になったら家に帰して。内蔵頭殿には吾の方から報告しておく」

「汝の手柄にするんじゃないだろうな!?」

 玄昉が不満そうに言うと、

「愚かしいにも程があるわ」

「!」

 広足は玄昉の方を見もせずに廂から飛び降りると、

「まさか気に入られるとはねぇー。これはもしかしたら……流れを変えられるかもしれないわね。早速媛にご報告せねば」

 と呟きながら門を出て行った。


 その後。

 真備は程なくして正六位下と異例の十階級特進をするが、五弦の琵琶奪回の功が影響しているかどうかは分からなかった。

 同時に大学助に任官し、ずっと望んでいた大学寮で後進の育成のため働くことができるようになったのだった。

 真備は早速大学改革を推し進めると同時に、自らも学生達の前で紀伝(中国史)の講義を行うことになる。

 真備の講義は評判を呼び、後には講義を受けるべき学生以外の者も見物に来る盛況ぶりとなった。

 真備は己の話を熱心に聞く学生達を見て目を細める。

「……いずれこの国も歴史を積み重ねれば、過去の出来事が人々の訓戒となりましょうか?」

 自分の目の前に座って話を聞いていた学生が、真備に質問した。

「もちろんです。この国が歴史を残すことができるまでに発展したのは……え?」

 質問した学生は、学生にしては少し年が行っているような気もするが、背も高く利発そうな顔立ちで、自分に向ける熱い眼差しはまるで若い頃の仲麻呂にそっくりだなと懐かしく

「!!!!」

 座っていた真備は思わず飛び上がって後ずさった。

「!?」

 学生達は真備の突然の奇抜な行動に驚いて場がざわつく。

「な!……な……な!!」

 黄の袍を着た黒髪の学生は、確かに皇子の貌をして微笑んでいた。

「ど、ど、どどどうしてここに!?」

 皇子は真備が飛び上がった拍子に床の上に散らばった木簡や典籍を拾いながら真備に近づいて、

「静かに!いやぁ吾、生きていた頃から一度大学に通ってみたかったのだ。これからよろしくな」

 と、耳元で囁いた。

「え?えぇ!?」

「……鼠はもうどこかに行ってしまいましたよ。鼠がお嫌いなんですね!博士」

 皇子の言葉に、学生達は何だ鼠か、とどっと笑った。

 真備は驚きすぎた衝撃で、その場を動くことができない。

 真備と皇子の長い付き合いが始まったのだった。

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