新益京のあった場所に今も残る薬師寺に二人が到着したのは、太陽が高く上る午の初刻(午前十一時)になるかならないかの時だった。

 玄昉の交渉の結果、真備は境内に入ることを許可された。

 広い境内にそびえ立つ印象的な東西の五重塔は、京師にあるものとほとんど同じだ。

 真備達と変わらない年齢に見える僧侶が一人付き添い、何か玄昉に説明している。

「ここにある菩薩像が、皇子を模して作られていると言われておるそうだ!それを見れば式占の精度も上がるだろう」

「はぁ」

 二人は講堂に案内された。

「行基という男は、若い頃本当にここで毎朝読経をあげていたそうだ。吾等が見た厲鬼はその声を聞いていたのであろうな」

 真備が中に入ると、大小様々な種類の仏像が並ぶ中、中央に金色に美しく輝く聖観世音菩薩の立像が安置されていた。

「おぉ……」

 菩薩像の前に座った真備は思わず手を合わせた。

 菩薩の身長は人間とさほど変わらない高さに見える。

 皇子もこれ位の背格好だったのだろうか、と真備は思った。

「やはり似ているらしいぞ、皇子に」

 真備の傍らに座った玄昉が真備に教える。

「このような御顔なのですか?」

「これが狀貌魁梧じょうぼうかいご(すがたかたちが大きく立派であること)と言えるのか、愚僧には分からん。が、体つきはけしからんくらい婀娜あだやかだ。ここの僧伽達はよく毎日我慢して読経できるな。いや、そういう修錬か?」

「はぁ」

「真備!真に受けた顔をされると吾が淫奔に思われるではないか!笑って「冗談よして下さいよ~」くらい言ってくれ!冗談なんだから!」

「!?冗談なんですか?申し訳ありません」

 玄昉は真備の腰から背中にかけて撫で上げた。

「うひゃっ!」

 真備は不意を喰らって変な声が出た。

「びっくりした……冗談はよして下さいよ……」

「まったく!この年になっても尾籠な話(下ネタ)が通じんとは、国中の僧伽に見習わせたいぐらい清らかな心身だ!仲麻呂は長安で何も教えなかったのか!?」

「仲麻呂に飛び火してしまった……」

 腰が砕けたようにその場に崩れる真備を見て、玄昉はため息をついた。


 真備と玄昉が講堂を出ると、僧侶が待っていた。

「お参りはお済みですか」

「ありがとうございます、参考になりました。で、大津皇子のことでひとつお伺いしたいことがあるのですが」

「それは……こちらでは分かりかねます」

「本当ですか?」

「はい」

「でも、拝見させて頂いた観音像は、皇子を模して作られたと言われているのですよね?」

「そういう噂はございますが、あの仏像について真実をお教えすることはできかねます」

「なぜです?」

「秘中の秘とされておりますので」

「謀反人を慰霊することは朝廷の意に反するから、ですか?」

「……他に質問がないのでしたら、お引き取り頂きたく」

 僧侶は顔色一つ変えずに対応する。

 二人は顔を見合わせた。

「……あの、吾等が十八年前に宮城で見た厲鬼、多分皇子だと思うのですが……皆が言うような恐ろしい存在ではなかったと思うのです。吾に笑いかけたような……それがずっと気になっておりまして。貴僧はどうしてだと思われますか?」

「!?」

「そうだなぁ、取って食うというより嬉しそうにニヤニヤしていた印象だったなぁ」

「!!それは誠ですか!?」

 僧侶は二人に詰め寄った。

「貴僧はご存じなかったのか?昨年も大きななゐの後……」

 玄昉は行基の話をした。

「おぉ……あの、おいたわしいお身の上の皇子が、今安らかに過ごしておられると!?しかも僧行基をお助けになられたと……それは素晴らしい事です!」

 僧侶は手を合わせた。

「!?」

「きっと御仏の御慈悲と五十年という長きにわたる僧伽達の鎮魂の念が、皇子の御心に届いたのでありましょう!素晴らしい……ここで修行をした僧行基も、皇子の鎮魂を願う一人でありました……」

「……慈悲と鎮魂の念が御心に届いたから、皇子は安らかになったと?」

「はい……」

 僧侶は涙ぐんでいた。

「そうかな……安らぐ……かな?」

「何だって?真備」

「あ、いえ。それより、今行基殿はどちらに居られるかご存知ですか?」

 真備が聞くと、僧侶は首を横に振った。

「残念だな。僧行基から厲鬼の話を聞くことができればより確実だったのだが」

「玄昉ど……あの、時間がもうありません。門が閉まるまでに帰らないと」

 真備は玄昉の袖を引いた。

「お二方、朝餉はもう召し上がられましたか?朝早くに京師を出立なさったのならお食べになられていないのでは。もしよろしければ、こちらでご用意いたします」

「あ、いえ……もう帰らないといけませんわわっ!」

 玄昉は真備を軽く突き飛ばした。

「そう言えばまだでした!」

「!駄目ですよ玄昉殿!」

「げ・ん・ぼ・う!!」

「お二方のおかげで有難いお話を聞くことができました。少しばかりの礼をさせていただきたく思います」

「喜んで!」

「ちょっと!」

 慌てる真備をよそに、玄昉と僧侶はお互い手を合わせて礼をした。

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