七
翌朝。
包みを手にした真備は、平城宮にある宮城門のひとつ、壬生門の前までやってきた。
他の官人達に混じって門を潜ろうとすると、
「真備!下道真備!」
と呼び止められた。
「あー……お久しぶりです、玄昉殿」
振り返ると、綺麗に髭と髪を剃り上げ、麻でできた法衣をきちんと身につけた僧玄昉が駆け寄ってきた。
「とうとう
玄昉は満面の笑みでバンバン真備の両肩を叩いたが、真備が笑顔を見せていないことに気づき、
「おやどうした、浮かない顔だな。気に入らなかったのか?何階上がったんだ?」
「叙位の話はまだです」
「何とぉ!?ではなぜここに?」
「昨日内蔵頭殿に召し出されまして。勅を受けました」
「う!!……あれか!?
「玄昉殿!声が大きいですよ……そうです、昨日受けました」
「そうかそうか、汝の所に行ったか。そうかそうか……あ――悪かった!!悪いことをした!!申し訳ない!!」
玄昉は真備の言葉を遮り、その場で平伏しようとした。
「うわぁ!」
周りの注目を浴びる中、慌てて真備は地面に頭を打ちつけようとする玄昉を引っ張って、門の陰に隠れた。
「いや、ちゃんと謝罪させてくれ!これは愚僧が悪かった!まさか博士である汝の所に物騒な勅が回るとは思ってもみなかった!すまん!」
「声を押さえて下さい、皆さん注目しています!……それに、仲麻呂がいない今、この件は吾が適任だと思います。玄昉殿が謝る事じゃありませんよ」
「そ……そうか……気遣いありがとう。しかし、びっくりしたな……汝に回ると分かっていたなら、もっと上手に言い逃れをすればよかった……」
玄昉はまだ興奮がおさまらないのか、袖で額の汗をぬぐった。
「で、おおよその見当はついたのか?」
「宮城にいる皆さんが怖がるので……」
真備は耳打ちした。
「おぉ。よく分かったな」
「ご存知でしたか」
「寺に帰って話をしたら皆教えてくれたよ。今も大君の首を狙っているらしいじゃないか。内裏は毎晩祈祷や読経の声が響き渡っているそうだぞ。大君の御心が弱くなるのもわかる」
「は?」
「何その反応。調べてたのと違うの?」
「いえ、それで少し混乱しておりまして。あの……思い出したくはないのですが、十八年前唐へ渡る前、皆で大君にまみえた時にその鬼を見ました。吾はあれじゃないかと推測しているのですが」
「えぇ?」
「仲麻呂は玄昉殿も見ていると言っておりましたよ」
「!!……うーん、あれ、かぁ……あれが厲鬼になった皇子だったのか。真備は顔を覚えているか?」
「人がいるという雰囲気しかわかりませんでした……」
「吾もだ。顔の作りなど分かりようもない。仲麻呂がおれば……いや、それは言ってはならんことだな。すまん、忘れてくれ」
「はぁ」
「厲鬼、厲鬼、厲鬼……そういえば、寺の誰かが何か言っていたような」
玄昉は腕を組んでしばらく考え込んでいたが、
「おっ!思い出したぞ!よし、早速行こう」
「どこへですか?玄昉殿は何かお役目があったのでは?」
「吾のことはいい。行くのは薬師寺だ!行基という老僧は、出奔する前に薬師寺で修行していたはずだ」
「行基?」
薬師寺は、壬生門から歩いて三十分ほどかかる距離にあった。
二人は二条大路を宮城の塀沿いに歩いて、西一坊大路を南に進むというルートを歩いていた。
どちらも多くの人が行きかう広い道だ。
真備は昨日手に入れた情報を話し、玄昉は行基という僧侶の話をした。
――昨年(七三四年)、畿内を大きな地震が襲った。
その直後から娘の阿部内親王が胸を病んで寝込んだので、大君は行基の法力を見込んで召し出し治療させようとした。
行基が求めに応じ内親王のそばで読経を行うと、厲鬼の群れが現れて内親王と行基に襲い掛かってきた。
行基は死を覚悟したが、その時群れとは別の厲鬼が現れて行基を救ったとのことだった。
「……助けた理由が、昔行基殿が毎朝その者のために読経をあげていたから、ですか」
「しかも助けた厲鬼は、古い形の朝服を着た若い男であったらしい。
「内親王と行基殿を殺そうとした厲鬼を追い払った厲鬼……」
「世にも珍しい鬼同士の縄張り争いだな」
「行基殿に会うことができれば、その厲鬼のことを詳しく教えてもらえますかね」
「行基という男は様々な場所で布施を行っているらしく、取り巻きでも居場所を知らないらしい。しかし、古巣の薬師寺に行けば何か手掛かりがつかめるかもしれない」
「そういうことだったのですね。やっと薬師寺に行く意味が分かりましたよ」
「それにしても、僧正の位が欲しいと言えばポンともらえたろうに、行基という僧は欲のない!吾ならもっとうまくやるぞ。吾は妖厲退治よりこういう勅が欲しいのだ!」
玄昉は悔しそうに頭を掻いた。
薬師寺に到着すると、玄昉は真備を南門で待たせ、自分だけ先に境内に入っていった。
「え!?」
真備は声を出して驚いた。
玄昉は馬を一頭引いて戻ってきたのだった。
「すまぬ、行基は新益の京の方の薬師寺にいたそうだ。ここにいる僧で面識のあるものはいないと」
「その馬は何ですか!?」
「あぁ、急ぎの用だと言ったら貸してくれた。二人で乗っていこう。新益の方までかなりの距離がある。行って帰ってくるだけで日が暮れてしまうぞ」
「いいですよそんな!吾等馬に乗って移動できる身分じゃ」
「真備」
「はぁ」
「そんなことはない、そんなことはないぞ!吾等がやってきたことは。もっと胸を張って堂々としていいんだ!」
「はぁ」
「だから乗って。そして御して。吾できないから」
新益の薬師寺へは、平城京の羅城門を出て下ツ道と呼ばれる官道を真っ直ぐ南に進み、約二十キロの位置にある。
晴れた空の下、二人を乗せた馬は歩くよりは少し早い程度のスピードで進んでいた。
アップダウンのほとんどない平地が続く。
辺りは田圃が広がり、植えられた稲は青々とした葉を風に揺らせていた。
「……真備よ」
玄昉は後ろで手綱を取る真備に声を掛けた。
「あぁ、お目覚めでしたか」
「人に御させて寝たりなどしない!真備よ、これからは吾のことも仲麻呂のように敬称略で玄昉と呼んでくれ。汝は吾より年上なのだし遠慮は不要だ」
「……善処します」
「善処!?いいか、吾等が苦労して唐へ行ったのは、家格という障壁を蹴り飛ばし中央で貴族達よりも活躍するためだ。唐より生きて戻った吾等の間に上下などもうない!」
「はぁ」
「大体汝とて朝臣の
「吾は父の下で暮らしたことがありませんので実感が全くありません。それに、朝臣の姓を持っていても、父は衛士でしかありませんでしたから、やっぱり下っ端官人ですよ」
「だから!それを打ち破るために荒波を超えてきたんじゃないか!」
ヒヒーッ!
大声を出した玄昉に驚き、馬が立ち上がりそうになった。
「わっ!興奮しないで下さい!背で暴れたら馬が嫌がります!」
玄昉は慌てて真備にしがみつき、真備は手綱を引いて馬をなだめた。
「すまぬ……馬には何度も乗ったのだがな……」
玄昉は素直に詫びた。
「いえ……吾も博士らしく冷静沈着にいたいと思うのですが、時々ぼろが出てしまいます。すぐに己が思い描くような姿にはなれませんよ」
「焦りは禁物、か……」
玄昉は残念そうにつぶやいた。
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