「へーぇ、勅命をねぇ。ふーん……」

 さも面倒くさいという顔をした韓国連からくにのむらじひろたりは、真備を上から下まで舐めるように見て言った。

 典薬寮の長官である広足は、浅緋色の袍を着た小柄な老齢の男であったが、襟からのぞく首は太く、現在も怠ることなく鍛錬を続けていることがうかがえた。

 宮内省の敷地の中にある典薬寮にやってきた真備は、朝堂から典薬寮へ戻り自席で雑用を片付けていた広足と運良く面会することができ、事情を説明したのだった。

 取り次いでくれた真備と同じ色の袍を着た男から「典薬頭が話を聞く」と言われた時は、好意的に接してくれるかもしれないと期待したが、陰陽寮に行った時と同じような対応に、内心残念に思った。

 だが、真備は不満を顔に出したり、ましてや口にしたりはしない。

 新しい知識を仕入れただけの、自分より若く位も低い、何しろ実力がさっぱり分からない男に面子を潰されたのだから、彼等としては当然の反応なのだ。

 しかし――

 広足はため息を一つつくと、振り返って席の後ろの棚厨子(オープンラックのこと)に並べられた荒筥あらばこ(葛の茎で編んだ箱)の一つを手に取り、机の上に置いた。

 筥から細長い綾衣の袋を取り出す。

 袋の中には筮竹の束が入っていた。

 そして、真備の顔を見ながらジャッジャッと占いだしたのだ。

 筮竹をより分けては机の上に並べ、真備の顔を見ては筮竹をより分ける。

 占いが終わったのか広足は手を止めると、ふぃーっと筮竹が吹き飛ぶのではないかというほど大きなため息をついた。

「あらあら!まー、吾ももう年も年だし、出世したいとか思わないんだけどねぇー。へーそうなるのかぁー。ふーん」

 と真備の顔を見て言う。

「!?」

 この人は無断で、しかも目の前で勝手に初対面の真備のことを占っている。

 真備は流石に唖然として、何なのだこの人は、と思った。

 思ったものの、例え好ましくない行動をとる相手であっても侮ってはいけない、どの人にも尊敬に値する点、学ぶべき点はあるのだ、と自分を諭して我慢する。

 そういえば、内蔵頭はいかにも『たいじょう』といった風情だったが、この韓国広足という男は太常のふりをして本性を隠している別の何かに感じられた。

 真備は広足を凝視して、どんな才を持っているか、その霊能を探った。

「……ちなみに下道の、今何占ったか分かる?」

「!」

 広足は筮竹を片付けながら真備に聞いた。

「……吾の将来ですか」

「あらー分かったぁー?まー、見てたら分かるわよね。大君から勅を受けるくらいだもんねぇー。で、結果も分かった?」

「興味ありません」

「まことにぃー!?無欲なフリしちゃって!」

「フリ!?吾はただ、己の身の丈に合った務めを望んでいるだけです」

 己の能力を超え仲麻呂の分まで勤仕しよう、という欲があることまで典薬頭が易占で理解したとしたら、かなりの腕前だ。

 真備は感服した。

「吾のことは良いのです。大君を苦しめる幽鬼について、何かご存知なら教えて頂きたい。皆から恐れられる理由も」

「あれあれ、「吾のことは良い」だなんて、偉そうに言ってくれるじゃないのぉー!」

「!」

 広足はニヤニヤしながら、

「易占気に入らなかったぁ?でもね、いましだってこっちのこと値踏みしてたんじゃないのぉ?吾のこと黙って探っていたようだけど」

「申し訳ありません、出過ぎた発言でした」

 真備は素直に頭を下げた。

「汝、悔しくないの?平然と分かりませんとか言って。わざわざ死ぬ思いして唐まで行ってきて修学したっていうのにさぁー」

「分からないことを隠して誤魔化す方が、後々問題が大きくなります。勅ですから、尚更自分の見栄で過ちを犯すことはできません。典薬頭殿、どうか若輩の吾に何卒お力添えを願いたい」

 真備はそう言って、黒革の腰帯に刺した笏を持って丁寧に揖をした。

「!?」

「……あの、お話し中申し訳ないのですが……」

 先程取り次いでくれた男がおずおずとやってきて、広足に耳打ちした。

「何!?どの参議殿よ?」

「……急がれるということで……」

「わーかったわかった、今すぐ行くと伝えて」

 広足は面倒くさそうな顔で肩を回して立ち上がり、席を離れようとした。

「お待ちを!あの!」

「まー、唐でも指折りの知識人だと絶賛されたっていう汝なら、吾如きの戯言なんて必要ないと思うけどねぇ!ま、せいぜい頑張って」

 そう言うと広足は真備の手を取って、手の中に何か握らせた。

「……ご立派に髭なんて整えちゃってるもんだから、ちょっとつつけばすぐ激高するかと思ったんだけどねぇー。自尊心が低すぎなんだよ、本当に長安へ行ったのか?……」

 広足は真備に聞こえるか聞こえないか位の小声で呟きながら建物を出ていった。

 ――とうだ。

 真備は直感した。

 豪火というよりもちょろちょろとした小さな火でわざと煽って、こちらの足元を掬おうとしていたのかもしれない。

 真備はため息をつくと、手を開いて広足が自分に握らせたものを見た。

 木簡の削り屑だ。

「!!」

 その削屑には『大津皇子』と書かれていた。

 真備は南門の階段に座る幽鬼のことを思い出す。

「そうか!あれはただの幽鬼ではなく、れいだったのか……でも、なんでいるんだ?」


 真備は典薬寮から移動して、どこか人気のない、式盤を置いて集中して厲鬼を探せそうな場所を求めて歩いた。

 任官していない真備にはまだ自分の席がなかった。

 厲鬼とは、中国で元々祭ってくれる子孫がいないために彷徨う霊のことを言ったが、時が経つにつれて、若くして無念の死を遂げた英雄、例えば項羽や霍去病といった将軍達のことを差すようになった。

 そして厲鬼は他の伝承と入り混じり、いつしか疫病をもたらす悪神とも言われるようになっていく。

 人々が抱く思いと神の存在は密接に関係する。

 中国や朝鮮半島との交流の中で、文物だけでなく民間伝承といったものも流入したとするなら、日本にも厲鬼がいるという発想が生まれてもおかしくはなかった。

「無実の罪を着せられて死んだ悲劇の皇子、と世間で噂される大津皇子なら、安寧を得られず厲鬼になってもおかしくはない……が、何か引っかかるな」

 真備は厲鬼について考えつつ、ゆっくり歩きながら辺りを見て回る。

「ここがいいかもしれない」

 朝集殿は朝堂の南に隣接しており、朝集まった官人達が朝堂の門が開くまで身支度しつつ待機する建物だった。

 真備は朝集殿の石段に腰掛けた。

 包みを解いて式盤を取り出すと、基壇の床の上に置き、式盤の中央に匙を設置する。

 腕を組んでしばらく考え、

「青龍だな」

 真備はつぶやいた。

 青龍とは有名な四神のひとつだが、十二天将にも含まれている。

 十二天将とは、六壬神課という占術で用いられる、物事の内容などを象徴的に表した存在である。

 先に登場した太常は王の旗を持つ官人の姿で忍耐や怠惰を象徴し、騰蛇は炎を纏って飛ぶ蛇で心配事や不満、卑屈さの象徴だ。

 青龍は名前そのまま青く輝く龍の姿で、権力や豊かさ、貴人を象徴する。

 悲劇の皇子にぴったり当てはまるのではないか、と真備は思った。

 真備には人の性格を十二天将に当てはめて考える癖があった。

 勿論性格をたった十二に分類するのは荒すぎる考えだが、占いで人探しをするときもそうすることで、漠然とどういった性格と考えるよりも頭の中でより明確にその人をイメージでき、的中率は上がる傾向にあった。

 真備は目を閉じ、両手を匙にかざす。

「……」

 しかし、匙はピクリとも動かなかった。

「!……これは……学生の皆には見せられないなぁ」

 目を開けて確認すると、苦笑して顎髭をしごいた。

「匙が木製だから駄目だったという訳ではないはずだ。もっと詳しく知る必要があるということか?こういう時の勘が外れたことはあまりないのだが……」

 真備はいくら待っても動かない匙をしばらく見つめて考えていたが、

「……図書寮に行かせてもらうか」

 少し嬉しそうな声を出した。

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