きまぐれレストラン
林檎
きのこと鶏肉のシチューとアップルパイ
深夜に路地裏へ入ってはいけない。
悪い魔女に連れ去られてしまうから。
そう最初に言い出したのは誰だったんだろう?
「今日も疲れた……」
秋の気配が近いのか最近涼しくなってきた。半袖のブラウスでは肌寒く感じる。
「早く帰ろう……」
深夜のオフィス街を私は歩く。今日も終電を逃すほどの業務を上司に押し付けられ、帰るのが遅くなってしまった。
私が働く会社は所謂ブラック企業で、退職者が多くて人の入れ替わりが激しい。そんな中、働くくらいなら辞めればいいのにとよく言われるが辞めたところで次の職を探すのは面倒くさい。その結果、私は今の職場にだらだらと残ってしまっていた。
「お腹空いたなあ……」
何も食べていないから空腹で歩くのも億劫になる。
「……ん?」
ふと、ある路地裏に灯りが見えた。何だろうと思って近づくも私は足を止め、腕時計を確認するもうすぐ深夜の1時になるところだった。
「悪い魔女に連れ去られてしまう……」
そんなことを学生の時に聞いた。
午前0時を過ぎた深夜の路地裏に入ってはいけない。悪い魔女に連れ去られてしまうから。
ただの噂だと思っていたけど同じ学科の子が深夜の路地裏に入ってから行方不明になったと聞いたことがある。でも――。
「少しだけなら……」
私は路地裏に足を踏み入れた。灯りに向かって歩くと店が見えた。灯りにレトロな喫茶店のようなドアが照らされている。
「食事処きまぐれ……?」
看板にはそう書かれてあった。ドアには営業中の札がかかっている。
「こんな深夜にもやってるんだ……」
お腹も空いたし、何か食べて帰ろう。
私はドアを開けた。からんからんと音が鳴る。
「あら。いらっしゃい。久しぶりのお客さんね」
ホールに入った私を迎えたのは色白で黒いショートカット、サファイアのような青い瞳をした女の人だった。パフスリーブの青いブラウスの下はレモンイエローのロングスカートだった。
「このお店を見つけてくれて嬉しいわ。みんな、この子を席へ案内して」
店員の女性が手を叩くと7人の従業員が出てきた。皆それぞれ小柄な男性だった。黒い帽子を被っている。
「荷物をお預かりします」
「どうぞこちらへお座りください」
「水をお持ちしました」
次々に言われ、私は指示された席へ座る。
「あの。メニューは――」
「メニューはないの。その時の気まぐれで料理を出すから少し待っててね。貴方たち、私を手伝って!」
女の人がぱんぱん、と手を叩くと7人の小柄な男性はキッチンへと消えて行った。出された水を飲みながら私は料理が出てくるのを待つ。
「お待たせしました。きのこと鶏肉のクリームシチューです」
しばらく経ってから湯気を立てるシチューとバゲットが運ばれてきた。
「美味しそう……」
思わず言葉が口をついて出る。
「美味しいですよ? 白雪さんの料理は素晴らしいですから」
シチューを持ってきた従業員の小柄な男性はにっこりと微笑む。
「白雪さんって言うんだ……」
キッチンに立つ女性はぺこりと軽く頭を下げた。
「冷めないうちにお召し上がりください。ごゆっくり」
店員は去って行った。
「いただきます」
私はスプーンでシチューを掬って口へと運んだ。
「あったかい……。美味しい……」
きのこと鶏肉の旨味が牛乳に溶け込み、深くて優しい味がする。
「誰かが作る温かいご飯を食べたの、いつぶりだろう……」
毎日帰りが遅く、夕飯はコンビニで買ったものを食べていた。自炊する元気はなかった。
「美味しいなあ……」
ぽろっ、と涙が溢れた。
「あれ……?」
涙は止まることなく流れ続ける。
「どうされました?」
デザートのアップルパイを手にした白雪さんが目の前に立っていた。
「こ、これは……」
「お口に合いませんでしたか?」
「い、いえ。そんなことないです。美味しいです、凄く」
「そうですか。それは良かったです」
安心したように白雪さんは笑い、シナモンの香りが漂うアップルパイをテーブルに置いた。
「後で紅茶もお持ちしますね。……ところで、なぜ泣いていたのですか?」
「実は……」
私は仕事が辛いことを白雪さんに話した。上司にいつも仕事を押し付けられて疲弊していると。彼女は黙って私の話を聞いている。
「それは大変でしたね。このままでは貴女の身体が心配です。どうすれば……あ」
白雪さんは何かを思いついたように声を漏らした。
「……これをどうぞ」
白雪さんは私の手に何か握らせた。パンプスを象ったペンダントだった。材質は鉄だろうか。少し重い。見方によっては爛々と赤く輝いているように見える。
「これはお守りです。貴女を守ってくれるでしょう。……沢山、私の思いを込めましたからね」
白雪さんは微笑んだ。
「ありがとうございます……」
私は早速ペンダントをつけた。
「ごゆっくりどうぞ。紅茶をお持ちしますね」
白雪さんは微笑み、席を立った。
それから、私はシチューとアップルパイ、美味しい紅茶を堪能した。
「ごちそうさまでした。あの。お代は……」
私は財布を取り出した。
「もういただいておりますよ? 気をつけてお帰りください」
書き物をしていた白雪さんは顔を上げ、ぱちんと指を鳴らした。
「わっ……!」
ぐにゃりと空間が歪む。立っていられなくて私は目を閉じた――。
「……!」
目を覚ますと、青空が見えた。
「あれ? 私、どうしてここに……?」
路地裏に倒れていた私は起き上がった。
「何だろう、これ……」
首には靴を象ったペンダントがつけられていた。
「……ってもうこんな時間。遅刻しちゃう!」
私は鞄を持ってオフィスへ走った。いつもより身体が軽い気がした。
「……現代人は、案外脆いようですね」
床に横たわる死体を白雪はつついた。
「でも、焼けた靴を履いてしばらく踊れたんですから現代人にしては上出来じゃないですか? ……というか兄さん。まだその格好なんですね」
「白雪姫は世界で一番美しいからね。お前もそう思わないかい? ヴィル」
白雪の姿が消えた。代わりに1人の青年が姿を表した。軽くウェーブがかかった金髪に、サファイアのような青い瞳が見える。袖を捲った白いシャツに駱駝色のスラックスを履いている。
「確かにそう思うけれど……。ヤーコプ兄さんも人が悪いね」
美女に化けて人を殺すなんて、とヴィル――。ヴィルヘルム・グリムは死体を足でつついた。兄と同じ金髪とサファイアの瞳が黒い帽子の下から覗く。
「だってこうしないと、あの娘が過労で死んでしまうからね。この国には過労死、なんて言葉もあるみたいだし」
ヤーコプ・グリムは分厚い本を開いた。食事処に数日前に来てくれた女性について書かれてある。
「……このレストランの役割は人が抱える悩みをお代に、その元を潰すことだ。悩みを持った人にハッピーエンドが訪れるようにね。僕たちが魔術師となって生きながらえているのはきっと、そういう理由だと思うよ」
ヤーコプは本を閉じた。
「兄さん。死体はどうしますか?」
「そうだね。食べても美味しく無さそうだし、山にでも捨てて帰ろう」
ぱちん、とヤーコプが指を鳴らすと死体は跡形もなく消えた。
「さあヴィル。お客さんが来るかもしれないから店を掃除するよ」
ヤーコプは箒を手に取った。
「掃除の時も魔法を使えば一発なのに……」
渋々とヴィルヘルムは雑巾を手に取った。
「こういうのは、魔法を使わず自分の手でやるのがいいんだよ。文句を言う暇があるなら手を動かしなさい」
ヤーコプは床を掃き始めた。
深夜にこの路地裏に入ってはいけない。
悪い魔女に連れ去られてしまうから。
ただ、それは恨みを買われた人間だけ。
悩みを抱えた人間はいつでも大歓迎。
食事処きまぐれでは、悩みを抱えた人間を魔法使いの兄弟が美味しい料理を作ってお待ちしております。
きまぐれレストラン 林檎 @ringofeb9
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