にしあお
仲山
君といつかの約束と
「西宮ぁ暇だ~~」
「本でも読めばいいだろ」
「眠くなるじゃん」
「寝たらいいだろ」
「ずっと寝てたから眠くないんだよ!」
そんな顔するなよぉ、と唇をとがらせて言う相手に深いため息をひとつ。そんな顔とはいったいどんな顔だ。後にも先にも生まれもった面しかぶら下げる予定はない。
飽きた暇だと騒ぐので、致し方なく持ってきていた文庫本にしおりを挟んで頁を閉じた。紙の間から空気が抜ける柔らかい音が聞こえたのか、金髪が顔を上げる。いかにもかまってくれるのか、という犬のような顔だった。犬になぞらえれば大型犬といっても差し支えない図体ではあるが、その目は小さな小型犬のソレに近い。飼い主がお気に入りのおもちゃを持った時の様なきらめき。そのランランとした瞳を通り過ぎ、少しばかり寝癖の付いた短い金色をかき混ぜるように撫でてやればワーだのギャーだのという声が短く上がる。目は口ほどにとはよく言うが、こいつは目も口も、言動一つとってもやかましい。
「うう、ひでぇや西宮……」
「寝癖がついてたのをわからなくしてやっただけだ」
「寝癖ついてるって言ってくれればいいんじゃない!?」
もとよりひどくするって何よ! と若干しなをつくって告げられた言葉になるほど、とうなづいた。なるほど。
「えっ、ちょ、……なんでそんな納得したみたいな顔してるの」
「いや、なるほど、と思っただけだ」
「な、なにが?」
首をひねる相手を黙殺して、備え付けてあるテレビの番組を変える。購買や食堂、休憩室で買えるテレビカードが、無造作にテレビ台に置いてあった。金の力か、病気の類の配慮か、こいつが入院するときは大抵が一人部屋、なしいは相方のいない二人部屋が多い。とはいえテレビを視聴するときはイヤホンを使うようにというルールにのっとり、使われていない白いそれがテレビにささっていて、声のない絵がただの箱の中で動いていた。
休日の昼下がり、昼食も終わってゆっくりと午後の活動が始まった頃合い。ぐっと冷え込んできた気候だが、窓に切り取られた外の世界は日差しが降り注ぐ暖かな空気を漂わせていた。そろそろ大掃除を考え始めなければいけないだろうかと脳内の仕事カレンダーをめくって目処を立て、その頃にはこいつも退院しているのだろうかと夢想する。退院したところで分担ができるならいいが、あまり寒い中労働させても体調を崩すだろうから、室内の簡単な掃除でもやってもらうことにしよう。
「ひま~」
「いい加減慣れろ」
「入院って慣れるもんじゃなくない?」
「それなら入院しないで済むようにすることだな」
「ぐうの音……」
いじけたように腰を折り、布団にくるまれた自身の膝を抱え、その膝に顔を埋めて何事かをうめいているがまったく聞こえない。こっちは同居相手が短くて一週間、長くて数か月入院することにも慣れたが。続けて言ってやればうめき声は途絶えて、さらに布団ごしの膝に顔を強く押し付けたようだった。息苦しくないのかそれは。
髪が短いせいか、体勢のせいか、白いうなじがあらわになっている。蛍光灯の下でみるより肌色が鮮やかなのは、窓から差し込む太陽光の力か、はたまた健康になってきたという証か。ふむ、なるほど。こいつが入院してから今日でちょうど一週間になる。お互いに同居同居とは言っているが、関係は恋人にあたり、正しく言い表すなら同棲だ。互いの家族にも一から十まで説明済みだし、籍を入れることは叶わなくとも、婚姻に近い保証を受けられる公的制度の整った自治体の情報まで送り付けられてくる日々。そういった関係の男二人、
意味を持ってふれるかふれないかの程度で襟足に人差し指の先を添え、そのまま首をたどって下あごをかすめ、耳たぶを爪で遊んでのぼり、赤くなった耳のふちをかすめて手を離す。人間の神秘を実感できそうなほどに耳から首から指の先まで見事に真っ赤になったそいつが勢いよく顔をあげ、驚きと不満が混じった瞳でみてきた。
「なんだ」
「なっ、なん、なにしてんだおまえ!」
「首をなでた」
「違うよね!?」
「……耳をなでた?」
「そういう違うじゃない!」
今度は、うわあ! と泣きが入ったような声でゴロンとベッドに転がった。何がしたいんだ。というか入院患者の割に元気だなお前。おとなしくみまもっていれば、もぞもぞと寝返りを打つように転がってこちらを向いてくる。まだ赤い頬と、なにが理由か潤んだ目。じっとみてくるそいつを、じっとみかえした。何がしたいんだ。
「なぁ」
「なんだ」
「あのー、さ」
「なんだ」
もごもごと何かを言いかけては閉じてを繰り返した唇と、何かに迷うようにうろうろとする視線。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいだろうにと思いながらおとなしく待つ。追求したらしたで自棄になられても面倒だ。
「今回の入院さ、」
「あぁ」
「なんというか、体調が崩れたーとかじゃないんだ」
「みてればわかる」
至って元気だしなお前。声を荒げても息を切らさなくなったのはいつだろう。一日中ちゃんと起きて活動できるようになったのは。率先して食事の用意をするようになったのは。外出を積極的にしたがるようになったのは。少しずつ、けれども確実に。まだ普通の成人男性というには少し頼りないが、それでも子どものころに比べれば格段とたくましくなっていることは、隣にいてよく知っていた。
「うん。……そのー、なんというかさ、検査入院、みたいなもので」
「へぇ」
「でな、今回の数値によっては、今後通院も三か月に一回でよくなるだろうって話なんだ」
「それはよかったな」
それはそんなに言いづらいことなのだろうか。まぁめでたいことではあるのだろう。体調が安定して一般的な生活をこなせるようになってきているということだ。上々な結果がでたらそれなりなお祝いをするのも有りかもしれない。そんなことをぼんやり考えていれば、もう一度もごもごと何かを口ごもっている。まだなんかあるのか。
「それで、な」
「あぁ」
「あのー……」
「なんだ」
「どう、せい…するときにさ、約束したじゃん」
なんで同棲がカタコトなんだ。というか、約束。約束? 最初の最初というならかれこれ五、六年前になる。一体どんな約束をしただろうか、と思い返していればしびれを切らした相手が布団をはねのけるように起き上がって俺の肩をつかんできた。なんだ。
「その!」
「はい」
「……なんで敬語なの」
「いや勢いが強くて」
あと肩が痛い。呟けばパッと離れた手が、もう一度そっと肩に添えられる。なんなんだ。きゅ、と力が込められた指が肩の形をたどるようになぞる。先ほど俺がふれた時のように、ゆっくりと形を確認するように。
「お……俺、が、……そのー、健康? ていうの? 普通? になったらさ、ちゃんと、」
「………あぁ」
「忘れてた……?」
「それのことと思い当たってなかっただけだ」
肩に縋り付くようになってしまった手を外して、改めてその両手を握る。痛くないようにゆるりとあたためるように手と手の間に捕らえた。先程うなじにふれた時よりも、この指先が俺の肩を撫でたときよりも、ずっと弱くその手指をさすればもぞもぞと座りが悪そうにベッドの上で居住まいを正している。
「補助なく一人で一日の生活ができるようになって、日中の活動も単独でこなせるようになって」
「……うん」
「自慰も手助けなくできて、自分の生活を自分で支えられるようになるくらいに体力がついたら」
「…………うん」
「そうしたら。……そうしたら、ちゃんとセックスしよう」
うん、と涙目でうなづいた日向に、なんで泣くんだと聞けばへにゃりと笑われた。目尻に滲む涙はそのままで、それでも嬉しいという雰囲気が目にみえる。やっぱり犬なんだよな。
それにしても、そんな約束をずっと叶えようと考えていたのか。ちゃんとした性交渉ができなかったって構わなかったし、日向相手じゃ叶うか叶わないか、正直微妙だと思っていた。一応トシゴロの男性として処理はするが、それも必要だからするだけで性に対してはお互いに淡白なのだと思っていた。確かにそれなりのふれあいもあったが、その程度で満足していたと言えばしていたのだ。けれども。目の前で笑うこいつを、その可能性ができた、と本当に泣くほどに喜ぶこいつを、もちろん抱けるなら抱きたいし、可能性があるのなら、そうしたい。けれど無理やりは好きじゃないし、無理をさせることも好まない。だから、そのままでもいいと思っていたのに。
「ばかだな、おまえは」
「えっ、なんでだよ」
「お前、本当に俺のこと好きだな」
「なん、まぁそう、そうだけど、さぁ……」
それで、俺も大概こいつのこと、好きすぎた。好き、なんだなぁ、とどこか他人事に考える。こいつのことを、思うよりもずっと。両手の中に収まる己よりも細く頼りない手を、握り締めた。あぁ、離したくない、なんて。情けなくても弱くても、本当はどうでもよかったんだ。あたりまえに生きて、あたりまえにそばにあれれば。あたりまえを、ともに生きていければ。
光の灯らない家でいるはずの恋人がいなくなるかもしれない夜。それは、泣きたくなるくらいに寒いほどの静けさの夜だった。きっとかなしいと呼ぶ感情を、俺はやっと自覚したのだ。悲しくて、哀しくて、泣くに泣けずに馬鹿みたいにそのことに気づかなくて、やっと愛しいのだと自覚した。
「すきだよ。お前のこと、ちゃんと」
「うぇっ。……え、ええ、えーっと、うん……俺も、さ、そのー、……すきだよ、にしみや」
「……そうか」
正直言ってかなり驚いた。俺に対しては己のことを好いているかと問う癖に自分はなかなか言わないこいつが、自発的に口にするなんて。もしかして雨でも降るのか? と外をみても、窓ガラスの向こう側は晴天の晴れやかな午後だ。傘を持っていないので雨は遠慮したい。
「……お前のそんなに驚いた顔はじめてみたかもしんない」
「俺も、お前がそんなに素直に言うのきいたの、はじめてかもしれない」
「…………いつも、ちゃんと思ってるもん」
「それはわかっている」
唐突に子どもかえりでもしたのか、頬を膨らませて顔をそらした。両手はつないだままなので、その態度すらフリなのはすぐにわかってしまう。それが愛しいのだから、俺もたいがいだし、その顔を真正面からちゃんとみたくて覗き込んでしまうのだから手の施しようがない。
「お前、俺のほうがまだ素直じゃないか?」
「否定できない……。俺も、もっとちゃんと言うようにする…」
「別に、無理にとは言わないが」
笑って言ってやれば、ただでさえでかい目をさらに丸くみひらいて、こちらをみてくる。そんなにおかしな顔をした覚えはないのだが、なにごとだろうかとみつめ返せば、やっと赤みがひいた頬が、またぞろ血色よく染まってそろそろと視線が外された。なんだなんだ。
「………」
「…………、」
「………………」
「……………無言の圧力、やめて」
「ちゃんと言うんだろ」
ううう、と唸ってうなだれるのをみ下ろして、握ったままの両手を放してやる。力なくベッドに落ちたその両掌は、爪先がほんのりと赤くなっていて、よもや力が強かっただろうかと不安になった。軽く抑える程度だったはずだが。
「痛かったか」
「っえ?」
色づいた指先を撫でて言えば、すこし不思議そうな顔をして逆に撫でる俺の手を握りしめてきた。
「ぜんぜん、さっきのこんくらいだったし」
「そうか?」
俺の手を確かめるように握って離して、今度は撫でて、と遊び始めるのを眺める。面白みのある手だと思ったことはないが、面白いならまぁいいか、という気持ちだ。全体的にあきらめで構成されている感情にふと大丈夫なのだろうかと思うことはあるが、現状問題は無いので放置している。
「さっき、お前、笑っただろ」
「あぁ」
「なんか、いつもと違ってさ、すげーこう、柔らかいっていうか、ふわっとしてて」
「そうか?」
うん、と笑って頷いた日向は名前の通りのような温かさを持っていた。かわいい、と形容できるのかもしれないが、かわいい、というより愛しいと思うからなんかもうダメなんじゃないかと思う。この先ずっと一挙手一投足にそう感じていたら、きっと俺はこいつで一杯になるのだろう。そして、それがまんざらでもないのだから、結局は手遅れなのだ。
***
社会人宮と社会人葵くんのにしあお。
この葵くんは長生きするし、西宮はいつも通り。
にしあお 仲山 @nkym
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