第10話 ムジナ

 竹内洋は妖怪との戦いに破れて死んだ。

 竹内は七里川しちりがわ温泉にやって来た。

 日帰り入浴も可能な宿泊施設が1軒存在する。客室は和室を5部屋がある。加水・消毒・循環は一切なく、加温のみ。また日帰り入浴は880円。

 囲炉裏を囲んで食べる焼き物料理や猪肉などのジビエ料理が名物となっている。周辺には井戸が点在しており、清水が湧き出ている。

 小櫃川に位置する温泉地。房総丘陵(上総連山)に囲まれた閑静な自然豊かな渓谷に位置する。渓流ではハヤ・オイカワ釣りが行える。

 竹内はムジナを見たって話を露天風呂に浸かりながら聞いた。

 随分若い連中だった。5人いて、1人はロン毛だった。

 目撃談によると、ムジナの大きさは犬くらいで後ろ足に比べて前足は短く、毛の色は茶色。歳をとると背中に白色(黒色)の毛が十字に生え、人を化かせるようになる。また、各地によって多少は異なっており、人の三倍の速差で走ることが出来たり、雌雄の仲が良かったりする。むじなの化かし方は大きく分けて3つあり、1つ目は田や道を深い川のように思わせる。2つ目は馬糞をまんじゅうに、肥溜めを風呂のように思わせる。3つめは方向感覚をなくすということである。このほかにも人を何人も殺す凶悪なむじながおり、一部の地域ではそれをおおむじなと呼ぶことがある。

「もしかしたら、瀬山ってヤクザもムジナに殺されのかもな?」

 ニュースでやってた。

「瀬山じゃなくて瀬島だろ?」

 ロン毛が言った。

「口の聞き方がなってないな?」


 翌朝、竹内は三舟山にやって来た。

 北側から西側にかけてに広がる小糸川流域の富津岬(富津平野・富津洲)および東京湾の眺望が優れた山である。

 地層構造は小糸川以北の下総台地とほぼ同一である事から、何らかの事情でこの付近だけ異常な隆起を見せて山を形成したと考えられている。

 戦国時代の永禄10年(1567年)に、山麓の三船台で里見氏と北条氏による三船山合戦が行われた。

 第二次国府台合戦において里見氏は北条氏によって大敗を喫した。このため、北条氏は里見義弘の上総北部・西部の里見領を悉く占領し、東部においては里見氏の重臣であった正木時忠・土岐為頼を帰順させた。更に里見義弘の居城である佐貫城を奪うべく、三船山(現在の呼称は三舟山、君津・富津市境)の山麓にある三船台の地に砦を築き、北条家当主の氏政自らが総督した。里見義弘は三船台の砦ができた場合、南に1里しか離れていない佐貫城が危機に晒されると考えて三船台に駐屯する北条軍を攻撃した。


 これを知った北条氏政は太田氏資らとともに江戸湾を渡海して佐貫城攻撃に向かい、一方弟の北条氏照は原胤貞とともに別働隊を率いて市原郡方面から小櫃川沿いを遡って、義弘の父・里見義堯の居城である久留里城の攻撃に向かわせた。


 これに対して義弘は正木憲時とともに佐貫城を出撃して、三船台に集結した氏政の軍を攻撃した。戦いは激闘となり、里見軍が北条軍を破った。この時、殿を務めた太田氏資が戦死した。また、北条・里見の両水軍の間でも激しい戦いが行われた。勢いに乗じた里見軍が北条軍を追撃する姿勢を見せたために、水陸から挟撃されることを恐れた北条軍は全軍を相模国に撤退させた。

 

 

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君津殺人事件 鷹山トシキ @1982

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