第32話 お詫び運脚

「本当にごめん! 僕にとって、隼人は初めてできた大切な親友なんだ。これからはもっと隼人のこと大事に考える。だから、本当にごめんなんさい」


次の登校日、僕は隼人に謝った。そんな僕の必死の謝罪を見た隼人は少し気まずそうな顔をし、


「あ、いや。こっちこそ、すまん。お前にもっと寄り添ってやればよかったのにな」


と謝った。その優しさに思わず涙ぐんだ僕を、隼人は困った表情で見た。


「おいおい、そんな顔して泣くなよ。本当に律はすぐ泣くんだから」


「そんなにすぐ泣かないよ」


僕は恥ずかしさに顔を赤くしながら涙を拭った。


「でもさ、もう自分に価値がないとかもう言うなよ。そんなこと言われたら、俺もつらいからさ」


隼人は僕にそう優しく言ってくれた。


 そうだ。自分を卑下し、必要以上に自分のことをダメだと思うことは、自分だけなく、周囲の人をも傷つけるのだ。自己嫌悪に陥り、自暴自棄になって悲しむのは決まって自分の大切な人たちなのだ。僕は同様の理由で福崎先生にも不快な思いをさせたのだ。謝る僕に福崎先生は一言、


「わたしへの謝罪はいいから、演奏で示してごらんなさい」


と言った。僕が福崎先生の元でピアノを続けることはどうやら許されたようだった。だが、何とも恐ろしい「許し方」だ。これからは半端な演奏はできない。


 僕は迷惑をかけた人たちへの謝罪運脚を続けた。そして、もう一人、僕は話をしておかなければならない人がいた。彩佳だ。


 僕は初めて自分から彩佳に連絡を入れた。「少しだけ会いたい」と彼女にSNSでメッセージを送った。彩佳はやっぱり、というか予想通り、というか僕からのメッセージに即反応があり、早速、近所のスターバックスで落ち合うことになった。


 だが、彩佳は幾分かすっきりした表情で待ち合わせ場所であるスターバックスに来ていた。エスプレッソを飲みながら、


「用事って何なの?」


と彼女はいつになくクールに僕に尋ねた。いつもの向こうから一方的にグイグイ来る様子がなく、僕は少し拍子抜けした。


「あのさ、僕のせいでいろいろ心配かけちゃったみたいで、ごめんね」


「本当だよね! もう律くんにはほとほと愛想が尽きたわ」


僕はてっきり「そんなことないよ」というような甘い返事を期待していたので思わずギョッとした。


「律くんって、本当に世話が焼けるよ。僕はピアノしか興味ない、とか言って偉そうにしていた割に、結構打たれ弱いんだね」


ギクッ。それは言ってくれるなって・・・。


「おかげで、大変だったんだから。津々見さんに東京まで来い、とかいきなり言われるし。今月そのせいで金欠なの。もう、どうしてくれんのよ」


「ご、ごめん。ここのコーヒー代、僕が出すから」


僕はおずおずと財布を取り出した。


「当然でしょ。きっちり払ってもらうからね」


「はい。すみませんでした」


僕がテーブルの上に出した硬貨を彩佳はさっと奪い取ると、


「本当、わたし、律くんなんか好きになって損しちゃった」


と言ってエスプレッソを飲み干した。


「あんな演奏、二人に聴かされたら、どうやったって敵うわけないって気付いちゃったじゃない。それなのに、律くんにすっかり熱くなっちゃって、わたしったら馬鹿みたい」


「えっと・・・」


 とうとう彩佳は僕と奏佑の関係を認めてくれたようだった。僕はにわかに気恥ずかしくなり、もじもじしていた。すると、


「これから、あなたはわたしの憧れの人じゃないから。ライバルだから。来年は絶対全国大会に出てよ。そこで、きちんとわたしと勝負して。いいよね?」


と彩佳は僕を鼓舞するように言った。


「え? あ、はい」


最初はポカンとしていた僕だったが、だんだんと彩佳の言わんとすることが理解できてくると、すっかり嬉しくなり、


「ありがとう、彩佳! 僕も来年は絶対に負けないよ」


と言って彩佳に握手を求めた。彩佳は少し照れ臭そうに顔を赤らめながら僕と握手を交わした。よかった。これで全部うまくいった。僕はすっかり気をよくし、注文したフラペチーノのてっぺんに乗っかっている生クリームをゆっくり味わった。


「やっぱりフラペチーノはストロベリーがいいなぁ。甘くて美味しいや」


思わず笑顔になる僕を見て、彩佳はクスクス笑うと、


「せっかくスタバに来たのに、律くんはコーヒーは飲まないんだね。律くんってコーヒー苦手なの?」


と僕に聞いた。僕は思わず咳き込んだ。


「べ、別にそんなことないよ。僕はフラペチーノが好きなだけだから」


「じゃあ、今度コーヒーの美味しい喫茶店に一緒に行こうよ。ミルクも砂糖も入れずにブラックで飲むと美味しいんだ。香ばしくて程よい苦味で」


「え? あ、いや、その・・・また、考えておくよ・・・」


僕はコーヒーが苦くて嫌いだ、とは言い出せなかった。だが、そんなこと、幼少の頃から僕を知る彩佳には全てお見通しだ。


「律くんって、割と味覚は子どもだよね」


彩佳はニヤッとして言った。


「え? そ、そんなことないから。もう、僕は大人の味楽しめる年齢になったし」


「へぇ。じゃあ、お寿司のネタとシャリの間のわさび、もう取り除いたりしてない?」


 僕は顔から火が出そうになった。根っからの辛いもの嫌いな僕は、小学生の頃からずっと寿司はわさび抜きを頼むか、ネタとシャリを分離して、間に挟まっているわさびをわざわざ取り除いてから食べていた。カレーも辛口のルーだと食べられず、いつも中辛のルーで母さんに作って貰っていた。サンドイッチもマスタードが塗ってあるものは食べられない。ピザにも絶対タバスコをかけては食べられない。そんな食べ方はどれも、高校生になった今も変わっていなかった。


「う、うっさい。そんなこと、彩佳に関係ないだろ」


「やっぱり、律くんの味覚って可愛いね」


 彩佳がクスクス笑った。僕は真っ赤になって、フラペチーノを一気に飲み干すとスタバの外へ駆け出した。

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