第31話 新たな友
僕の目からポタポタと涙が床に滴り落ちた。奏佑は泣き出した僕に気が付かず、笑顔で聴衆にもう一度頭を下げると、僕の手を引いてステージを降りようとした。僕はそんな奏佑の手をギュッと引っ張った。奏佑は振り返ると、僕の涙を見てはっとした表情で立ち止まった。そんな奏佑に僕は叫んだ。
「嫌だよ! これで最後なんて嫌だよ。奏佑、僕は奏佑と別れたくない。こんなの僕の我儘だってわかってる。だけど、だけど、奏佑とずっと一緒にいたいんだ。転校するなんて言わないでよ・・・。お願いします」
僕は泣きながら奏佑に頭を下げた。会場がシンと静まり返った。僕がしゃくり上げながら泣いていると、奏佑がいきなり僕をガッと抱き寄せ、僕の唇にキスをした。
「そ、奏佑?」
僕は驚いて奏佑を見上げた。奏佑は優しく僕に微笑んだ。
「俺は転校なんかしないよ。ずっと律のそばにいる」
「え? でも、この前、僕と転校する前に最後のお願いを聞いてほしいって・・・」
「だってそうでも言わなかったら、お前、俺の頼み聞いてくれなかっただろ?」
「・・・それは・・・」
「だから、ちょっとお前のこと騙しちゃった。ごめんな」
僕は嬉しいやら恥ずかしいやらよくわからない気持ちで奏佑としっかり抱き合っていた。そして、奏佑は舞台袖にいる弦哉を
「国本弦哉。お前に話がある」
と呼び出した。弦哉がおずおずとステージの上に現れた。ステージの上には、僕、奏佑、そして弦哉と今回の騒動を引き起こした三人が揃った。弦哉に向かって奏佑は話し出した。
「弦哉。お前が俺の将来のことを気にかけてくれたことは本当にうれしかった。ここに戻って来いって言ってくれたこともな。ありがとう。だけど、俺はお前を許すことができない。なぜ、俺の律を傷つけるようなことをした? 律は俺の大切な彼氏だ。そんな大事な俺の恋人をなぜ泣かせた? なぜ俺たちの仲を引き裂こうとした?」
弦哉は奏佑にどんどん追い詰められていく。弦哉はずっと俯いていたが、キッとこちらを睨みつけると、
「奏佑は、世界的なピアニストになる素質があるんだ。恋なんかに溺れている場合なんかじゃない。今はピアノだけに集中するべきだ」
と叫んだ。
「奏佑の才能を伸ばすためには、絶対にこっちに戻って来た方がいい。俺の才能を伸ばすにはどうしたらいいのかは、俺が一番よくわかってる」
そう主張する弦哉に、奏佑はきっぱりと答えた。
「俺にとって何が一番いいのかは俺が決める。お前じゃない」
「でも・・・」
「そんなに言うなら、約束してやるよ。来年は、二年に一度開かれる国際ピアノコンクールの開催年だよな。俺は、そこで必ず本選にまで残ってみせる。それなら文句はないか?」
そこにいた全員が言葉を失った。その国際ピアノコンクールといえば、その優勝者を始め、本選に残るような実力者はいずれ世界に羽ばたくことを確約されるような、世界的ピアニストの登竜門とでもいうべき名高いコンクールだからだ。会場中が驚きにどよめく中、弦哉はただ一人全く動揺する素振りも見せず、
「わかった。だったらやってみろよ」
と奏佑に言い放った。
「ああ、やってやるよ」
奏佑は自信満々な様子でそう言い返した。すると、弦哉は一つ大きなため息をついた。
「本当に、お前には勝てねぇよ。ピアノでもそれ以外でも」
「俺は勝ち負けのためにピアノをしてる訳じゃない。でも、俺の音楽の世界観は誰にも負けない自信があるぜ。それから、律への愛もな」
奏佑ったら、サラリとそんなこと言うなよ! 顔を真っ赤にする僕を弦哉は一瞥すると、
「おい、霧島律」
と僕の名を呼んだ。
「は、はい。なんでしょうか」
「今回、お前と奏佑が俺らのコンサートをかき乱したこと、お前の今日のピアノに免じて許してやる。お前が奏佑のそばにいることもな。でも、一つ、これだけは約束しろ。来年、絶対全国大会に出ろ。そして、俺と全国の本選で闘え。いいよな?」
「へ?」
ポカンとする僕の背中を奏佑が優しく押した。
「うん、わかった。僕も来年は全国大会にいく。弦哉くんには負けない」
「あはは、そこまでは譲らねぇよ。来年優勝するのは俺だからな。さすがに全国初出場の律に負けるわけにはいかねぇから」
そう言うと、弦哉は僕に片手を差し出した。僕らは固い握手を交わした。すると、弦哉は少し気まずそうにこう言った。そして、
「この前は悪かったな。遊びでピアノやってんじゃないか、とか、才能ない、とか、お前のピアノ聴きもしないで勝手なこと言って」
と僕に頭を下げた。
「もういいよ。そんなに謝らなくていいから。僕は大丈夫だよ」
僕がそう答えると、弦哉は少しはにかんだ笑顔を見せ、僕と握手を交わした。ずっと思い悩んでいた自分が馬鹿みたいに思えるほど、僕はすんなりと弦哉の謝罪を受け入れた。それどころか、弦哉と僕はこの日を境に少しずつ親交を深めるようになった。弦哉は僕にとっては強力なライバルだ。それと同時に、一緒に高め合っていける仲間にもなったのだ。
客席に戻ると、彩佳はいつになく複雑そうな顔をしていた。
「ごめん。今日はもう帰る」
とだけ言うと、僕が止めるより早く、彼女は会場を逃げるように出て行ってしまった。
「彩佳!」
彼女の背中に向かって叫んだが、次の瞬間、奏佑の旧友たちに僕らは囲まれた。
「よかったよ!」
「奏佑の彼氏くんもピアノすごいんだね」
「二人とも今日一番いい演奏だったよ」
皆が口々に僕らの演奏を讃えてくれる。僕は何だか照れくさくて、
「どうもありがとうございます」
と頭を下げて回った。
「奏佑、彼氏くん連れて戻って来なよ」
という声まで聞かれたが、奏佑は笑って答えた。
「ありがとう。でも、俺は今の高校で結構満足してるよ。律ともいつもピアノ一緒い弾けているし、学校生活が楽しいんだ。俺は今の高校の方が俺にとっては合っていると思う。だから、俺は普通高校に通いながらだって、もっともっとスキルアップできることを見せてやるよ」
そう言って奏佑は僕をそっと抱き寄せた。
元同級生たちと心行くまで再会を楽しんだ後、
「じゃあ、俺らもそろそろ行こうか」
と言って、奏佑はカバンをひょいっと担いだ。僕らは皆に別れを告げ、会場を後にした。
「一体、今日は何だったの?」
僕は奏佑に尋ねた。
「見ての通り、俺らのコンサートの日だよ」
「え、これって僕らのコンサートじゃなくて、ここのピアノ科の人たちのコンサートだよね?」
「細かいことは気にすんな」
「いや、気にするよ」
僕と奏佑は顔を見合わせて笑った。
「でも、お前、萬代にはちゃんと謝っておけよ」
と奏佑が言った。
「え?」
「あいつ、俺にわざわざ相談に来たんだぜ。すっかり心が荒れたお前がピアノもやめそうになってるって。律のことすごく心配していた。俺、最初からずっとお前と離れるつもりなんかなかったんだけど、萬代の話を聞いて、このまま放っておいたらいけないと思ったんだ」
「・・・そうなんだ」
本当に僕は馬鹿だった。彩佳の気持ちなど何一つ考えず、ひたすらに自分のことばかり考えていたのだ。それは隼人に対しても福崎先生に対しても同じだ。皆に謝らなきゃ。僕はそう決意した。
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